第二話 雨
だが、毎度のことながら光臣は不在、家の鍵も全部開いていた。なんだかなぁと思いながら菅原を外で待たせ、僕だけ家の中に入る。
「ねえ」
声がした。廊下を進み始めてすぐのことだった。
あの子がいた。和ロリの、──もう死んだはずの僕の従妹。
「あ、どうも」
「どうも、じゃなくてお邪魔します、でしょー」
「だって誰もいないから」
「私がいる!」
胸を張って、従妹はそう言い張る。死んだ人間でも、家の中に存在していれば『いる』にカウントして良いのかな。菅原は人間じゃないけど留守番を頼んでいる時には家に人が『いる』って気持ちで宅配便の受け取りを頼んだりもするから、いいのかもしれない。僕にとって、その辺りの線引きは色々と曖昧だ。
「ねえどうだった苅谷夜明のいじめの件」
「……なんでそんなこと知ってるの?」
本当になんなの? この子、自称光臣の娘で僕の従妹ってことになってるけど、本当は違うんじゃないかな。なんか不安になってきた。怪異が人間のふりをすることだってこの業界ではザラにあるし……そう、菅原とか……。
「家から出られないから、逆に情報がいっぱい入ってくるの」
「その理屈は僕にはどうも理解できない」
「頭固いなぁ! パパとは大違い」
パパ(仮)。光臣のことか。光臣だって、僕からしたらそうそう柔軟な思考回路を所持しているようには見えないんだけど。
「でもパパにはある一定のルールがあるもの。そのルールに従って生きてるから、あなたよりはずっと頭が柔らかい」
「ルールって?」
「お金が儲かる方に流れる」
サイテーだ。
「そう、パパはサイテー! だから呪い返しで殺された私のことも、世間には伏せてる!」
きゃらきゃらと、従妹が笑う。──いや、今、この子何かとんでもないこと言わなかったか? 呪い返しで殺されたことを……伏せてる?
「そうだよぉ」
部屋の中だというのに黒いフリルの付いた傘を差しながら、従妹はにっこりと笑う。僕はこの笑顔を知っている──と思う。やっぱり、彼女は、たしかに僕の従妹なのだ。ただ、どうしても名前を思い出すことができないだけで。
「封じられてるから」
僕を傘の中に招き、彼女は言った。誰かに盗み聞きされるのを警戒しているかのような、小さな声だった。
「封じ……?」
「私の名前も、存在も、返ってきた呪いに全部食べられてしまった。だからこうやってたまに誰かとおしゃべりをしないと、いずれ私が完全に消え去ってしまう」
「……そのおしゃべりの相手は、僕でいいの? 光臣や、國彦である必要は?」
どうにか言葉を絞り出して、尋ねた。傘の外では雨が降っている。真っ黒い雨が。
「パパはだめ。私のことを忘れたがってる。兄はどうかな……彼には、家の中にいる私のことが少しだけ認識できてるんだよね。だから逆に、接触が難しい」
「伯母さんは?」
従妹は悲しげにまぶたを伏せ、首を横に振る。
「ママは、私のことをもう忘れてしまった」
「そんな……」
あの日。國彦を呼び立てる甲高い声。光臣の妻で僕のいとこたちの母親は、既に、正気では、
「正気だとは思うけど」
「どっち?」
「正気であっても忘れることは可能ってこと。あ、この傘渡しとくね」
「え?」
もうすぐパパが帰ってくるよ、と耳元で囁き、従妹は黒い雨の中に足を踏み出した。
濡れる。濡れて、汚れる。
「ねえ、苅谷夜明を本当に追い詰めたのは誰なのかな?」
そんなの、今の僕に分かるはずないだろう。
僕の名を連呼しながら玄関から入ってきた光臣は、激怒していた。それはそうだろう。廊下が黒い水でびしょびしょになっているのだから。
だが、僕が手にしているフリル付きの傘を目にするなり、光臣は沈黙した。
なんだ。分かってるんじゃないか。
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