リョウイチ、お願い


 幕が上がった。舞台は、未だに暗闇に包まれている。観客達が目を凝らしてみれば、薄暗い舞台上にはいくつかの木のパネルと二人の人間の影だけが見えた。

 何が始まるのかと身構えたその時、体育館に備え付けられたスピーカーから女生徒の声が響き渡る。


『遥か昔。巨大隕石の来襲を予知した特権階級は、一般人を残してさっさと宇宙へ逃げ去った』


 人々は息を潜め、若干棒読みっぽいナレーションに集中し始める。


『彼らは宇宙空間に長くいた結果、筋肉が収縮し、触覚が生える等の変質が身体に起きた。そんな彼らは、長い時を経て地球に帰ってきた。巨大隕石の直撃によって環境が劇的に変化し、それでも生き残った人類の元に。だが、戻って来た彼らを、残された人類は、歓迎しなかった』


 一本調子だったナレーションは、徐々に熱を帯びていく。呼応するかのように、観客も聞き入っていった。

 彼らの頭の中には、語りから想起される物語の世界が広がっていく。


『話し合いは繰り返されたが、両者の主張は交わることはなく。互いを人類と認めないまま、武器が取られた。宇宙に逃げ、身体が変質した新人類と、地球で生き残った旧人類との戦争だ。戦いは長引き、双方に多大なる犠牲を強いることになった。泥沼の争いは、遂に最終局面を迎えることになる』


 一発の銃声が響く。観客の中には、ビクリと身体を震わせる者もいた。

 同時に、これが戦いの幕引きの音であったことを、何名かは理解する。


『これは、戦争を終わらせた、その直後の一幕。高度35,786km。地球同期軌道上を周回している葉巻型の母船、アマビニア内にて』


 マイクが切られるプツっとした音と共に、舞台に明かりが灯った。

 明るくなってからまず見えるのは、六枚のパネル。宇宙船の内壁を模した絵が描かれ、窓の向こうには地球の姿がある。一部のパネルは亀裂が描かれており、戦いが激しかったことを雄弁に語っていた。


 パネルの前に配置されているのは、背もたれが長めの白い椅子。台座の上に設置されており、あれが玉座であることを観客達は把握する。

 そして、二人の人間の姿。


 向かって左側に立っている一人は、黒い迷彩服姿でライフル銃を構えた男。彼は荒く肩で息をしており、銃口が上下に揺れている。時には足元も多少フラついており、一部が破けている迷彩服と相まって、彼が疲労困憊であることが伺えた。

 彼はライフルを下ろさない。舞台上にいるもう一人。仰向けで玉座にもたれかかるように、力なく横たわっている女生徒へと向けて。


「ハア、ハア。俺の勝ちだ、宇宙人」


 重々しく、彼が口を開いた。

 彼の視線の先、向かって右側にいる彼女は、アッシュグレーの長髪を床に散らかし、額には先が丸くなっている触覚と思われる肌色の二本の突起物を携えている。真空色のボディースーツを身体にまとい、足には人型ロボットの足のような靴を履いていた。


 周囲には破損した武器の残骸のような、白い破片が散らばっている。彼女のボディースーツの腹部は破けており、血が飛び散ったような赤い染みがあった。


『あなたの勝ちヨ、地球人』


 彼女も口を開いた。か細いその声は片言めいていて、先ほどのナレーションと同じスピーカーから響いてくる。

 最前列にいる観客は、彼女の胸元についているピンマイクを確認することができた。


『酷いネ。まだ宇宙人って呼ぶなんてサ』


 口元にぎこちない笑みを浮かべつつ、彼女は力のない言葉を吐いている。


「宇宙から来たなら、そう呼ぶに決まってんだろ」

『わたし達は、帰って来ただけなのニ』

「一度は見捨てたろ。地球はもう、お前たちのもんじゃない」

『冷たいネ。同じ人間じゃないカ』


 彼女が起き上がろうとしたが、力を込めようとついた手が崩れ、逆に態勢を崩してしまう。

 動いた彼女を見て彼はビクリと身体を震わせ、ライフルを構え直した。


『そんなに警戒しないでヨ』

「ッ……油断はせん。また激辛饅頭を食わされるのは、もう懲り懲りだ」

『あっ、覚えてたんダ。まいったナー、信用されてないのカ。古典で言う、オオカミ少年だネ』


 その後の彼女が動かないことから、彼は身体の力を抜いた。


『は、ははハ。地球人は……いや、君は昔から頑固だネ』

「お前が適当過ぎるだけだ。勝手に俺を宇宙に連れ出した、あの日から」

『あの時は、君だって目を輝かせてたじゃないカ』

「あれでしこたま叱られたから、懲りたんだよ」

『なんだ、わたしの所為だったのカ。はははッ。なら君にやられたのは、因果応報ってやつだネ』


 カラカラと笑っている彼女を見て、彼はつま先で床を叩いた。目線が細められ、全身から怒気があふれ出してくる。


「変わったんだ。俺も、お前もッ!」


 大気を震わせた一言に、体育館内の空気が張り詰めた。


「俺達は妥協点を見い出せなかった。だからこうなっちまったんだろうが。もう俺は、あの頃には戻れない。それはお前だって」

『変わってなんかないヨ』


 顔を一層赤くした彼女が、言葉を遮る。彼は身体をピクリと動かした。



 舞台を見下ろせる位置にある照明・音響室にて、ボブは身を乗り出した。

 各種機材や操作スイッチが埋め込めれた机の前には、ガラス張りの窓。その下にいるリョウイチとサクラコの姿も声もはっきりと認識できている。


 先ほどの台詞は、今までの台本にはなかったもの。つまり、サクラコがアドリブを使ったのだ。


「ま、不味いです」


 だが、彼の心配はそこではない。彼女の体調が悪化し、これ以上舞台を続けることができないのではないかと思えたからだ。

 事実、眼下に見える舞台上の彼女は、熱にうなされているかのように真っ赤である。気を失う前に急いで幕を下ろし、彼女を保健室に連れて行くべきではないのか。


 加えて相手であるリョウイチは、今の今まで一人で準備に奔走し、かなり疲れていることを知っていた。倒れてくるパネルの前でボーっとしていた彼の姿を思えば、無理はさせられない。

 これ以上、体調が万全でない二人を酷使するべきではない、と。


「こ、こうなったら」


 彼は説明書を読み返し、舞台の幕を下ろすボタンを発見した。これを押してしまえばブザーが鳴り、舞台と観客が分かたれる。

 中断してしまえば、あの堅物の生徒会長は活動実績と認めないだろうが。何よりも、健康第一だ。


 身体を鍛えているボブからすれば、当たり前のこと。鍛える身体がボロボロであれば。元も子もない。例え恨まれることになろうとも、ここで止めるのが彼らの為ではないか。

 そう決心したボブがボタンに手を伸ばした時。


「ッ!」

「…………」


 伸びてきた小さな手が、彼を制した。隣に座っていたヨルカだった。


「水無瀬、先輩」

「…………」


 ヨルカは何も言わなかったが。彼を制そうとして伸ばした手は、わずかに震えていた。

 気が付いたボブが、もう一度、彼女を見る。


「先輩、でも」

「信じて」


 かけられた声に、首を横に振って答えたヨルカ。彼女は真っすぐに舞台上を見つめたまま両手を組んで、神に祈るような姿勢を取る。


「リョウイチ、お願い」

「……ええ、そうですね」


 彼女の声を受け、彼は頷いた。彼女が信じていると、分かったからだ。

 ここまでの頑張りが、報われてくれることを。即興劇エチュードを繰り返してきた彼らなら、乗り越えてくれることを。舞台上にいる、彼女の幼馴染のことを。


 例えそれが、本心ではなかったとしても。

 ボブも、仏に祈るように両手を合わせた。


「頼みます、新藤先輩」


 その後の彼の手は、幕が下りるボタンには向かわなかった。



 舞台の上で、おれは唾を飲み込む。直前に放たれたサクラコの台詞は、台本にはなかった筈だ。

 演技の範囲内で彼女を見てみれば、顔が先ほどよりも蒸気し、汗も見える。不味い、彼女の体調が悪化し意識が朦朧とした結果、台詞が飛んだのかもしれない。


『変わってなんかなイ。わたしはずっと、変わってなんかないヨ。君だってそうダ』


 彼女がまるで自分のことのように言葉を続けている。

 当初はここで彼女が変わったことを認め、もう一度変われると続けて和解が成立する。おれの懸命な応急手当によって彼女も一命をとりとめ、大団円で終わる予定だった。


 今からでは、そのルートに戻せるかは不透明だ。変わっていけることを示す筈が、変わってないと言い切ってしまったから。


「……何故、そう言い切れる」


 おれは咄嗟に、会話として違和感のない台詞を繋げる。その時、サクラコの目が微かに見開かれていた。

 この近距離でのみ分かるくらい、些細な変化だったが。ずっと彼女を見て、一緒に稽古してきたおれだからこそ分かった。


 台詞を間違えたことに気づいたな。

 その上で、おれは微かに頷いた。


(まだ、やれる)

(っ!)


 心の中で思った言葉が、彼女に届いたのかは分からないが、彼女の瞳は元に戻っていた。

 せっかくだ、やるぞ、サクラコ。


 おれ達がいつもやってきたことを、この大一番で見せてやろうじゃないか。

 ここから先は未知の領域。


 おれとお前で織りなす、二人ぼっちの即興劇エチュードだ。



 言葉が途切れた後で、彼女は再び口を開いた。


『長い付き合いだシ。何よりも……君が、好きだかラ』


 彼は外から見て分かるレベルで、息を呑んだ。


「お、お前。何、を?」

『お互い立場とか責任とか、面倒なことになっちゃったよネ。お陰で、こんな今わの際にしか、素直になれないヨ。昔はお父さん達が話し合っている中、一緒に遊んでるだけで、良かったのニ』


 動揺を隠しきれない彼に対して、彼女は昔を懐かしむように微笑んでいる。


『第一王女なんて肩書を忘れられたのは、君と遊んでる時だけだったヨ。君は、わたしにとって、ただ一人、ノ』

「お、俺。俺、は」


 既に彼は銃口を下げていた。俯き加減になった彼には最早、引き金を引こうとする意志はない。


『マ。散々、邪魔してくれた点については、大っ嫌いだけど、ネ。よくも、あの人を……げほっ、げほぉっ』


 ひと際大きく咳き込んだ彼女は、胸と腹部を押さえている。今にも血を吐きそうであったが。

 限界を迎えそうにある彼女よりも、彼の方が力なく見えた。


『ああ、もう終わりだ、ネ。生命維持スーツも、限界みたい、ダ』


 彼女の声は酷く掠れており、これ以上は喋れないであろうことが容易に想像できる。

 彼は未だ、何も言えずにいた。


『ねエ』


 彼女が彼を呼んだ。


『君のこと、大っ嫌いだったけド……大好き、だったヨ』

「ッ!」


 彼女は倒れた。背もたれにしていた玉座に向けて倒れ込んだ結果、椅子が倒れ、舞台の上に鈍い音が響き渡る。


 まるで彼女が事切れたことを、鳴り示すかのように。

 玉座が倒れた残響も薄れていった頃、彼は持っていたライフルを下げて、彼女の元へと歩み寄った。しゃがみ込んで、彼女の頬に手を伸ばす。


「…………」


 頬に触れている間、彼は何も言わなかった。

 静寂は舞台だけではなく、体育館中を支配している。見ている誰もが彼に注目し、次の言葉を待っていた。


 彼は立ち上がった。

 俯き加減のまま彼女に背を向けると、吐き捨てるような調子で口を開く。


「……知ってたさ、馬鹿が」


 観客の大半が、息を呑んだ。

 短い台詞ではあったが、その中に込められた万感の思いの片鱗を、感じ取ったが為に。彼はずっと、振り向かなかった。


 やがてスピーカーから爆発音が流れる。彼が目線を上げた。


「別部隊がやったか」


 まるで他人事のように呟く彼の拳は、固く握りしめられている。あまりに力んでいるからか震えが手から腕まで伝わっていた。観客の中には、手を口元に持って行く者すら現れている。

 彼は、ほんの少しだけ振り返った。絶対に彼女の姿は見えないであろう、小さな角度で。


「俺もだ。大っ嫌いだったけどな」


 言い残した彼は、走り出した。

 短い彼の道筋に、極小の光がきらめく。流れ落ちた雫が照明に反射したものだと分かった時、観客の中にはこみ上げるものを我慢できない者すらいた。


 彼が舞台から消えた瞬間、スピーカーにマイクの電源が入った短い音が鳴る。放たれた声は、最初にナレーションしていた女生徒と同じものだった。


『この日が、変わった日。最愛の彼女を殺して、彼が変えてしまった日だ。戦争が終わり、今のままではいられなくなる。彼は、その責任を取らなければならない』


 一度、言葉が途切れた。いなくなった彼の余韻を感じるかのような間を置いた後に、再び声が響き渡る。


『一滴の雫が流れ落ちた気がした』


 何処までも事務的でいて、何かを噛みしめるような口調。


『彼はそれを、考えなかった』


 直後。舞台が暗転し、幕が下り始める。舞台が終わったのだと、誰もが分かった。


『以上。演劇部による舞台、『手遅れだったアイラブユー』でした。お時間いただき、ありがとうございました』


 終了の挨拶が終わった途端、体育館中から割れんばかりの拍手が沸き上がった。

 その日一番の、喝采。

 拍手を送る者の中には、四角い黒縁眼鏡をした女生徒の姿もあった。

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