お姉さんとの会話
やがてフェリーが島に到着し、零士は港に降り立った。
もとより荷物は少ない。思い出の品と呼べるようなものはほとんどなかったし、それ以前に過去を思い出すようなものは、なるべくなら持っていきたくなかった。したがって、リュックひとつを背負い夜季島へとやって来たのだ。
港は、予想よりも遥かに静かな場所だった。人はほとんど歩いておらず、人工物と呼べるようなものも少ない。船着き場と、その横にあるコンビニエンスストアを除くと、あとはアスファルトの道路があるだけだ。
道路脇には、車が数台停まっている。大型バスが一台、後は乗用車である。他は、見渡す限り森と荒れ地が広がっているだけだ。民家は見えない。
率直に言って、この島の印象を一言でいえば……寂れた場所、でしかない。この島の経済を担うのは観光業らしいが、こんな場所を誰が観光するというのだろう。
不安な面持ちで、零士は周囲を見回す。その時、学生たちも船を降りてきた。大声で語り合いながら、すたすた歩いていく。今になって気づいたが、全員が男だ。いかにも旅行客、といった雰囲気である。彼らは、何の迷いもなく道路脇に停まっていたバスに乗り込んでいった。
少しの間を置き、バスは動き出した。道路を進んでいき、やがて見えなくなってしまった。いったい、どこに行くのだろうか。ひょっとしたら、彼らの行く先には繁華街などあるのかもしれない。
取り残された零士は、どうしたものかと思った。手紙には、島に着いたら迎えの車が来る……と書かれていたのだ。となると、残っている車のどれかに、まだ見ぬ父親・茨木統志郎が乗っているのだろうか。
ならば、そちらに行ってみるとするか。車に近づこうとした時、ある疑問が頭に浮かんだ。あのペドロという男は、どうしているのだろう?
振り返ってみたが、降りてくる気配はない。どういうことだろう。まだ船に残っているのか。あるいは、気づかぬ間に船を降りたのか。いや、それはないだろう。
その時、車のドアが開く音が聞こえた。音のした方を見ると、ひとりの女が降りてきていた。年齢は二十代だろうか。先ほど船に乗っていた大学生たちと、さほど変わらない年齢に見える。
黒いTシャツとデニムパンツ姿で、肌は日焼けした小麦色だ。髪は短めで、背は高くスラリとした体型である。目鼻立ちははっきりしており、純粋な日本人とは思えない顔立ちだ。
率直な意見を言えば、とても綺麗な女性だ。それも、零士のいた町では、あまり見ることのないタイプである。美しさだけでなく、どこか野性的な雰囲気をも漂わせていた。有名なタレントだと言われても、違和感なく受け入れられるだろう。そんな女性がこちらを見て、にこやかな表情を浮かべているのだ。
零士はドキリとなった。彼のこれまでの人生において、こんな女性とは接したことがない。まさかとは思うが、この人が父の使いの人間なのだろうか。
そのまさかは、現実のものとなった。女は、まっすぐこちらへと歩いてくる。歩く姿も堂々としており、自らに抱く自信の大きさを感じさせた。
やがて女は、零士の前に立った。近くで見れば、彼よりも遥かに背が高い。百七十センチ近くあるかもしれない。体もしなやかな筋肉に覆われており、かなり鍛えているようだ。威圧感を覚え、零士は思わず後ずさりした。
その時、女はぺこりと頭を下げた。続いて口を開く。
「茨木零士くん、ね。|私は
そう言って、にっこり微笑んだ。見た目の通り、元気ではきはきした口調だ。零士は、戸惑いながらも頭を下げる。
「は、はい。かざ、いや茨木零士です。あのう、父は……」
「お父さんは今、仕事の方が立て込んでいて来られないの。だから、私が家まで送ってあげる。さあ、行こ行こ」
言いながら、不意に零士の手を握った。突然のことに、零士は目を白黒させている。思ったよりゴツい感触の手だ。頼もしさを感じる。
そんな少年の手を引き、上野は颯爽と歩き出した。車の前に立ち止まり、後部座席のドアを開ける。
「ほら乗って。お姉さんが、うちまで連れて行ってあげるから」
言われた零士は、頬を赤く染めながら答える。
「えっ? あっ、はい!」
上擦った声で返事をすると、ロボットのごとき固い動きで車に乗り込んだ。喋り方のみならず、動きそのものまでぎこちなくなっている。手を握られただけで、彼の脳から肉体に至るまで、全ての機能が混乱していた。
しかし、上野はお構いなしだ。
「シートベルトは締めた? じゃあ、行くよ」
言うと同時に、車は発進する。窓の外には、豊かな自然が広がっていた。
だが零士には、外の景色を見る余裕はない。どうしても聞いておきたいことがあった。
「あっ、あの、上野さんは、父とはどういった関……いや、知り合いなんでしょうか?」
どういった関係ですか? と聞こうとして、慌てて言い直したのだ。
その問いに、上野は即答する。
「んーとねえ、実は愛人なの」
「あ、愛人!?」
ドキリとなった。もしかして、そうではないかと思っていたのだ。だとしたら、どんな態度で接すれば良いのだろう。
その時、ぷぷぷ……という声が聞こえてきた。笑いをこらえているらしい。
「冗談だよ。冗談だから、本気にしないでよ」
「あっ、冗談ですか」
言った後、零士はそっと胸を撫で下ろしていた。一方、上野はさらに付け加える。
「私は、君のお父さんの部下……みたいな感じかな」
部下か、それなら良かった。だが、話は終わりではない。もうひとつ、聞いておきたいことがある。
「あのう、父はどういう人なんでしょう?」
「すっごくいい人! イケメンだし、背は高くて足は長いし、何より優しいの! ちょっと天然なところがあるけど、そこも魅力だね」
いきなり声の調子が変わった。しかも矢継ぎ早に言われ、零士は唖然となっている。だが、次に出た言葉はさすがに聴き逃がせなかった。
「出来ることなら、本当に愛人になっちゃいたいくらい」
「は、はい!? な、何を言ってるんですか!?」
思わず大声を出す。と、上野はクスリと笑った。
「ウソウソ、冗談だってば。まったく、零士くんて冗談が通じない子なんだね」
「す、すみません」
なぜか謝っていた。この上野という女、どうにも調子を狂わされる。もとより零士は口下手で真面目だ。女の子とも、あまり喋る方ではない。
かと言って、女性に興味がないわけでもない。零士とて、十三歳の健康な男子である。当然、女体には興味がある。あり過ぎるくらいある。そこは、本人も認めざるを得ない。
興味はあるが、気が弱く引っ込み思案なため話しかけることすら出来ない……そんな零士の前に、突如として現れた上野麻理恵は、眩し過ぎる存在だった。ただ綺麗なだけでなく、仕草や行動が格好いいのだ。歳上のお姉さん、という言葉では表現しきれないものがある。
後部座席にてドギマギしている零士だったが、上野の揺さぶりは止まらない。
「だけどさ、そこが零士くんの可愛いところでもあるね」
「えっ!?」
いきなりの言葉に、零士の心臓はドクンと跳ね上がる。女性から可愛いなどと言われたのは初めてだ。しかも、こんな美しい人から……零士の頬は、またしても赤くなっていた。
「零士くん、可愛いから。学校では、さぞかしモテたでしょう」
零士の変化を知ってか知らずか、さらなる追い打ちをかけてくる上野。零士は、上擦った声で答える。
「は、はあ!? 全然モテなかったですよ!」
「えええ、本当に?」
「本当ですよ! 僕は背が低いし、スポーツはまるで駄目だし、勉強だって出来る方じゃないし、暗いって言われるし、友だちもいないし……」
自分で言っていて惨めになり、零士の声はか細くなっていった。
もっとも、今いったことは全て事実である。自分が冴えない人間であることは、よくわかっていた。ところが、先ほどは上野に可愛いなどと言われ、天にも昇るような気分になっていたのだ。そんな浮かれ気分が、自身の言葉により冷めていくのを感じていた。
惨めな気持ちに、さらに拍車がかかり暗い表情になる。しかし、その気分は長く続かなかった。
「それさあ、気づいてなかっただけなんじゃないの?」
「えっ、何をですか?」
「零士くんのこと、気になってた女の子は絶対にいたよ。だってさ、零士くん可愛いもん。なんか、見てるとほっとけない感じするんだよね」
またしても顔が赤く染まった。もじもじしながらも、どうにか答える。
「いや、そんなこと無いです」
「君のお父さんはさ、すっごくカッコいい人だよ。だから、零士くんもカッコいい大人になれるから」
言った直後、車が停止する。同時に、上野が振り向いた。
「さあ、着いたよ」
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