#44 本音の決壊
ハルカさんに連れていかれたのは、ハルカさんの自宅だった。
玄関の鍵を開けてる時も俺の手は離してくれず、玄関に入ってもハルカさんは脱ぎ飛ばした靴を揃えることもせずに、廊下に上がっても手を離してくれないので、俺も慌てて靴を脱いで引っ張られるまま上がった。
そのままリビングまで引っ張って行かれると、少し開けたスペースの床マットが敷いてあるところで立ち止まり、「座って」と言ってハルカさんが座ったので、俺も胡坐で座った。
その床マットは、以前ハルカさんが階段から落ちた時に、ハルカさんを運ぶのに使った床マットだった。
ハルカさんは俺と向き合う様に座ってて俺の左手を握ったまま、「何があったのか、全部話して」と真っすぐ正面から睨むように座った眼で見つめていた。
それでも俺が黙っていると、「リカコさん、ただの自動車事故じゃないんでしょ?あんなに仲良し夫婦だった二人がこんなになるなんて絶対可笑しいよ。このままだと二人とも壊れちゃう。もうほっとくこと出来ないんだよ。ココなら誰にも聞かれないから私に全部話して」と、ジッと目を逸らさずに口だけ動かすように迫って来た。
ハルカさんには、事故のことは「仕事で接待に出かけた先での事故」としか話して無かった。
過去の不倫騒動の事は勿論、今回の性接待の事も話して無いし、そもそも俺達の結婚のことだって、普通の恋愛の末の逆プロポーズで結婚したと説明してあった。
いくら信頼しているハルカさんでも、俺達夫婦のこんな愚かでみっともない話は聞かせられない。
巻き込みたくないし、軽蔑もされたくない。
以前からずっとリカコさんのことを感謝して慕ってくれてたのに、知ったら幻滅させてしまう。
だから、話す事は出来ない。
「私たちって30年生きて来た訳じゃん。生れてから30年って色々あって本当に長かったけどさ、でも70や80まで生きるって考えたら、今まで生きて来た30年よりもこの先の人生のが案外長いんだよ。こんな生活をこの先40年も50年も続けられると思う?絶対に無理だよ。この先の人生諦めるには、今はまだ早いんだよ?」
ハルカさんはそう話すと、俺の左手を握ったまま空いた手で俺の右手も握り、座ったまま擦り寄るように俺との間を詰めて近づいてきた。
「フータローくんもリカコさんも私にとっては大切な恩人で、大事なお友達なの。 私は友達の為ならなんでもするよ。フータローくんを助ける為だったらなんだってする。だから私を信じて話して」
ハルカさんは俺から視線をずっと離さず真っ直ぐ見つめていた。
「・・・俺達は、始めは打算で結婚した、愛の無い夫婦だったんです」
「うん」
ハルカさんの大きな瞳を見つめ返していたら、自然と口が動いて話し始めていた。
そこからは全部話した。
プロポーズされた経緯。
リカコさんとの初めてのセックスで結婚を決意したこと。
会社を辞めて主夫になることを選んだこと。
結婚してからしばらくは、性欲を満たすだけのセックスをしていたこと。
次第にリカコさんの態度が変わり、「最高のパートナー」と認めて貰い、更に「愛してる」と言って貰えて、打算とセックスで始まった夫婦から愛のある夫婦に変われて、毎週欠かさず愛し合う様にセックスをしていたこと。
俺はそのことが嬉しかったし誇らしくて、それからは幸せな毎日が続いて安心しきっていたこと。
けど、今年に入ってから、徐々にリカコさんの様子がおかしくなり、3月頃からはギクシャクし始めて、4月にはセックスレスになり、何とか夫婦仲を改善しようと頑張っていたけど、空回りに終わってたこと。
事故が切っ掛けで分かったことだけど、リカコさんは過去に取引先の人間と不倫騒動を起こしてて、それは大口の仕事を取る為の愛人契約だったのだけど、当時発覚してその関係が終わってたのに、今年の1月にその相手が再び新規契約を餌にリカコさんに愛人関係を迫ってきた。
それが原因でリカコさんは1月頃から様子がおかしくなってた様で、遂に4月に愛人では無く回数制限のある性接待という形で受け入れ、それ以降は月2回不貞行為を繰り返してて、今回の自動車事故もその相手との温泉旅行の最中の出来事だったこと。
その事故も、運転中のリカコさんの体に助手席に座ってたその男がふざけて触って、リカコさんがハンドル操作を誤ったことが原因だったこと。
それらを全て知って、今まで築いてきたリカコさんとの絆や尊敬が全部崩れて無くなってしまったと自暴自棄になりかけたけど、俺は自分にしか出来ないことがまだ残ってることに気付いて、病院のことやリカコさんの看護のことも自分の役目だと思って続けていること。
俺が淡々と話すのを、ハルカさんは目の前で俺の目を見つめながら時折頷いたり相槌をうって聞いてくれていた。
「でも俺は・・・会社辞めてまでリカコさんのサポートするって自分で決めたことが・・・これまで悩んで決意して頑張ってきたことが、全部無意味だったことになるのが怖いんです」
俺が本音を吐露すると、ハルカさんは掴んでいた俺の手を離し、膝立ちになって両手を俺の頭に回して自分の胸に抱き寄せた。
ハルカさんに抱きしめられると、甘い匂いに包まれて、久しく感じたことの無かった安心感に包まれたような感覚になり、目から涙が溢れてきて、一度そうなるとボロボロと止まらなくなって、ハルカさんの服の胸の辺りを涙で汚してしまった。
俺は、結婚してから一度も泣いたことが無かった。
リカコさんの事故の連絡を受けた後も、斉木の家で全てを知った後も、泣けなかったのに、この時、初めて涙が溢れてきた。
ハルカさんは、俺がボロボロに泣いて服が汚れても、俺の頭のギュウギュウと抱きしめ続けてくれて、俺もハルカさんの胸に顔を埋めて泣きながら、ずっと胸の内に溜め込んでいた本音を話し続けた。
「どうしたら良いのか、全然わからないんです。リカコさんとこの先、どうするべきか結論が出ないんです。
離婚してリカコさんのことを見捨てればいいのか、それとも一生リカコさんの傍で尽くせばいいのか、分かんないんです。
打算だけの夫婦に戻って割り切れば、楽になれるんですか?
でも、何を信じれば・・・何を目標にすれば・・・」
「フータローくんは一杯頑張ったんだよ。夫として奥さんの為に凄く頑張った。こんなに頑張れる旦那さん、私は他に知らない。だからフータローくんのこれまでの頑張りは無意味なんかじゃない」
ハルカさんは俺の頭をギュウギュウと抱きしめながら、俺の問いかけに、優しい口調で話してくれた。
「フータローくんはリカコさんのこと、本当に愛してたんだね。夫婦の関係を誰よりも大切に思ってたんだね。
だから今、辛いんだよ。大切に守って、信じていたパートナーに裏切られたから、辛いんだよ」
「はい・・・」
「私にもその辛さは分かるよ。私も同じ経験をしたから」
俺の頭を抱きしめたまま、今度はハルカさんが自分の過去の話を聞かせてくれた。
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