この前に私が言ったこと、覚えていますか?


 噂の真偽を確かめようと、おれは文化祭の統括本部である生徒会室に向かった。ぞろぞろ行っても効果があるとは思えないし、公演に向けての準備だってあるのだ。所詮は噂だった等と些事であるならば、おれ一人で事足りるのであるが。

 ノックの後に入室してみると、演劇部の部室とは違って綺麗に掃除された部屋が広がっていた。正面には窓があり、左右には茶色のカーテンが留めてある。向かて左側の壁には棚があって、背表紙に書かれた年度別にドッジファイルがキチンと並べられていた。


 中央には入口に開く形でコの字型に長机が配置されていて、向かって左側に咲田が座っている。会長サマは入り口から正面にある、生徒会長用のデスクについていた。

 事務処理用パソコンの前に座り、キーボードの前に広げていた書類から顔を上げる。


「本当です。この前の放送事故を受けて、先生たちの間でも話が出ているみたいです。まあ文化祭というか、しばらく活動自体を自粛させるべきという内容みたいですが」


 おれが話をしたところ、会長サマはしれっと答えてみせた。


「以前の処分も兼ねてという、咲田君の提案です。生徒会長の私個人としての意見も求められてますし、先生方にも回答をしなければならないのですが」


 おれは咲田の方を勢いよく見やった。彼は会長サマの右側の長机についていたが、パイプ椅子にもたれたままニヤニヤとした笑みを浮かべている。長い前髪の合間から、暗い喜びに満ちた目が垣間見えた。


「な、なんで?」

「なんでもクソもないだろう? この前は校内放送だったから、まだ学校関係者だけで済んだけど、文化祭は一般公開されるんだぞ? 近隣住民がたくさん来る中で、あんな醜態を見せられたら学校として困るからねえ。その辺を先生方に、丁寧に説明してあげただけさ」

「ッ!」


 圧倒的な正論。やらかしたこちらとしては全く口答えすることができない内容に、おれは何も言えなくなってしまう。


「あっ、そうか。君たち文化祭に出られなかったら、活動実績が作れないねえ! いやー、ごめんごめん。でもこっちとしても、こういうことしなきゃいけないしさあ」

「じ、じゃあ期間の延長、とかも」

「当初の期間は延長しない。だって規則で決まっているからねえ。だいたい、元はそっちの不手際じゃん?」


 さも、いま気が付きましたみたいな口ぶりの咲田に対して、奥歯を噛み締めることしかできない。握り込んだ拳が震え出すくらい、言いようのないものが漲っている。許されるのであれば、今すぐにでも叫び散らしたい。

 ふざけるな。


 活動自粛になったら文化祭どころか、校内外での公演もできなくなる。

 〆切の延長もないなら、間接的に廃部を決めたみたいなもんじゃねーか。


 お前らが決めた内容をお前らができなくするとか、意味わかんねーよ。

 職権乱用じゃねーか。


 なんの恨みがあるのか知らねえけど、演劇部を潰したいだけなんだろ?

 そうなんだろこのクソ野郎ッ!


「~~~~ッ!」

「あれあれえ? どうしたんだい、顔を真っ赤にして歯なんか食いしばって。気分でも悪いなら、保健室まで連れて行ってあげようかあ?」


 喉元までこみ上げてきた罵詈雑言を、おれはギリギリのところで堪えていた。

 駄目だ、ここで怒鳴り散らしたら相手の思う壺だ。耐えろ、耐えるんだ。安易な行動に出るなって、頭では分かっている、が。


 そんなおれを嘲笑うかのように、咲田は親切心を覗かせている。奴の顔はご満悦いう言葉が印字されているかの如く、ニタニタしたものになっていた。

 思わず咲田に拳を振り上げそうになったが、無理やり後ろ頭を掻いて誤魔化す。会長サマが見ているここで暴力沙汰になれば、一発で廃部だ。


「さあ、話は終わり。さっさと出ていってくれよ。文化祭も近づいてきてて、こっちは忙しいんだ。やることがなくなった、どっかの部活と違ってねえ」


 しっしっと虫でも払いのけるかのように、咲田は退室を促してきた。会長サマも他に話はないと見たのか、視線を落として書類を読んでいる。

 最早この部屋の中で、おれに興味を持ってくれる人間はいない。


 どうする。このまますごすごと帰れば、活動自粛が決まってしまいそうだ。そうなったら、もうお終いだ。

 マモリ部長やその他の先輩方。サクラコにヨルカ、ボブと過ごした部室は明け渡すことになり、開かずの間も含めて綺麗さっぱり掃除される。入ることもできなくなり、二度とその中で笑い合うことはできなくなる。


 部室に集まれなくなれば、学年が違うサクラコとボブとは疎遠になる可能性が高い。サクラコのうるさい笑い声も、ヨルカのぴよぴよも、ボブのマッチョポーズも。何もかもが見れなくなり、おれ達はバラバラになってしまうだろう。

 そうして始まるのは、中学校時代と同じ日常。何もしないまま授業にだけ出て、ただただ学校生活を消化していくだけ。陽キャを憎んで、一人ぼっちで教室の隅っこにいるだけの。


 今考えれば、生きているだけだった、日々。


(嫌だ……嫌だッ!)


 心の中で、はっきりとした拒絶が芽生えた。サクラコが言っていたように、何もない真っ白だったあんな日々は、一度きりで結構だ。

 誰かを羨んで愚痴を吐くだけだった、くだらない人間だった自分には、もう二度と戻りたくない。


 それに。


『リョウちん先輩!』

『リョウイチ』

『新藤先輩ッ!』


 部員たちの顔が頭を過ぎる。おれを呼ぶ声が、はっきりと思いだせる。みんなの頑張りを、無駄にしたくない。

 やっと居場所が出来たんだ。マモリ部長達がいた前の演劇部のような、いや、昔以上におれがおれのままで居られる場所が。おれが本当に望んでいたものが。

 ならば、おれにできることと言えば。


「……お願い、します」

「はあッ!?」


 咲田が素っ頓狂な声を上げた。コの字型に配置された長机の中央にて、おれが膝の後に両手を床につけて。

 頭を、下げたからだ。


「前の反省を、生かして、今、部員のみんなが頑張ってくれて、いるんです。やっと、やっと演劇部に、なってきたんです。やらかしたのは、全部こっちの所為です。迷惑をかけて、本当にごめんなさい。でも、無理を承知で、お願いします。どうか、最後のチャンスを、ください。あと一回だけ、やらせて、ください」


 あの日、ヨシノリ達の前でした以来、人生で二度目の土下座をした。

 全身が、その態勢を拒絶している。ちっぽけなプライドが発狂して身体中に力が入り、歯も食いしばっていたので言葉が途切れ途切れにはなってしまっていたが。ちゃんと、言うべきだと思ったことは、言えた。


 咲田みたいな人を馬鹿にしてくる奴には、絶対に頭を下げたくないと思っていた。

 ヨシノリの時に思い知ったように、頭を下げても駄目なものは駄目。みっともないと笑われるだけであるならば、こんな情けない姿を晒す方が恥だ。土下座なんて負け犬の姿勢だとすら思っている。


 思った上で、全部無視した。

 やめろ、頭を上げろという自分自身の喚きを、聞かなかったことにした。


 おれの頭は今、床にぴったりとくっついていた。


「お、お前。無様だと思わないのか? 必死になってこすりつけて、カッコ悪いとか考えない訳?」


 思ってるよ、咲田。お前の言うことは、全部が正しいわ。

 無様だし、見苦しいし、カッコ悪いと心底思ってる。お前みたいなくだらない人間の前で晒しているのかと思うと、腸が煮えくり返る心地だ。


 知った上で、頼む。

 おれには今、自分のトラウマとプライドなんかよりも、大事なものがある。


 どう思われようが構うもんか。

 耐えて、みせる。


 撤回させて、みせる。

 絶対に、活動自粛になんか、させない。


「……あのさあ」


 やがて、呆れ果てたかのような声が降りかかった。


「びっくりはしたけど、土下座すれば済むとでも思ってんの?」


 咲田が、ハア、とため息をついたのが聞こえた。

 そうだろうな。おれがやったことは、謝罪の誠意を見せただけ。なんの解決策も、具体的な方針も提示しないままに謝ってお願いしているという、ただそれだけのことだ。


「分かって、います。ただ、謝ることから、しなきゃいけないと思って」

「その程度で許される訳ないでしょ。もっと常識的に考えてみ」


 不意に、咲田の言葉が途切れた。同時に、おれの頭に影が差す。

 何事かと顔を上げてみれば、長机を挟んだ向こう側に会長サマが立っていた。冷たい表情を変えないままに、おれのことを見下ろしている。


「…………」

「…………」


 彼女は何も言わずに、おれを見ていた。四角い黒縁眼鏡の向こう側で細められた瞳が、こちらを射抜いてくる。おれの内心を、見極めようとしているかのように。咲田が茶々を挟む隙がないくらいに、真剣に。

 おれもまっすぐに彼女を見返してから、もう一度、頭を下げた。自分の内側の全てを、さらけ出すような心地で。 


「新藤君」


 彼女が口を開いた。


「この前に私が言ったこと、覚えていますか?」


 頭の中にあるこの前の出来事から、おれは内容をまとめていく。


「口先など信じない。言葉ではなく行動で示して、結果を見せてください、ですか?」

「ええ、そうです。よく覚えていましたね」


 どうやら正解だったみたいだ。おれは内心で、ホッと息をつく。


「遅くまで部員達の残って作業していたこと。あなたが今、土下座という行為に及んでいることは、評価します。あなた達は、行動で示したと」

「ありがとう、ございます」

「今日はもう帰ってください。これ以上は、他の仕事に差し支えますので」


 足音が遠ざかっていく。おれが顔を上げた時に、会長サマはもう席につき直していた。


「で、でも、まだ」

「帰ってください」


 書類に目を落とした彼女は、こちらを見ないままにぴしゃりと言い切る。有無を言わせない圧力を感じたおれは、退散するしかなかった。


「失礼、しました」


 最後の最後まで、会長サマがおれを見てくれることはなかった。咲田も彼女の圧力に屈したのか、手持ち無沙汰な感じで居心地が悪そうにしている。おれを見下すような視線だけは、忘れていなかったが。

 二人に背を向けて、おれは生徒会室を後にする。


 放送事故に対する処分として部費を減額するとの通達と共に、演劇部が文化祭で公演しても良いと生徒指導の先生から連絡があったのは、翌日になってのことだった。

 部員達は歓喜し、おれは目を丸くしたが。教室で見た会長サマは普段通り、何一つ変わることのない様子だったが。


 おれは何も言わずに、もう一度、頭を下げた。

 会長サマは、視線を逸らした。

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