舞台で、待ってる
紆余曲折はあったが、遂に文化祭当日となった。昨日も夜遅くまで確認とリハーサルをしたが、今日も元気いっぱいだ。
朝から各クラスの生徒がせわしなく学校に出入りし、出し物の最後の確認を行っている。ちなみにおれのクラスの出し物は超常現象博覧会とかいう展示会なので、事前に教室の用意をし終えたら特にやることもない。
展示されているのは、粘土板に残された宇宙人の足跡(パチモン)やプロビデンスの目が記された四角錐のペンダント(おもちゃ)などだ、誰得なんだ、この展示会。
そんな我がクラスを放っておいて、おれは意気揚々と部室にやってきた。
いよいよ今日が本番だ。おれ達の公演は昼一番。午前中に一通り最後の確認をしたら、すぐだ。
この前の校内放送の時よりも遥かに用意できたし、みんなやる気だし、プライドをかなぐり捨てたことで公演にだってこぎ着けた。
何もかもが、良い方向に向かっている気がする。ひょっとしたら舞台が大成功して、新入部員が殺到する事態になるかもしれない。
そんなことを考えるくらいには、浮かれていた。
「あっ。り、リョウぢん先、輩」
だから部室に入って最初にかけられたサクラコの様子を、すぐに理解することができなかった。
蒸気して赤くなった頬、流れ落ちている汗、肩でしている荒い息遣い、ガラガラの喉。片方の腕を持って脇を抑えるような態勢でパイプ椅子にもたれかかっている彼女は、酷く弱々しく見えた。
「さ、サクラコ。お前、まさか」
「だ、大丈夫、だがら。ごのぐらいなら、全然」
ピピピピ、っという機械音が鳴った。彼女が脇に挟んでいた体温計を取り出すと、力なく笑っている。おれが彼女から取り上げて確認すると、そこには三十八度五分という数値が表示されていた。
同時におれの頭の中には、喉の調子が悪そうだった先日の彼女の姿が思い出される。
「む、無理だ。こんなに熱があるのに、舞台なんて」
直後、おれのスマホが震えた。何事かと思って左手で取り出してみれば、演劇部のチャットグループにボブからの着信がある。
嫌な予感がした。
だが、出ない訳にはいかなかった。
『すみません、新藤先輩。ちょっと車と、事故に遭ってしまいまして』
「じ、事故? だ、大丈夫なのかッ!?」
スピーカーの向こう側から、ボブの申し訳なさそうな声が聞こえてくる。
『大丈夫です、ぶつかったりはしなかったので。ただその、避けた際に倒れたこともあって、病院で精密検査を受けた方が良いって。元気ですって言ってるんですけど救急隊の人も来てて、そうもいかないみたいで』
無事で何よりな中、おれの背中には冷たいものが流れていた。
内容にもよるだろうが、精密検査等は長いと二、三時間以上はかかってしまう。時計を見てみると、昼一番の公演からはかなりギリギリだ。
最悪は、間に合わない。
何もかもを振り切ってここに来て欲しいという要望が、喉元までこみ上げてきた。
『……みん、な』
とその時、かすれたような棒読み声が聞こえてきた。ヨルカだ。まるで寝起き直後のような様子に、おれは一瞬で察する。
「よ、ヨルカ、寝坊したのか? 大丈夫だ、まだ時間はある。ゆっくり来てくれたら良いさ」
演劇部の衣装にクラスの給仕服に、当選したコスプレイヤーへの衣装まで仕立てていたのだ。
最近、ようやくランニングができるようになったばかりの彼女からしたら、激務という程度の言葉では済まなかった筈だ。相当疲れているに違いない。
『それも、ある。ありがと、リョウイチ。でももう一つ、謝らなきゃいけない。さっきクラスの子が家まで来てくれて、衣装の一つが破れて、駄目になったって言ってた。直さないといけない』
「なッ」
おれの気遣いを受け取りつつ、ヨルカはもう一つ問題を出してきた。
『その子も、凄く、謝ってた。できれば、直して、着せてあげたい』
「間に合いそう、なのか?」
おれの問いに、彼女は答えない。状況を理解するには、十分だった。
その場で膝から崩れ落ちたおれ。スマホを耳元に置いていた力すら失われ、両腕がだらんと身体に沿って垂れ下がる。
サクラコの体調不良に、ボブの事故、ヨルカの急な仕事。
折り重なるようにして訪れた不幸が、最悪の未来はこっちだと指を指している。
「どう、して」
口から漏れ出てくるのは、情けない言葉のみ。部室の扉を開けるまでにあった筈の楽観的な見通しは、いとも簡単に崩れ去った。
内側からあふれ出てくるのは、やり場のない怒りのみ。
どうしてこうなるんだよ。
みんな頑張ってたじゃねえか。
一度は失敗したけど、反省して、仲直りして。
やってやろうって、雰囲気だった筈だ。
ここは何事もなく成功して、みんなでハッピーエンドになるのが。
お約束じゃねえのかよ。
なんだよこれ。
みんなどうしようもない理由で来られなくなって。
できなくなって。
こんなんじゃ舞台なんか、できる訳ねえじゃねえか。
活動実績も、部員も集まらなくて。
演劇部は、結局……。
「なんで、だよ」
気が付くとおれは立ち上がり、壁に立てかけてあった舞台用のパネルの前で力なく立っていた。
目の前に広がるのは、複数立てかけられた背景用パネルの一枚。窓の外に地球が描かれているやつだ。
みんなで作った、大切な背景の一つ。
全員で作り上げたこれも、日の目を見ることはなく、開かずの間で眠ることになるのかと思うと。見ているだけで、涙が出てくる。
いや、演劇部がなくなれば、これも回収されるに違いない。ただの廃棄物に成り下がる。
みんなの頑張りが、ただのゴミに。
「……ッ。あっ、あああッ!」
内側からせり上がってくるものがあった。
押しとどめようとする力が働かないくらい、強く。
空いていた右拳を固く握り締め、おれは振りかぶっていた。
鬱屈した感情が生み出した何もかも、この一撃に込めて。
全力で殴り抜いてやろうとした。
次の瞬間。
「~~~~!」
「ッ!」
無理やり立ち上がったサクラコが、おれの右の手首を掴んだ。
拳は、止まった。
「サクラ、コ」
「はあ、はあ、はあ、はあ、げほっ、げほ」
おれは彼女を見やった。強い力でこそなかったが、しっかりと掴まれている。
彼女は俯き、ずっと肩で息をしたままで、時折に咳込んですらいたが。首を横に振った後で、ゆっくりを顔を上げた。
「…………」
サクラコは何も言わなかった。ただただ縋るような瞳で、おれを見つめてくるばかり。言葉として耳に届くものは、何一つなかったが。
「…………」
彼女の瞳には、百や千の言葉に勝る訴えがあった。
以前喧嘩した際に放たれた大声や、吐き捨てられた一言なんか比べ物にならないくらいの多くが。目は口程に物を言う、とはこのことなんだろう。
彼女の心が、はっきりと感じられた。
おれも静かに、彼女を見つめ返した。
「…………」
「…………」
しばらくの間、おれ達は見つめ合っていた。決してロマンチックなものではなかったが、まるでテレパシーでやり取りしているかのように、互いの言いたいことが手に取るように分かる。
言葉の掛け合い以上の視線の、心の応酬。
「……ありがとな、サクラコ」
「……ううん」
最後におれは、口を開いた。サクラコも、返事をしてくれた。
彼女は手を離し、おれは彼女を介抱して、もう一度椅子に座らせる。その後で再度、左手のスマホを耳元へと持って行った。
「悪い、取り乱した。ヨルカ、ボブ、聞いてくれ」
『は、はい』
『なに、リョウイチ?』
律儀に待ってくれていた二人に、おれは声をかけた。
「まずはボブ、病院でしっかり検査を受けてこい。身体第一だ、何かあってからじゃ遅い。ちょっとでも異常があったんなら、治療が最優先だ」
『えっ? で、でも』
「次にヨルカ」
ボブを無視して、おれは続けた。
「衣装、ちゃんと直してこい。せっかく頼ってくれてるんだ、クラスメイトをがっかりさせるなよ」
『でもリョウイチ。それじゃ準備に行けないし、そもそも間に合うのかも』
「心配するな、準備ならおれがやる。舞台だって、何とかしてみせるさ。お前らは自分のやるべきことを優先させろ。その上で」
おれはそこで、一度言葉を切った。
勢いのままに口を開けば、急いで来い、すぐに来い、なんとしても間に合わせろ、と言いかねなかったからだ。
そうじゃない。
おれが言うべき言葉は、そんなもんじゃない筈だ。
さっきまでの話は何だったのか、ってなっちまうじゃねえか。
ここでおれが、彼らに言うべき言葉は。
「……舞台で、待ってる」
『ッ!』
『っ!』
二人が同時に息を呑んだのが聞こえた。
『わかりました新藤先輩。しっかり検査、受けてきます』
『分かった、リョウイチ。ちゃんと衣装、直してくる』
『『その上で』』
彼らは声を合わせた。
『必ず行きます、待っていてください』
『必ず行く、待ってて』
「おうッ!」
力強い二つの返事を受けて、おれも自然と声の調子と口角を上げていた。通話を切って、サクラコに向き直る。
アドレナリンでも出始めたのか、身体中が妙に軽く、頭の中もクリアだ。お陰で今後の展望が、綺麗に見えた。
やれる。
まだ諦める時間じゃない。
「サクラコ、お前も寝てろ。本番まで、少しでも体力を温存しておくんだ。声は張れそうか?」
「無理、かも。こうやって、小さい声、なら」
「分かった。ならこういう方向で行こう、台本を変えるぞ」
か細い声の彼女に向かって、おれは思いついた内容を説明する。彼女は小さく頷いた。
「これなら大筋の台詞を変えないままに、その声でも納得ができる。むしろ力ない感じを前面に出していこう」
「うん、わかった。やっぱり、凄いなあ、リョウちん先輩、は」
「お前だって十分に凄いさ」
長机を並べて毛布を敷いて簡易ベッドを作り、サクラコを寝かせる。
「時間になったら起こすから、ゆっくり寝てな。後のことは、おれに任せろ」
「うん、お願い。おやすみ、リョウぢん、ぜん、ぱい」
「おやすみ」
サクラコは程なくして寝息を立て始めた。瞳を閉じた彼女の頭を軽く撫でた後で、おれは立ち上がる。
とその時、体育館の方からひと際大きな歓声が上がった。文化祭のオープニングが始まったな。いま館内のテンションは、最高潮に達しているに違いない。
好都合だ。
「よい、しょおッ!」
おれは一人で背景パネルを持ち上げた。まずは背景や大小道具等、舞台に持って行かなければならないものの運搬からだ。
本来ならオープニングを見た後に、みんなで運んでいく予定だったが、いないんなら仕方がない。
逆に言えば、オープニングが始まった今、校内に人は少ない筈だ。これなら大きな荷物を運ぶ際、来場客に迷惑をかけることもない。
畳一枚分くらいのパネルは、背後にある自立用の木柱と相まってそこそこ重い。できれば二人欲しいけども、逆に言えば一人でも運べないことはない。
「くう。こん、のおッ!」
おれは声を上げ、気合いを入れた。早く運んでしまいたい気持ちは十二分にあったが、グッとこらえて一歩ずつ確実に進んでいく。
みんなで作ったこれを、壊す訳にはいかないからな。
「ハア、ハア、よし、まずは一枚」
体育館の裏口に持って行き、ようやく一息つく。午前に体育館ステージを使う他のクラスの用意があったが、幸いなことにまだ余地はあった。邪魔にならず、かつ通行の妨げにならないところにパネルを立てかけた。
近くに来ると、体育館内の熱気が肌で感じられるレベルだった。流行りのダンスミュージックも聞こえてきているから、有志による開幕ダンスは、さぞ見物なんだろう。
本来ならおれもあの中に入り、みんなで気分を盛り上げた後で準備に取り掛かる予定だったにもかかわらず。現実は一人ぼっちで、汗水を垂れ流す羽目になっている。
まだ運ぶものも多く、これからの作業を一人でやると考えると、気が遠くなるというレベルではないが。
「上等ォ」
おれは笑っていた。頭の中にある、みんなの姿。
一人だけど、一人じゃない。身体の何処かが燃えていて、おれに活力を与えてくれている。
これで笑わないなんて、嘘だ。
「絶対に舞台を成功させて見せるッ!」
体育館内の歓声に負けないくらいの大声を上げ、おれは駆け出す。身体はやる気で満ちていた。
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