異邦人との出会い(3)

「たったそれだけで、僕のことがわかったんですか……」


 零士は、それ以上なにも言えなかった。恐怖とは、また違った感情で体と心を支配されていたのだ。

 今いったことが本当だったとしよう。目の前にいる外国人は、零士の身長や体重、果ては誰にも打ち明けたことのない秘密を、見ただけで当てたことになる。事実、この男はそれをやってのけた。

 一方、外国人の顔には楽しそうな表情が浮かんでいる。


「そう、たったそれだけだよ。言っておくが、これは俺に特有の能力というわけではない。ベテランの犯罪者は、人混みの中に潜んでいる私服の刑事を見抜くことが出来る。逆にベテランの刑事は、人混みの中に潜む指名手配犯を見つけることが可能だ。これもまた、人間の持つ能力を懸命に磨いていった結果なのさ」


「じゃあ、さっき僕が何を考えていたかも……」


「だいたいは、ね」


 答えた後、外国人は自身の心臓のあたりに手を当て、すっと頭を下げた。


「そういえば、挨拶がまだだったね。俺の名はペドロだ。君、名前は?」


 いきなりの動きに面食らいながらも、零士は自身の名を名乗る。


「ええっと、風間零士……いや、茨木零士です」


 慌てて言い直した。そう、これからは名字が変わる。風間という母親の姓を捨て、茨木零士という名前で生きることとなるのだ。

 これまで、名字が変わることについて、深く考えたことはなかった。しかし、こうして名前を名乗る時には、否応なく思い出させられる。同時に、母親が亡くなったことも思い出す羽目になる。

 その時、ペドロと名乗った外国人の顔には、優しげな表情が浮んでいた。


「複雑な事情があるようだね。だが、心配する必要はない。君は、強い少年なのだからね」


「ぼ、僕が強い?」


 思わす聞き返していた。

 零士は、小柄で華奢な体つきの少年である。腕力は弱いし、走るのも遅い。体育の授業で球技をやる時には、零士をどちらのチームに入れるかで揉めたことがあるくらいだ。暴力は嫌いだし、格闘技にも興味がなかった。喧嘩など、したこともない。

 そんな自分を、強いと評した人間は初めてだ。しかも、ぞれを言ったのは……筋肉の塊のごとき肉体と、何もかも見透す鋭い観察力を併せ持つ超人的な男である。率直に言って、からかわれているとしか思えない。

 ペドロは、そんな零士の気持ちなどお構いなしに話を続ける。


「ところで、君はこれから向かう夜季島の伝説を知っているかい?」


「えっ? いや、詳しくは……」


「かつて、あの島には鬼が棲んでいたと言われている。人知を超越した腕力を持ち、成長しきったヒグマですら引き裂いてしまうほどだったといわれている。また傷の治癒能力も凄まじく、侍に刀で腕を切断されたが、翌日には再生していたそうだ。もっともの光には弱く、昼間は活動できなかったらしい」


「えっ?」


「夜季島という名前も、夜になると季節が変わるがごとく島の様相が一変する……そんな光景から、名付けられたと言われているそうだ。そう、夜季島は鬼の支配する島だったのさ。昼は人間が支配しているが、夜になると鬼が支配する」


「お、鬼ですか」


 そんな話は、聞いたことがなかった。そもそも、これから行くことになる島について、零士が知っている情報は僅かなものだ。面積は、東京都の半分もないくらいの広さである。総人口も、千人にも満たない。気候は温暖で、観光業が盛ん……それくらいしか知らなかった。


「そう、鬼だよ。どんな姿をしているのかは、書物によって異なっているが……共通するのは、人間離れした恐ろしい姿をしていることと、人を食べるということだ。ちなみに、こうした生物の伝承は世界各地で見つけられる」


「はあ、そうですか」


 わけがわからぬまま返事をした。さっきはアイドルグループ、今は鬼である。話題があちこちに飛んでいるが、今は黙って聞いているしかなさそうだ。

 そして話は、とんでもない方向へと進んでいく。


「ところで、君は鬼と人間、どちらが怖いと思う?」


「えっ……」


 不意に聞かれ、零士は口ごもった。相変わらず意味がわからないが、無視も出来ない。

 少し考えた後、口を開いた。


「やっぱり、鬼です」


「ほう、鬼かい。差し支えなかったら、その理由を聞かせてもらえないかな。なぜ、人間より鬼の方が怖いのかを、ね」


 言われた零士は、思いついたままを答える。


「お、鬼は力が強いから戦っても勝てないです。足も速いから、逃げても追いつかれそうです。命乞いをしても聞いてくれなさそうだし。でも、人間が相手なら何とかなるかもしれないから……です」


「なるほど、君の言う通りだ。鬼の圧倒的な身体能力を考えれば、人間に勝ち目はないだろう。抵抗は無意味だし、話し合いも通じない。となれば、待っているのは確実な死だ。少なくとも、人間が相手の時よりは死ぬ確率は高いだろうね。悪くはない考え方だ」


 ペドロは、うんうんと頷いた。だが、次の瞬間にかぶりを振る。


「しかし、それだけでは不完全だ。間違いではないが、正解とも言えないね」


「どういうことですか?」


「例えばの話、君が町を歩いていたとしよう。そこで、向こうから鬼が歩いてくるのが見えた。両者の間には距離が空いており、家に逃げ帰ることも出来る。さて、君はどうする?」


「もちろん、逃げ帰ります」


「賢明な選択だ。さて、この鬼だが……その後、どうなると思う?」


「えっと……大勢の人を殺すんじゃないですか」


「それも間違いではない。だが、その前に警察に通報されるだろうね。日本の司法に、鬼を逮捕し裁判をさせる柔軟なシステムがあるとは思えない。したがって、鬼は人里に現れた害獣のごとく、射殺されることになるだろう」


「そ、そうですね」


「一方、人間はどうだろう。仮に危険な殺人犯が町を歩いていたとして、君は通報するかい?」


「もちろん通報します」


「まあ、そうだろうね。ところで今、君の頭に浮かんだ殺人犯は、どんな姿をしているのかな?」


「姿、ですか?」


「おそらくは、背が高くて筋肉質の体。凶暴そうな顔。手にはナイフを持ち、獲物を探してあちこち見回している。と、こんな感じではないのかな」


 その通りだった。ペドロはまたしても、こちらの心を読んだらしい。零士はうろたえ、思わず目を逸らした。


「そんな人物が歩いていれば、誰しもが警戒する。そもそも、日本は刃物を持ち歩くだけでも罪になる国だ。抜き身のナイフを持ち町中を徘徊していれば、それだけで通報されることだろう。しかし、現実の殺人犯は、わかりやすい外見をしているとは限らない。俺がアメリカのレイカーズ刑務所にいた時のことだが、隣の房にはロナルド・グスマンという男がいた。百六十センチもない小柄な体格と、温厚そうな顔立ちの男だった。しかし、八人を刺殺した罪で服役していたのだよ。一般市民の中に本性を隠して紛れ込み、油断した相手を殺害していたのさ。この男は、自らの快楽のため人を殺していた。しかも、殺した後に死体を切り刻んだり犯したりもしていた。残虐さでは、鬼に優るとも劣らないと言える」


 聞いている零士は息を呑んだ。殺人犯の話よりも恐ろしいことを、目の前の男はさらりと語ったのだ。

 今の話が本当だとすれば、ペドロという男は、かつて刑務所にいたということになる。つまり、この男は犯罪者なのだ。

 いったい何をしたのだろう……などと考えながらも、零士はペドロの話に耳を傾ける。


「鬼が人間の社会に入り込もうとすれば、すぐに排除される。彼らの外見は目立つからね。ところが、人間は違う。ある意味、鬼よりも恐ろしい心を持ちながらも、それを隠して一般市民に紛れ生活していけるわけだからね。つまり、怖さというのは条件次第で変わりうる、ということだよ。町に現れた鬼と、正体を隠して町に生息し君の殺害を目論む快楽殺人犯。この場合だと、どちらが怖い?」


「えっと、あの、殺人鬼……です」


 零士が答えると、ペドロの口元が僅かに歪んだ。


「殺人鬼、か。あえて、その単語を用いるのは避けていたのだがね。まあいい。話を戻すと、怖さという概念は、状況次第でいくらでも変わり得るということを理解していただけたことだろう」


 そこで、ペドロは零士から目を逸らした。


「強さについても、同じことが言える。たとえば、彼を見たまえ」


 言いながら、甲板で騒いでいる若者たちに視線を向ける。つられて、零士もそちらを向いた。


「あの一番大きな体の青年だが、おそらく大学生だろう。身長は百八十センチ、体重は八十七キロから九十キロ。ラグビーかアメフトのような激しいコンタクト系スポーツの選手でもある」


 そこまでわかるのか。

 零士は、その男をじっと観察してみた。いかにも体育会系の部にいそうだ、ということしかわからない。体と声と態度が大きく、集団の中でもその大きさを武器に自分の意見を押し通す……そんなタイプに見える。

 そんなことを思った時、ペドロの口からとんでもない言葉が飛び出てきた。


「君が、あの大学生と喧嘩になったとしよう。勝てるかな?」


「勝てるわけないじゃないですか!」


 慌てて答える。あんな奴に殴られたら、体の中に顔がめり込んでしまいそうだ。

 すると、ペドロは頷いた。


「君は、素手での戦いを想定しているようだね。だから、勝てるわけがないと答えた。だが、君がピストルを持っていたら、どうだろうね?」


「そ、それは……でも、そんなの喧嘩じゃないです」


「なるほど。君は喧嘩という単語を、素手での闘いだと定義しているのだね。その定義の是非に関しては、ひとまず置くとしよう。確かに君は、素手での戦いでは彼に勝つのは難しいだろう。だが、ピストルを持てば勝てる。強さという概念も、条件次第でいくらでも変わり得るということさ」


 このペドロという男は、間違いなく犯罪者なのだ。零士は、はっきりと理解した。

 零士には、喧嘩は素手でやるものだという認識がある。ところが、ペドロは躊躇なくピストルという選択肢を出した。つまり、この外国人にとって喧嘩とは殺し合いなのだ。殺るか殺られるか、ふたつにひとつ……そんな世界で生きている。卑怯もクソもない。生き残った者こそが強者なのだ。

 そんなことを考えていた零士だったが、続いて放たれた言葉は予想外のものだった。


「失礼な言い方になって申し訳ないが、君は体が小さい。腕力もない。気も小さい。だから、自分を弱い人間だと思っている。だがね、君は強いよ。いずれ、その事実を否応なく知ることになるだろう」


「は、はい?」


 驚いて聞き返すと、ペドロはそっと目を逸らした。


「そろそろ、島に到着するよ。準備しておきたまえ。続きは、次の機会までとっておこう。いずれ、再会する日が来るからね」

















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