第2話 警察は110ではない

 インド男は何と言っていた?


 一体何が起きている?


 知らない男と対面した恐怖と動揺で身体が強張り、スマホが手から落ちる。はずみで明転した画面のロックを習慣で解除すると、返していなかった友人とのチャットが開いていた。


 知り合って初めて彼女の番号をダイヤルする。金曜日午後九時、彼ら夫婦はどこか素敵な店でディナーをしているだろう。頭の中の冷静な部分で謝りつつ、それでもいま話を聞いてもらえそうな相手はほかに思い浮かばなかった。

 日頃は着信完全無視の私からの呼び出しに彼女はすぐに応答してくれ、外出先にも関わらず話を聞いて呼吸をさせてくれた。その間に、彼女のパートナーがメッセージを投げて私の夫の所在と無事を確認してくれる。


 夫に何事もなさそうだと聞いても安堵するどころか次第に強まる恐怖で手と肩が震え始めた。警察に通報しようとの友の助言に、まず夫本人と話す、と告げて、それから漸く私たち夫婦は電話で短い会話をした。

 振り返ればあのとき動転の極みにあった私は、インド男の話を正確に伝えることはできていなかったに違いない。それでも夫は質問ひとつも返さず、直ぐに帰るから絶対に鍵を開けるなと言い含めタクシーを飛ばして20分ほどで帰宅した。


 9階の窓から階下を覗くと、インド男の白い高級車が目に入る。早く通報してと迫る私の動揺が夫にも伝わるのか彼自身も言葉少なで頭が回っていないようだった。

 暫く見ていると、キャップを被った男が加わり二人組と判明する。遠目の暗い写真を撮るばかりでなかなか通報しない夫に怒りをぶつけると漸く「警察って何番?」と訊く。そんなの知らない、焦る。スマホに緊急通報機能があることなど忘れていた。


 住所と名前を名乗って警察と話し始めた途端、インド男とキャップ男にバイク男が合流し、ほどなく三人は散り散りに消えた。


 事件は記録され、後日監視カメラの画像とともにポリスレポートを作成して、事件担当者名が付いた。ファイルは残ったが、その後の警察からの連絡はなく事情聴取さえ受けていない。

 友人は自宅の盗聴器チェックを強く勧めてくれるが夫は真剣に取り合わず、エージェントを通じてオーナーに許可を得たはずの玄関の鍵交換も未だ手付かずだ。


 事件以降、日頃からインドア派の私は気分が沈み家に引きこもるようになる。

 この時に少しだけ冷静に事態を俯瞰していたなら、自分がパンドラの匣を手にしたことに気付けたかも知れなかった。

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