第二話 錆殻國彦、或いは円環

 同時多発的に発生していた事件のいくつかは、収束を迎えたのだと思う。苅谷家はいじめ加害児童とその家族、そして浅瀬船中学校に対して訴訟の準備をしている。中学校側は記者会見を開いて「いじめがあったと認識していなかった。被害児童に謝罪したい」と涙ながらに訴え、ついでに理科教師に全責任を押し付けて教員免許剥奪の旨を伝え、SNSは大荒れとなった。というのも、学校側の記者会見の直後に、浅瀬船中学校の卒業生で過去いじめに遭っていたにも関わらず学校側が無視した生徒たちが手を組んで、苅谷家とは別に学校に対して訴えを起こすと宣言したのだ。もはやちょっとした祭りだった。多少なりとも関わりを持ってしまった僕たちとしてはなんとも言い難い気持ちではあったが、世論は当たり前だが訴訟を起こそうとしている側──被害児童側の肩を持った。正義感からではない。。訴訟の行方がどうなるのかは、僕たちの知るところではない。


 もうひとつ。

 僕の伯父、錆殻光臣の息子、僕にとっては従兄弟に当たる國彦くにひこが、「父のことを全面的に任せたい」という連絡を寄越してきた。メッセージアプリに残されたその簡素で一方的な要求に慌てて通話で返信をすると「もう父には関わりたくない」と國彦ははっきりと言った。そんなの僕たちだっておんなじだ。というか僕は甥だし菅原に至っては赤の他人なので、息子に拒否されている光臣のことを引き受ける道理なんてどこにもない。

 國彦は学生寮を出て、現在交際している大学の先輩の実家に転がり込むのだという。結婚前提ということだろうか、と訊くと、


『日本はまだ同性婚できないでしょ』


 光臣も、國彦の交際相手のことは知っているそうだ。その上で、光臣らしい反応だが、反対している。あの人はそういうタイプだ。ずっと変わらない。


「その、彼氏のことがあるから光臣から離れたいの? 國彦は」

『それもあるけど、それだけじゃない。……錆殻うちはずっと、おかしかっただろ』


 錆殻邸。錆殻家。錆殻という一族。

 おかしいかおかしくないかといえば、おかしかった。今、錆殻という苗字を使って生活しているのは光臣と國彦、それに大学でその名前を呼ばれている僕だけだ。純粋な錆殻はふたりだけ。


『あのさ、──────────────

「え?」


 國彦の声に、

 この声を僕は知っている。

 錆殻邸が黒い水に浸されて崩壊する前に、従妹の口から溢れ出た舌打ち。あの舌打ちは女性のそれではなく、おっさんの舌打ちだった。

 そのおっさんの──男性の声が、國彦の向こうで笑っている。


ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ


 耳がキーンとする。幸いにも今、マンションの中に光臣はいなかった。リビングには僕と菅原のふたりだけ。心配そうに眉を寄せてこっちを見ている菅原の前でスマートフォンをテーブルの上に置き、スピーカーボタンをタップする。

 笑い声がぴたりと止んだ。


『──、おい? 聞こえるか? 何かあったか?』

「いや、何も、」


 ないよ。と言うかどうかを迷っているうちに、國彦が口を開いた。


『錆殻はさ、呪われてる。


 國彦までそんなことを言うのか。うんざりする。でも、言い返しても仕方がない。國彦はもう、錆殻という負の連鎖の外に出ると心に決めているのだ。止める術を僕は持たない。

 國彦の背後に誰だか分からないおじさんがいるということも、伝えない。そんなことを言ったら、國彦は「おまえの父親だ」と僕を責めるだろう。違うのに。僕が、父親の声を聞き間違えるはずがない。


『父はその呪いも含めて商売道具にしてるけど、俺には無理だ。悪いけど頼むよ、父のこと』

「……分かった」


 ものすごく嫌だったけど、そう答えた。國彦は、スマートフォンの向こうで安堵しているようだった。


 クスクス、という笑い声が聞こえた。今度は、小さな女の子の笑い声だった。


 國彦。おまえ、離れない方がいいよ、錆殻から。離れないでいれば、光臣を保護するついでに國彦のことも守ってやれるのに。


 僕は、光臣から衣食住を提供される代わりに、彼が請け負ってくる厄介な仕事を片付けている。甥というより部下みたいな扱いだ。けど、大学生である現在、光臣という人間が保護者として存在してくれているとそれなりに助かったり、色々なんとかなることもある。認めたくないけど、win-winなんだ。僕とあの伯父は。だから。國彦。僕と光臣の側から離れるな。まだ行くな。


『じゃあ、もう連絡することもないと思うけど』

「くにひ……」

『バイバイ、いとこのおにいちゃん』


 女の子の声がした。その背後で、あのゲラゲラがまた大きくなり始めていた。


「國彦さんは」


 菅原が神妙な声を上げる。


「お亡くなりになるでしょう。遠からず」


 光臣のメンタルケアなんかしたくない。したくないけれど、せざるを得ないかもしれない。この先。

 錆殻という一族は滅びた方がいいと思っている誰かがいる。その誰かがひとりひとりをゆっくりと呪い殺している。


 円環から出られるのは、本当は僕と菅原だけなんだ。國彦。

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