第7話 Jが予定を繰り上げた理由

 半年間のビザ期限を目前に夫は、これからもプラン通りに固い絆を持ち続けよう、と航空券を手配してJを母国へ送り出した。

 この日、お世話になった上司がトランジットでやってくるのだと夫は言い、次回は家にも寄っていただきたいと言付けを頼んで空港へ送り出したが、実際にはその方は当地へ見えておらず、深夜便に乗るJを見送るための外出だった訳だ。


 夫がスマホを私に渡したのはその日からおよそひと月後になる。

 眠れない夜、朝方まで何度も戻ったり進んだりしながら小さな英文字を追い続けて、私は次第に虚無状態になっていった。ぼんやりと追いつつつ時々遡って時間の感覚を失いかけたなかで、「wife」の文字が目に留まって読み返す。


 どうやら、Jは当地で借金返済を迫るストーカーに付け回され、かなり身辺を案じていたようだった。やがてはJと頻繁に会っていた夫までも脅かされるような事象があったらしい。身の危険を感じたJは帰国予定を早めルームメイトにも店にも告げずに荷物をまとめて出国したのだと知った。


 なぜここに「wife」が出てくるのか。何が引っかかるのか。


 二度三度と読み返し、考えて考えて考えて考えて。


 繋がった。


 あのインド男が口にしていた名前Aが、Jの源氏名だということに気が付いたのだ。


 インド男が私に伝えようとしていたのは、夫が別の女と会っているという話だった。ふたりはいまどこぞの店にいるから自分と一緒に現場へ行こう、と言ったのだった。

 インド男の話では、その女と彼は先月まで付き合っていたのだと、家族のために苦労して働いている彼女にこれまでたくさんのお金を渡した、本国にも何度も送金したと、それなのに別の男と会うようになりーそれは愚夫のことだったがー自分を拒否するようになったのだと。会って話して金を取り戻したい、協力して欲しい、と半泣きの表情で懇願されたことを思い出す。


 唐突過ぎて怯えが先に立ち、話を聞いただけで私は彼に手を貸さなかった。


 インド男はJのストーカー、キャップ男はJの店のマネジャーだった。そしてどちらの人物のことも、夫は知っていた。あの夜、彼らが家に押しかけてきたことの背景を、私が震える声で電話をした時点で既に分かっていたのだ。


 頭の中が熱くなり冷たくなり、また皮膚に痛みを感じ始める。それでも、とうとう夫が自分で打ち明けることがなかった隠し事に行き着いたことを、哀れなインド男に告げに行きたいとさえ思った。


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