おれ。頑張った、よな?
起こしたサクラコにメイクを施し、おれ達は演劇部の部室を後にした。彼女に肩を貸して、二人で体育館の裏口へと向かう。
黒い迷彩服姿のおれと、メイク済みで光沢のある青いボディースーツ姿のサクラコ。目立ちそうなものであったが、校内にはおれ達以上に奇抜な恰好をしている生徒も多く、さほど注目を集めることもなかった。
「どうだ、サクラコ。体調の方は?」
「ちょっどは、良くなったかも。ちゃんと、寝られたがら」
「そりゃ良かった。喉の方はどうだ?」
「ごめん、やっぱりごえは張れない」
「了解。ならこれ舐めとけ、演劇部御用達ののど飴だ」
「ありがとう、リョウぢん先輩」
お婆ちゃんの薬箱のような味がすると評判の喉飴を口に入れると、サクラコは変な味がする~、と笑ってみせた。良かった、少しは回復したみたいだ。
二人して体育館裏に着くと、ちょうど館内から拍手が巻き起こっていた。昼休みの学生漫才コンテストが終わったみたいだな。裏口から出てくる大きな蝶ネクタイをした上級生達を後目に、おれ達はステージ裏へと入った。
舞台の幕が下りていて、裏側では実行委員がせわしなく片付けをしている。サクラコをその辺で座らせると、おれはその合間を縫ってパネル等の準備に取り掛かった。
開演時間はもう目前。ボブとヨルカは、未だ来ていない。
ならば、一人でやるしかない。
「あ、あたしも」
「駄目だ、舞台まで休んでろ。ふん、ぬッ!」
手伝おうとするサクラコを拒否しつつ、再びおれはパネルを持つ手に力を入れた。
「よい、しょお。ハア、ハア、ッ、ハァァァ」
思った程に力が入らなかったので、おれは持って行く速度を落としつつ何とか舞台へと運んだ。パネルの後ろ足を立てて、自立できる形に整える。一つ運び終えた段階で、おれは重たい息を吐いた。
正直、かなり身体にきていた。
用意した八枚のパネルや各種の道具の運搬に加え、サクラコを介抱しつつ飲み物や喉飴を買いに行ったりと、午前中はずっと動き回っていたのだ。
当然、お昼ご飯を食べる暇すらなく、現在はすきっ腹。辛うじて水だけは飲んでいたが、まっさらな水分がエネルギーになる訳もない。
「ッ、もう、少し。もう少し、で。お、っと」
一度立ち止まると、一気に疲労感に襲われた。足元がくらみ、少しよろけてしまう。
不味い。思った以上に、疲れてんのか。
「り、リョウちん先輩」
「なあに、心配すんなサクラコ。もう終わるからッ!」
やべ、サクラコに見られていた。心配そうな声を上げた彼女に、おれは強い声色で答える。
辛い彼女に、これ以上心配かけさせる訳にもいかん。第一、介抱してた方が倒れてどうする。
「あとはこいつらだけ運んじまえば。照明と音響の遠隔操作の設定して、台本を……って、あっ」
強がってパネルを勢いよく持ち上げ、舞台の真ん中へと運んでいたその時、力が抜けた。手からパネルが滑り落ち、音と共にステージ上に落下する。
それだけではなかった。
落下したパネルは、ゆっくりとおれの方に傾いてきている。
倒れて、来る。
「や、ヤバ」
咄嗟に動いたのは、口先だけだった。
疲労感に支配された身体は、全く言うことを聞かず、その場から動いてくれそうにない。倒れ込んでくるパネルをただただ見つめることしかできなかった。
「リョウちん先輩!」
サクラコの声が聞こえる。
もう、間に合わない。
完全に逃げるタイミングを逸し、支えようとする手を伸ばす力すらないのだ。
このままパネルと共に後方に倒れ込む未来が、ありありと見える。
(今度こそ、もう、駄目だ)
成す術を見いだせなかったおれは、観念することしかできなかった。
本番直前で、背景パネルを壊してしまえば、もうお終いだ。今から直す時間もないし、おれ自身が怪我をする可能性すらある。
おれが再起不能となれば、サクラコ一人で舞台ができる訳もなく、文化祭実行委員によって舞台の中止が告げられる。
活動実績も、部員も手に入らず。一週間後に迫った期日を迎えて、会長サマから廃部通告書を受け取って。
終わり、か。
(おれ。頑張った、よな?)
全てを諦めたその時、変な笑いがこみ上げてきた。
人間が全てに見切りをつけた時には、笑えてくるものらしい。初めて知ったな、演技でも役立ちそうだ。最も、その演技を披露する機会は、もうないだろうが。
この期に及んで、まだ演技のことを考えているとは。おれも役者の端くれってことか。
もう少し、舞台の上で、演じていたかったな。
「ッ」
パネルはもう眼前だった。
実際は数秒のことだったんだろうが、嫌に長く感じたな。
これが走馬灯ってやつなのかもな。
って、おれ、死ぬの?
いやいやいや。
精々、怪我くらいでしょうよ。
ああ、本当に。
もうちょっとだけ、頑張りたかったな。
廃部なんて、もうどうでも良いからさ。
みんなで舞台、成し遂げたかったな。
喝采なんかじゃなくても良いから。
まばらで良いから。
おれ達の頑張りを。
おれ達の舞台を。
誰かに伝えたかったな。
サクラコ。
ヨルカ。
ボブ。
最後の最後で踏ん張れない。
偉ぶってただけの、こんなおれで。
本当に。
本当、に。
「ごめん、な」
おれは目を閉じた。
この後に起こる現実なんて、見たくもなかった。
「…………」
おれは静かにその時を待ったが。
「……?」
いくら身構えても、一向に何も起きない。誰かの悲鳴が上がったりすることもなければ、身体にパネルがぶつかってくる感覚も、何も。
代わりに聞こえてきたのは、いないと思っていた筈の声。
「危ないところでしたね、新藤先輩」
「間に合った。リョウイチはわたしがいないと、駄目駄目だ」
「えっ?」
恐る恐る目を開けてみれば、後ろにいたのは。
「ボブ、ヨルカ」
「約束通り来ましたよ、新藤先輩」
「衣装もちゃんと渡してきたぜ。流石わたし、ぴーすぴーす」
ボブに肩車されたヨルカが片手でパネルを抑え、もう片方の手でピースをしている姿だった。二人とも、おれに向かって笑いかけてくれていた。
「水無瀬先輩、そのまま抑えててください。いま下ろしますので」
「りょーかい。愚民どもを見下ろす視線とも、これでお別れか」
「そんなこと考えてたんですか?」
おれがへなへなとその場に座り込んだ時、ヨルカもボブの肩から降りた。倒れてくる筈だったパネルはしっかりと支えられた後、ボブによって所定の位置まで運ばれていく。
「ま、間に合ってくれたのは嬉しいけど、なんで肩車?」
「疲れて歩けなくなったから、ボブを足にした。良い景色だったぞ」
「水無瀬先輩のクラスに衣装届けに行ってから、時間がなかったんでそのまま来たんですけど。もうちょい言い方ってもんがありませんかねえッ!?」
急ぐ為にボブを使ったというのは分かったが、他に方法はなかったんか。校内を筋肉モリモリマッチョマンの変態に肩車されて突き進むとか、学校の七不思議にカウントされかねん絵面だ。
「新藤先輩。準備、ありがとうございました。あとはボクと、このマッスルズに任せてください」
後ろを向いて背中全面の筋肉と、尻からハムストリングスにかけての筋肉を見せつけるバックダブルバイセップスのポーズを取った後で、ボブが悠々と準備を始めた。
今、そのポーズを取る意味は、あったのか。お前の筋肉は全体でマッスルズなんて名前がついていたのか。あとはツッコミからボケに早変わりするな、対応が追いつかん。
「リョウイチ、どうせ何も食べてないでしょ。ほら食え、お饅頭だ。今日は特別に、わたしの奢り」
ボブを見送りつつ舞台袖に移ると、ヨルカがポケットからお饅頭を取り出した。美味そう。腹が減っていたおれは遠慮なく受け取ると、包装紙を破いてがっついた。
「う、美味ッ!」
白い生地にこし餡が詰まった饅頭のほのかな甘みが、口いっぱいに広がっていく。美味い、美味すぎる。お饅頭って、こんなに美味かったのか。
「どうだ、美味いか? おかわりも良いぞ」
「おかわりッ!」
「いやしんぼめ」
「リョウちん先輩!」
「うおッ!?」
おかわりの饅頭を口に入れた時、サクラコが飛びついてきた。思わずよろけたおれだったが、お饅頭によってカロリーを接種できたことで何とか踏ん張って、彼女を受け止める。
「良かった、本当に良かった! リョウちん先輩まで何かあったら、あたし」
「心配かけたな。ボブとヨルカには、感謝してもし切れんわ」
「いちゃつくのもその辺にしておけ。もうすぐ開演だ、時間がない」
「ってかヨルカ。お前、声が」
色々あり過ぎてびっくりしていたが、普通に会話できている彼女には更にびっくりだ。今までは電話越しじゃないと、部員がいる前ではロクに話せなかったというのに。
「わたしだって成長期だ。いつまでもぴよぴよしてる、わたしじゃない。ふんす」
薄い胸を張って、無表情のまま得意げなヨルカ。
なんだよ、ちゃんとできるんじゃないか。心配してたおれが馬鹿みたいだったな。
とその時、文化祭実行委員の男子から声がかかった。
「すみません演劇部の皆さん。そろそろ開演となるので、用意をお願いします」
「ぴよぴよぴよぴよ」
「なんも変わってねーじゃねーか」
一瞬で銘菓ひよこ饅頭と化したヨルカを見て、なんか安心した。うん、お前もまだまだこれから、だな。
何はともあれ。ボブのお陰で準備も終わり、おれの腹も満たされた。間に合わないと思っていた面々は全員が揃い、今、開演に臨もうとしている。
おれはみんなに声をかけて、四人で円を作った。開演前に、マモリ部長達がいつもやっていたやつだ。
「色々あったが、みんなで舞台に臨めるのを、本当に楽しみにしてる。もう廃部だなんだは関係ない。ただ、最高の舞台にしたいと思ってる」
おれが真ん中に手を出すと、その上にヨルカが手を置いた。
「わたしも、みんなのお陰で、少しだけ、話せるようになった。もっとみんなと、一緒にいたい」
続けて彼女の手の上においたのは、ボブだった。
「ボクも同感です。ここまで来たら、後はもう楽しむくらいしか考えられません。新藤先輩と水無瀬先輩と瀬川さんと、全力を尽くすのみです」
最後に手を乗せたのは、サクラコだった。
「んん……みんな。本当にありがとう」
喉を軽く鳴らした後に、彼女は小さい声を漏らした。
「迷惑かけて、本番で風邪まで引いて。本当に、良いとこなかったけど……みんながあたしを受け入れてくれたの、本当に嬉しかった。こんな風に誰かと、何かをしたかった。もう真っ白だったあたしじゃない。あたしも、みんなと、もっと一緒にいたい」
彼女の言葉におれは頷き、ヨルカとボブが続いた。
「もし叶わなかったとしても、あたしは一生忘れないから。この日だけで、あたしの人生は虹色だから……今日は、めいいっぱい楽しんじゃお!」
「おうッ!」
「うんっ!」
「もちろんですッ!」
おれ、ヨルカ、ボブと彼女に応えた後、おれは再度声を張った。
「よし、それじゃあ。やるぞ、お前らッ!」
「おー!」
「おーっ!」
「おーッ!」
全員で声を揃えて、気合いを入れた。円陣を終えた後、ボブとヨルカは舞台上部の操作室に、おれとサクラコは舞台の上へと向かっていく。所定の位置についた後、おれとサクラコは視線を合わせて、頷き合った。
直後、文化祭実行委員の司会による、演劇部の紹介が始まる。この幕の向こう側にいる観客のざわつきも収まり始め、開演前特有の静けさが訪れた。
紹介の後にブザーが鳴り、ゆっくりと幕が上がっていく。おれの視界に、暗闇の中で蠢く無数の観客の姿が目に入った。おれ達の舞台は、ヨルカによるナレーションが口火となる。
さあ、やろうか。千秋楽だ。
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