恐ろしい事実

 その日、零士は二日ぶりに外出してみることにした。

 昼食を食べた後、自転車に乗り走っていく。正直、あの大男との接触は未だに心の片隅に引っかかってはいる。だが、そんなことを気にかけてはいられない。

 昨日、大橋と語り合ったことを思い出す。大きな挫折を経験した大橋は、この島に骨を埋める気らしい。彼女は、夜季島が好きだと言っていた。

 父もまた、責任あるポジションにいる。そんな夜季島に今、凶悪な脱獄犯が野放しになっているのだ。その事実を知りながら、見て見ぬふりは出来ない。

 いずれ父が帰ってきたら、このことを打ち明けよう。だが、それまでに自分で出来る範囲のことをするのだ。

 



 港に到着した零士だったが、妙なことに気づいた。

 コンビニエンスストアのシャッターが閉められているのだ。今日は休みなのだろうか。自転車を押しながら、店の前まで行ってみた。

 シャッターには、紙が貼られている。


(都合により、しばらく営業を休ませていただきます)


 どういうことなのだろう。零士は首をかしげつつ、他の場所を見て回ることにした。自転車の向きを変える。

 その時、建物の陰から姿を現した者がいた。


「やあ零士くん、久しぶりだね」


 その声には、確かに聞き覚えがある。零士は、勢いよく振り返った。

 立っていたのは、三十代から四十代の中年男だった。紺色のスーツ姿で、銀ぶちメガネをかけている。肩幅は広くガッチリした体格であり、顔も体格に劣らず厳つい。

 声だけでなく、その顔にも見覚えがある。忘れたくても忘れられない。母が殺された時、零士に対し執拗なまでの取り調べをした木下刑事だ。零士を追って、ここまで来たというのか。

 零士は、さっと自転車に乗り込んだ。すぐさま走り出し、その場から離れようとする。が、木下の反応も早かった。自転車を走らせる前に、ぱっと零士の肩を掴んでいた。と同時に口を開く。


「そんなに嫌わないでくれよ。君には、聞きたいことがある」


「ぼ、僕は何にもやってません!」


 零士は震えながらも、どうにか言い返した。しかし、木下に解放する気配はない。


「何もしてないなら、逃げる必要はないだろう」

  

 言いながら、自転車の前に立つ。零士は、さすがに腹が立ってきた。この男は、何を考えているのだろうか。零士のことを犯人だと決めつけ、わざわざこんな島にまで現れるとは……どこまで無能なのだろう。

 こんな刑事では、事件の解決など期待できない。


「まだ、僕が母を殺したと思っているんですか!? あなたはおかしいよ! 僕がそんなこと、するわけないだろ!」


 怒りに任せて怒鳴る。と、木下の表情も変わった。

 次の瞬間、予想外の言葉を投げかけられる──


「違う! 俺は、最初から君なんか疑ってないんだよ!」


「えっ……」


 零士は、それ以上なにも言えなかった。この刑事は、ずっと自分を犯人扱いしていると思っていた。だが、それは勘違いだったらしい、

 一方、木下は周りを見回した。誰もいないことを確かめると、そっと耳元に顔を近づける。


「もう一度いうよ。俺は、君のことを疑ってない。あの犯行は、君には無理だ」


 そう言うと、また周りを見回した。人の姿はないが、それでも油断できないらしい。その顔には、警戒心が剥き出しになっている。警察署で見た時は、自信たっぷりな様子だったが、夜季島では事情が違うらしい。


「ここで話していたら、誰に聞かれるかわからない。ひとまず、人のいないところに行こう」


 木下に言われ、零士は素直に頷いた。




 零士と木下は、森の中に入っていった。大木の陰で、ふたり並んで腰掛ける。

 口火を切ったのは、木下だった。


「いいか、よく聞くんだ。君のお母さんは、とんでもない殺され方をしていた。あれは、十三歳の少年には絶対に不可能なんだよ」


「どういうことですか?」

 

 零士は聞き返した。とんでもない殺され方などと言われたら、さらにわけがわからなくなる。いったい、どのような状況だったのだろう。


「これを話すのは、医者に止められていたんだよ。あまりにもひどい状況だったからね。事件の直後に、こんな残酷な話を聞かされたら、君の精神に大きなダメージを与えると言われたんだよ。俺も、さすがに話すことが出来なかった。だから、今まで黙っていたんだ」


 そこで、木下は言葉を止めた。零士の顔を、まじまじと見つめる。

 ややあって、恐ろしい事実を打ち明けた。


「いいか、落ち着いて聞いて欲しい。発見当時、由美さんは首を切断されていたんだ。犯行現場は、あたり一面血の海だったよ」


 首を切断されていた……。

 零士は、衝撃のあまり何も言えなかった。顔色も青くなっている。

 その死に方には、覚えがあった──


「それだけじゃない。由美さんは左腕も引きちぎられ、その場に転がっていた。その上、右手には包丁を握りしめていたんだ。おそらく、犯人に襲われ反撃しようとして殺されたのだと思う。隣の部屋の住人からの通報により、警官が部屋に駆けつけたんだが……あまりの惨状に、現場を見るなり吐いてしまったそうだ」


 恐ろしい話を、木下は淡々と語っていく。零士は何も言えず、黙って聞いているしかなかった。


「こんなこと、君のような少年に出来るはずがない。君が犯人でないことくらい、こっちは百も承知なんだ。しかし、俺は君を調べざるを得なかった。なぜかわかるかい?」


 わかるわけがない、零士は、真っ青な顔でかぶりを振った、

 それを見た木下は、ふうと息を吐いた。少しの間を置き、再び語り出す。


「君のパジャマに付いていた染みは、血痕だったんだよ。しかも、由美さんの血液だった。つまり犯人は、君を何らかの手段で眠らせ、その横で由美さんを殺害したんだよ。君の当時の記憶が混乱していたのも、おそらくは強い睡眠薬を飲まされていたからだ。しかも、ただ由美さんを殺すだけじゃ飽き足らず、腕と首とを切断したんだ。全く、とんでもない奴だよ」


「じゃあ、僕はなぜ助かったんですか……」


「わからないよ。思い当たる点はなくもないが、俺の口からは言えない。まだ捜査の段階だし、一般人である君を巻き込むわけにもいかない。ただ、ひとつだけ言わせてくれ。俺が、あれだけ君にしつこく聞いたのも、事件を解決したかったからだ。君が、何か手がかりになるものを見ているのではないか、そう思ったからなんだよ。嫌な気分にさせて、本当にすまなかった」


 そう言うと、木下は深々と頭を下げる。だが、すぐに顔を上げた。

 直後、とんでもないことを口にする。


「君は、この島で何が行われているか知っているのかい?」


「い、いえ……」


「この島には、会員制の風俗店がある。かなりの金持ちでなければ、会員になれないような店さ。島は、風俗の収益で成り立っているんだ。君の父親は、その風俗店の経営者なんだよ」


 衝撃のあまり、零士は思わず息を呑んでいた。風俗店が何なのか、くらいは知っている。

 あの優しい父が、そんなことをしていたとは……まだ十三歳の少年にとって、受け入れるのは困難な事実だ。

 しかも、話にほ続きがあった。


「それだけじゃない。この島の裏では、恐ろしいことが行われている、という噂もあるんだ」


「な、何が行われているんですか?」


「それは、まだ言えない。はっきりとはわからないし、捜査で得た情報を今の君に教えるわけにはいかない。ただ、とんでもなく恐ろしいことであるのは確かだ。大勢の人間の命が失われているかもしれないんだよ」


 聞いた瞬間、零士は思わず両手で頭を抱える。

 なぜ、自分はこんな目に遭うのだろう。母が首を切られて殺され、自分は記憶を奪われ眠らされた。

島で全てを忘れて新しい生活を始められるかと思いきや、裏側では恐ろしいことが行われているという。

 自分は何がしたかった? ただ、普通に生きたかっただけだ。なのに、普通ではないことが次々と起きている。


「僕は、どうすればいいんですか?」


 気が遠くなるような感覚に耐えながら、そっと聞いてみた。すると、意外な答えが返ってくる。


「俺が君に言うことはひとつ。何もするな」


「えっ?」


「君には、危険なことをしてほしくない。君は、何も聞かなかったことにして、明日からいつも通りに生活するんだ。君は、まだ若い。こんな事件に関わっては行けないんだ。未来だけを見て、生きていって欲しい。ただ、ひとつだけ覚悟しておいてくれ。ここでの平和な生活は、いつか終わりを告げることになる」




 木下が去った後も、零士は放心状態で座り込んでいた。

 母は首を引きちぎられ、さらに腕まで切断されていた。しかも、片手には包丁を握っていたというのだ。その姿は、零士がこれまで何度となく見てきた悪夢に登場する死体そのものだった。

 血の海と化した床の上に、首と片腕のない死体が転がっている。その傍らには、怪物が立っていた。牙と鉤爪を持ち、紅く光る目で零士を睨みつけている。

 零士は、その現場に寝かされていたというのだ。寝間着に付着していた茶色い染みは、母の血液なのだと木下は言っていた。

 間違いない。あの首と片腕のない死体は、母の変わり果てた姿なのだ。傍らにいた怪物は、母を殺した犯人……。

 零士は、その現場を見ていたことになる。


「僕は、どうしたらいいんだ」


 呆然とした表情で、ひとり呟いた。




 そんな零士を、離れた位置から見つめている者がいた。ペドロである。夏だというのに長袖の迷彩服を着ており、森林の中に完璧に溶け込んでいた。彫りの深い顔に、何やら思案げな表情を浮かべて少年を観察している。

 やがて、零士は立ち上がり自転車に乗った。屋敷の方向へと走っていく。ほぼ同時に、ペドロも森の中へと消えていった。








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