最終章 聖人の不在
第一話 その後の冬
数日後、
「よく教えてもらえましたね?」
夜の学校内で昏倒しているところを発見され(発見したのは僕たちだけど)病院に運ばれた遠藤侑帆はまだしも、他の加害児童たちの親が情報を毛嫌いしている響野に漏らしたのが意外だった。
黒いコーヒーカップで両手を温める響野は口の端を引き上げて笑い、
「あの人たち、今度は俺に記事を書いてほしいんだって」
「記事? どんな?」
「錆殻光臣がどれほどひどいペテン師かを世に知らしめてほしい、とか言って……」
「わあ……」
甥であり、彼にこき使われる身の上である僕からしても光臣は最悪だ。それについては異論はない。だけど、光臣に仕事を依頼していたくせに、彼が思い通りに動かなかったからと言って今度は敵視していた響野に情報を漏らすなんて──
「なんか、ちょっと、変な感じですよね」
うまく言えない。丸テーブルを囲んで座る菅原に視線を向けると、彼もなんともいえない顔をして僕を見ている。
「ま、ああいう人たちにとってはどうでもいいことなんだろうさ。自分の子どもが実際何を仕出かしていたか、なんか」
響野憲造はあっさりとそう言った。では、あの人たちは。以前の会談の席で涙すら見せていたあの大人たちは、いったい何を守っていたのか。
「自分たちの体面。体裁。いじめをするような子どもに育ってしまったのは親の責任ではない、と世間にアピりたい。それだけ」
「邪悪ですねえ」
菅原が、しみじみと噛み締めるように言った。
「いじめという行為を行う個体も、その親も、すべて殲滅したいですねえ」
「菅原さん時々とんでもないこと言うよね」
響野が笑い、「でも」と不意に真顔になって、
「結局さあ。あの学校って教師も生徒も全部腐ってたわけじゃない。よっちゃん……苅谷夜明さん以外にも学校に見放されたいじめ被害者は大勢いるわけでしょ」
着物のふところにウサギの骨を大切そうに抱えていた、市岡凛子さんのことを思い出していた。遠藤侑帆とその母親、そして警察の諏訪さんが現場を離れた後、市岡凛子さんは骨を包んだハンカチを片手に理科教師に詰め寄っていた。女性の理科教師は真っ青な顔で涙と鼻水を流しながら「そんなことさせてません」「濡れ衣です」と引き攣った声で叫んでいた。光臣が「心当たりがありすぎて訳が分からなくなってるんだろうな」と珍しくまともなことを口走っていたのが印象的だった。
それに、爽谷芽衣子先輩。彼女だって学校に救済されなかった被害者だ。今回の件を、先輩にはどう告げよう。起きたことをそのまま伝えても信じてはもらえないだろう。それどころか、先輩と、それにSNSで知り合った友だちが『怖い話蒐集家』さんにお願いして一緒に作った七不思議が実際には拡散されていなかったこと、それに加えて一部改変されて今回の事件に利用されたことを知ったら──先輩はひどく傷付くかもしれない。僕が直接連絡を取った『怖い話蒐集家』さんは、今は爽谷先輩とも、他のいじめ被害者である人たちとも交流はないと言っていた。「私のような大人と関わりを持つことなく、自分たちで作った七不思議をお守りにして生きていってほしいと思ったから」、七不思議が完成したところでこれ以上の個人的な交流はやめにしようと提案したらしい。先輩にも、その気持ちは伝わっていると思う。いじめ加害を見て見ぬ振りしたどころか加勢するような教師がいる一方で、『怖い話蒐集家』さんのような匿名で寄り添ってくれる大人がいるというのは──19歳の僕が言うのもどうかと思うけど、とても大事なことだから。
「で、光臣の記事を書くんですか?」
「書くわけないでしょ〜」
問いに、響野憲造はあっけらかんと笑った。
「きみと菅原さん、それに凛子さんがやり遂げたことではあるけど、まあ世間的には錆殻光臣が浅瀬船中学の七不思議にまつわる様々なアレをアレしたってことになってるわけだし」
「アレをアレ」
目の前のチーズケーキにフォークを突き刺しながら、菅原が難しい顔をしている。
「光臣さんは何もアレしていませんが……」
「知ってる知ってる。でも、凛子さんにはできれば自分のことは記事にはしないで、錆殻光臣の手柄にしてほしいって頼まれてるし」
「市岡凛子さん」
一瞬。
用務員室でのほんの一瞬、僕と菅原と、市岡凛子さんの目的がすれ違った。
あの瞬間、用務員室はこの世ではなかった。異界だった。
異界の入り口で意識を失っている、ほとんど死んでいた遠藤侑帆を、市岡凛子さんはその最奥に放り込もうとしていた。殺そうとしていた。
遠藤侑帆を始末したら、次はきっと残りの4人。それぐらいは想像できた。女子生徒ふたりが見ていた『狐』は市岡の狐。男子生徒3人の『悪魔』は狐が彼らの描いたバフォメットに化けた姿。どちらにせよ、加害児童たちをこの世から消し去ろうとしたのは市岡凛子さん──個人なのか、市岡神社という場所の意思なのか、そこまでは分からないけど。
「やっぱり、苅谷夜明さんのためですか。彼女が被害者だったから」
「そうだって言ってたけどね。実際のところは分からない。市岡家っていっても考え方は色々で、たとえば凛子さんの長男で弁護士をやっている
響野憲造の言葉で思い出す。苅谷夜明さんの病室の前で出会った優しそうな弁護士さん。
「稟市さんなんかは女性と子どもに関係する案件を依頼料度外視で引き受けちゃうタイプで、今回凛子さん──どういう理由があれ自分のお母さんが子どもを、こう、しようとしたって知ったらたぶんものすごく……」
「怒る?」
「親子喧嘩激しそうだなぁ、あの家は」
あはは、と響野憲造が笑う。他人事のような顔で笑う。
そうだ、他人事だ、こんなことは全部。
他人事だけど、他人の命を救えた。苅谷夜明さんのことも、それに、あんまり考えたくないけど異界に放り出されそうになっていた遠藤侑帆と、その仲間のことも。結果的には助けることができた。だから良かった……じゃ、ダメだろうか?
「俺は外から見てただけだけど、凛子さんにあんな──めちゃくちゃ水責めして抵抗するなんて、大したもんだと思ったけどね」
「はあ……」
浅瀬船中学校は、現在閉校状態になっている。冬休みを少し早めに始めて、学校全体に流れ込んだ得体の知れない真っ黒い水の清掃作業をしているらしい。
「今後学校そのものがどうなるのか、とかは」
「俺にも分かんない。ああ、あの理科教師は教員免許剥奪になるらしいけど、それ以外は」
「そうですか」
「……ていうか、知りたいことはそれじゃないんじゃない?」
響野憲造が小首を傾げる。僕と菅原は、また視線を交わす。
そう。今本当に知りたいことはそれじゃない。
「凛子さんから、ふたりの質問にはなんでも答えてあげて、ってこれを預かっています」
足元に置いていたバックパックから黒い表紙のメモ帳を取り出しながら響野憲造がニカッと笑った。市岡凛子さん。全然、悪い人とかじゃなかった。市岡凛子さんは苅谷夜明さんと付き合いが深くて、娘みたいに思っていて、とても大事にしていたから、ああいう行動に出たって何もおかしくはなかった。僕と菅原は光臣の代理だったから、用務員室で市岡凛子さんに対してぼんやりとしているわけにはいかなかった。それだけだ。それだけだったんだ。
「聞きたいこと、いっぱいあるんですけど」
「うん」
なんでも聞いて、と響野憲造が胸を張る。
だから僕は、遠慮なく口を開く。市岡家は、錆殻逸子という祓いの能力がある女性を知っていますか? 彼女は狐を使役したそうなのだけど、市岡家とは何か関係がありますか?
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