#32 気付いてしまった隔たり

 


 ハルカさんとリリィが部屋から出て行くと、立ち上がってキッチンの引き出しにしまってある自分の保険証と財布を取り出してから衣装部屋に移動して、体温計を脇に挟んでそのままベッドで横になった。



 横になりながらスマホを確認すると、ハルカさんからはお昼前に『風邪の調子はどう?教室終わったら様子見に行くからね』とメッセージが着てて、教室が終わった後に直ぐに来たのか14時頃から何度も着信の履歴が残っていたが、リカコさんからのメッセージや履歴は1つも無かった。


 体温計の測定終了の音がしたので脇から取り出して確認すると、39.2度まで上がってて、それ見たら余計にしんどくなって、体温計を握ったまま寝てしまった。



 どのくらいの時間が経過してたのか分からないけど、いつの間に戻ってたハルカさんに起こされて、寝室の俺のクローゼットにしまってあったはずのダウンジャケットを着せられ、「病院行くけど立てる?」と聞かれたので自分で立って玄関まで歩き、部屋を出ると更に感じる寒気に震えながら自分で施錠して、ハルカさんに付き添われながらエレベーターに乗って、路駐してあったハルカさんの車の後部座席に乗り込んだ。


 車に乗り込んでからもしんどかったから目を瞑って黙っていると、ハルカさんが「リリィちゃんのトイレ済ませてお水とご飯もあげたからね。あと病院に行くことも町田さん(リカコさん)に連絡しておいたから」と説明してくれたが、「すんません」と一言言うのが精一杯だった。



 病院に着くと、ハルカさんは直ぐに受付で「予約してた町田です」と話し始めたが、待合室は混雑してて座れなかったので人通りの少ない壁際に移動して、壁にもたれて待つことにした。


 咳をこらえながら待っていると、受付を終えたハルカさんがやってきて「あそこ空いたから座らせて貰おうね」と言って、俺の左手を掴んで引いて空いているイスに移動して座らせてくれて、自分も俺の左隣に腰を降ろした。


 座って待っている間、ハルカさんはずっと俺の左手を握ったままだったので、手を離して貰おうと「風邪感染しちゃうから」と言うと「私、昔から風邪ひいたことないから大丈夫」と言うので、今度は「子供じゃないんだし、手を繋ないで貰わなくていいっすよ」と言うと、「子供の頃、風邪ひくと母がこうやって手を繋いでくれて、凄く安心したんだよね。うふふ」とさっき言ってたことと矛盾したことを言い出したので、しんどいしこれ以上何も言う気が起きなくて、諦めた。



 診察を受けるとただの風邪だったけど、高熱で体力も落ちてるからと点滴を打つことになり、家に帰えると18時を過ぎていた。


 リカコさんからは『ごめん。どうしても外せない仕事あって今夜は遅くなりそうなの。乾さんから連絡貰ったけど、病院には行ったんでしょ?無理せずに休んでていいからね』とメッセージが入っていたので、『リカコさんも無理しないで下さい。お仕事頑張って』と返信しておいた。


 ハルカさんは病院から帰ってからもしばらく居てくれて、俺の為におかゆを作って食べさせてくれて、それが終わると今度はリカコさんの夕食の準備もしてくれた。


 ハルカさんは俺におかゆを食べさせながら、「いつもクールで年下なのに偉そうに恰好つけてるフータローくんも、病気になるとこんなにも大人しくなって可愛いくなるんだね」と楽しそうにしていた。

 そんなハルカさんを見てて、『もし子供が居たら、きっと良い母親になってたんだろうな』と思ったけど、それを言うのは失礼だと思ったので、胸の内にしまっておいた。



 帰り際に、ベッドで寝ている俺の頭を撫でながら「しばらく休んで良いから、ゆっくり休むんだよ」と言って、20時前には帰って行った。



 リカコさんは夜遅く帰ってきたようで、寝ている俺が起きないように気遣ってくれたのか、俺には声を掛けずに一人で食事を済ませて、食器などの洗い物もしてくれた様で、翌朝起きるとキッチンも食卓も片付いていた。


 リカコさんにも迷惑かけてしまっていると不甲斐無さを感じながら朝食の準備を始めようとすると、起きて来たばかりのリカコさんに、「もう起きて大丈夫なの?あまり無理しなくて良いわよ。朝ごはんならコンビニでおにぎり買ってあるから」と言って、冷蔵庫から自分でおにぎりを出して食卓で食べ始めたので、温かいお茶を煎れてリカコさんの前に出しながら「すんません。まだしんどいからもう1日休ませて貰います」と謝って、衣装部屋に戻って休むことにした。



 

 熱を測ると37.4度まで下がってて、昨日よりも随分と楽にはなってはいたけど、喉の痛みと鼻水は相変わらずで、それだけでもやっぱりしんどくて、一度休むと決めると何もする気力が起きず、横になってぼーっとしていた。


 しばらくすると、閉じたままのドアの向こうから「仕事行ってくるわね。ちゃんとお薬飲んで無理しないで休んでるのよ」とリカコさんの声が聞こえたので、「見送り出来なくてすんません。いってらっしゃい」と返事をするが、もう行ってしまったのか反応は無かった。



 昨日今日と俺が風邪をひいてたせいで、結婚してから朝も夜も毎日欠かさなかったキスやハグをしてなかった。

 二日キスやハグをしなかったことは些細なことで、別に落ち込んだり悲しむ様なことでは無いけど。でも、家族であるリカコさんと、他人であるハルカさんとの温度差に、モヤモヤとした気持ちが残ってしまっている。


 そりゃ、リカコさんは自分で作った会社の経営者で、従業員を抱えてるから会社優先なのは当たり前で、今年から色々と忙しくなっている状況なのも理解してるし、ハルカさんだって他人とは言え家族ぐるみの付き合いで、前にハルカさんが怪我した時に同じように助けたことがあるから、その恩返し的に困ったときはお互い様で助けてくれたのだろう。



 分かってるけど、でも、リカコさんからプロポーズされるより前、それこそ別れた元カノとまだ付き合ってた頃の俺が思い描いていた結婚生活って、今のこんな家族じゃなかったんだよな。

 俺は、家庭的な奥さんと結婚して子供を作って、夫婦で助け合って子育てしながら、平和で穏やかな家庭を作りたかった。


 リカコさんとの結婚は刺激的だし楽しい日々を過ごすことが出来ていたけど、家族が病気の時に助け合うことが出来ないことに、自分の理想だった家庭像を思い出してしまい、理想と現実との隔たりに初めて気付かされてしまった。



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