#35 2度目の結婚記念日




 リカコさんは誕生日以降、週末は接待ゴルフなどで出掛けることが増え始めた。

 毎週では無いけど日帰りもあれば泊まりのパターンもあって、しかも前日に言われることが多く、着ていく服や着替えの準備をする俺も振り回されて大変だったけど、俺以上にリカコさんのが大変で、平日も週末も関係なく休まず働いている様な状態になっていた。


 そして、そうなれば当然、週末の夜の夫婦生活も無くなってしまった。

 二人で話し合って『仕事や家事に影響がでない様に、週末の翌日がお休みの日』と決めていたので、週末だろうと仕事があるのなら、こればかりは仕方が無い。

 ハードワークを続けるリカコさんに家でも無理をさせる訳にはいかないし、そもそも最近家ではそんな空気も無くなってしまっていたから、自分から誘う訳にもいかず、疲れてるリカコさんを気遣うことしか出来なかった。



 それでも、「養って貰ってる以上は、自分の役目は責任を持って全うしなくては」と言い聞かせて、日々の家事をこなしていた。


 でも本当は、物凄く不安だった。

 リカコさんが29歳になったら子作りを始める予定だったのに、それが今では完全に有耶無耶になってしまっている。


 セックスレスで欲求不満を溜めこんでるとかそういう次元の話じゃない。 俺は、料理教室の生徒さんたちの様にヒマで性欲を持て余してる訳じゃない。


 結婚する時に二人で相談して決めた家族計画を、リカコさんが反故にするつもりなのではないかという不安が、どうしても拭いきれないんだ。

 でも、これを本人に聞いても、恐らく「そんなにしたいなら、風俗にでも行けば?」と言われてお終いだろう。


 子供が居なくても幸せな夫婦は世の中沢山居るかもしれない。

 でも、主夫の俺にとっては、二人で相談して決めた家族計画は、生命線の様なものだった。


 世帯主として家族を養ってる訳では無いし、家事だってお金払って家政婦でも利用すればどうにかなってしまう。


 今の俺にしか出来ない家族としての役目って、子種を提供することだけなんだよ。 その役目を失ってしまえば、仕事を辞めてまでリカコさんと結婚して主夫になった俺の存在価値が失われてしまう。


 リカコさんが29になったのに夜の夫婦生活が無くなってしまうと、そんな不安がおもりのように乗っかってて、家事をしてても仕事をしてても、気持ちが沈んだままだった。



 ◇



 5月になり、俺の誕生日には、自分からは何も言わず何もしなかった。

 ただでさえギクシャクしてるのに、自分の時だけ祝って欲しいなんて言えるわけない。


 そしてリカコさんからも、何も言って貰えなかった。

 本当は一言くらい「誕生日おめでとう」と言って貰えるかと期待する気持ちがあったけど、いつもと同じ重い空気の朝食と夜遅い帰宅で、何も変わらない一日のまま終わった。




 この頃になると、上手くやれてた頃のことばかり思い出してしまっていた。


 特に思い出すのは、夕食の後に『フータ、今日も一緒に入ろ』と優しい笑顔でお風呂に誘ってくれる何気ない日常。

 今じゃ同じ人物だとは思えないほど、俺には笑顔を見せなくなってしまった。


 やっぱり、嫌われてしまったのかな。

 それとも、元々は打算で結婚した訳だし、愛情が醒めて利用価値が無くなれば、ただのお荷物と認定されてしまったのかな。

 その内に三行半とか突き付けられたら、俺、どうやって生活してけばいいんだろ。


 と、一人で悩む日々が続くけど、何も改善しないまま2度目の結婚記念日が近づいて来た。



 この日、俺は意を決して、無謀な賭けをすることにした。


 もしリカコさんが結婚記念日を忘れないでいてくれたら、これからも今まで通り誠心誠意尽くす。

 しかし、先日の誕生日の様にスルーするようなら、どういうつもりなのか問いただしてハッキリさせよう。

 後は野となれ山となれだ。

 

 そんなこと考えてしまうほど、俺は追い詰められていたんだと思う。



 夕食は特別な物では無く、普段のメニューと変わらない、焼き魚と筑前煮とお味噌汁を用意したが、リカコさんが好きなシャンパンも冷蔵庫に用意して、結婚記念日のことを覚えてくれてたら、シャンパンでお祝いする。



 食事の準備を終えると気持ちが落ち着かず、リビングで洗濯物を畳んだり、お風呂の掃除をしたり、リリィの相手をして不安を紛らわせながらリカコさんの帰宅を待っていた。


 すると、突然自宅の電話が鳴った。

 平日だと自宅の固定電話は滅多に鳴らないので、何事だ!?と不安になりながら受話器を取ると、電話の相手は沼津のお義父さんだった。


『フウタロウ君か?元気にしてるか?』


『ええ、ご無沙汰してます』


『今日は結婚記念日なんだろ?リカコはまだ帰ってないのか?』


 時計を見ると、19時半だった。


『そうですね。最近は忙しいみたいで、この時間はまだ仕事してると思います』


『やっぱりそうか。あの子に電話しても全然出ないから心配しててな。結婚記念日くらい早く帰ってこれんのか』


『今、会社で色々始めようとしてるみたいで、かなり忙しいみたいですよ』


『それでも家族のが大事だろう、まったく。フウタロウ君からも「たまには早く帰ってこい」って言ってやればいいからね』


『はい。 それで、何かご用件でも?』


『いや、元気にしてるか声を聴きたかっただけだよ。フウタロウ君が元気そうで安心したよ』


『すみません。いつもご心配かけてしまって』


『いやいや、それじゃあ切るね。リカコのことよろしく頼むよ』


『はい。お義父さんもお体に気を付けて』



 お義父さんは用事があった訳では無く、本当に俺達の心配をしてくれてただけの様子だった。

 本当は元気じゃないし、不安だらけの毎日なんだよな。

 でも、「最近リカコさんが冷たくて、セックスレスなんです」なんて相談、義理の両親に出来る訳ない。心配かけないようにウソでも元気なフリするしかないんだよ。



 お義父さんからの電話で、少し気が緩んでいると、玄関から音が聞こえ、リカコさんが帰宅した。

 時計を見ると、まだ20時前で、ここ最近こんな時間に帰ってくることは無かった。


 ドキドキしながらも玄関へ向かうと、リカコさんは俺の顔を見た途端「ただいま。今日は早めに帰れたの」と言って上がって来た。

 笑顔では無いけど、最近には珍しく穏やかな態度だ。


 そして、「おかえりなさい。早く帰れて良かったですね」と言いながら仕事用のバッグを預かろうとすると、「これ」と言いながら赤いバラの花束を渡された。


 花束なんて貰った経験が無いので、受け取りながらも戸惑っていると、「今日、結婚記念日でしょ? 先月忙しくてフータの誕生日のお祝い出来なかったし・・・それで今日は」と、歯切れが悪い説明をしてくれた。


 結婚記念日をちゃんと覚えてくれてた。


 受け取った花束の中を覗くと、赤いバラが2本包まれていた。

 2度目の結婚記念日だから2本なのかな。でも、バラを贈る時って色とか本数にも意味があるんだっけ。2本なのは他にも意味が込められてるのかな。あとで調べてみるか。


 と、花束を持って固まったまま考え込んでいると、リカコさんが俺の腕に手を回して、「ご飯用意出来てるんでしょ?早く行きましょ」と言って、俺を引っ張るようにしてリビングに向かった。



 この日のリカコさんは、食事中は終始機嫌が良かった。

 時折、笑顔も見せていた。


 俺は賭けに勝った。

 でも、正直に言うと、内心では素直に喜べてはいなかった。


 

 因みに、後でバラのことを調べてみたら、赤いバラの花言葉は『情熱』とか『愛情』で、2本贈るのは『この世界にあなたと私の二人だけ』という意味があるらしい。



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