クズなんて言って、ごめん、なさい


 通された彼女の部屋の中は、異様な空間だった。

 壁中に貼られている、描かれたイケメンのポスターの数々。漫画やライトノベルが詰め込まれた本棚の上には、所狭しと並べられているフィギュアの群れ。床に積まれている薄い本。机の上には食べかけのスナック菓子の袋と共に大きなパソコンとモニターがあり、その手前には液晶タブレットが鎮座している。


 換気をしていない為か埃っぽく、かつての部室を思い出させる。エアコンがガンガンに効いていて、肌寒いくらいであった。

 いや、別に汚部屋って言う程でもないが。なんて言うかこう、想像していたのと違う。陽キャギャルの部屋という先入観があったかもしれないが、どう見てもオタクの部屋にしか見えない。


 普段の彼女からは、想像もできないくらいに。


「その辺に座って」

「あっ、はい」


 扉を閉めたサクラコの素っ気ない一言に従って、おれは薄い本を踏まないように床に腰を下ろした。部屋の景観に圧された為か涙が引っ込んでおり、先ほどまでの申し訳ない気持ちを困惑が上回っている。

 彼女はパソコンの前にあったゲーミングチェアに腰掛けると、足を組んで横を向いていた。


「……分かったでしょ?」

「えっ? あの、何、が?」


 沈黙の後、サクラコがボソッと呟いた。

 いきなり言われても、何も分からん。


「あたし、根暗なの。オタクなの。陽キャなんかじゃ、ない」

「は? えっ?」


 彼女の言葉に、理解が追いつかない。そう言えば、ヨルカがコスプレイヤーの抽選に当たった時も、こいつは知っているような素振りを見せていた気がするが。


「これが証拠」


 呆気に取られながらおれは彼女を見ているが、彼女は一向におれを見ようとはしない。

 彼女は本棚の一番下にあった一冊のアルバムを取り出してみせた。床に置かれて広げられたページにあったのは、クラスメイトが一人一人個別に写っているクラス紹介のページ。


 その真ん中にいた瀬川サクラコという名前の上にあった写真を、おれは信じられなかった。


「これが、お前?」


 ボサボサの長い前髪であの咲田のように目元を隠し、左右の頬がお団子のようにぷっくりと膨らんでいる。肩幅が膨らんでいて、着ているブレザーはヨレヨレで、口元をぶすっと歪めている、ぽっちゃりした女の子だったからだ。

 いま目の前にいる彼女とは、とても結びつかないくらいの。


「そう。デブで、根暗で、オタクで。誰かに話しかけにいく勇気がなくて、友達の一人もいなくて。教室の隅っこでこっそりお絵描きしてただけの、背景の一つ。何もしてこなかった、真っ白な人間。それがあたし」


 彼女は一息つくと、顔を伏せた。

 いつの間にか、組んでいた足が解かれている。


「人懐っこい笑顔も、何を言われても気にしない高いテンションも、物怖じせずに誰にでも話しかけにいってたのも、嘘。本当は毎日鏡で笑顔の練習をして、言われたことを寝る前に一人でうじうじ悩んで、話しかけにいった後はトイレに駆け込んで、ドキドキしてる胸を落ち着かせながら盛大にため息ついてたのが、本当のあたし……全部、嘘だったの」


 サクラコはそのまま、こうなっていった経緯を話してくれた。

 彼女は元々引っ込み思案で、自分から行く勇気がなかった女の子だった。運動も苦手で、その癖にお菓子は大好きで。みるみるうちに太ったらしい。


 太っているからと、お洒落にも興味を持たず。身だしなみに頓着しなくなったことで、他の女子からも敬遠され。一人で楽しめるもの、漫画やアニメ、ライトノベルなんかにのめり込んでいき、遂には絵を描くようにまでなったらしい。


「でもあたしは、中学校の卒業間近になった時に。早くに卒業アルバムが出来てクラス中に配られた時、あることに気が付かされた。ここ」


 彼女がページをめくり、左上に自由記述欄と書かれた見開きが現れる。そこにあったのは、何も書かれていない真っ白なページ。


「凄いでしょ。ここってさ、本当なら友達とか先生とかから寄せ書きをもらってさ。落書きなんかしてもらったりして、中学校の思い出の集大成になるページの筈なんだよ。少なくとも、あたしの隣の席にいたギャルっぽいあの子は、リカはそうだった」


 話に出てきたリカという女の子は今のサクラコのような外見で、いつも机の周りに人が集まってくるような子だったらしい。

 そんな子がアルバムを広げたままお手洗いに行った時に、彼女はその子の自由記述欄を見てしまった。かわいらしい文字や落書きがぎゅうぎゅうに詰まっている、にぎやかなページを。


 真っ白な自分のものとは違う、思い出が詰めこまれた見開きを。


「三年間もいた学校に、あたしには何も残っていないんだって。あたし自身がこのページと同じく真っ白だったんだって、思い知って……怖く、なった」


 気が付くと、彼女は両手で自分を抱きしめるようにしていた。


「このままあたしは真っ白なんじゃないかって、何もないままに生きて、死んじゃうんじゃないかって思って……本当に、怖かった。嫌だって、思った」


 それから彼女は、変わろうと決心した。

 大好きだったお菓子を止め、苦手だった運動に精を出して、ダイエットを始めた。ファッション雑誌を買ってお洒落を勉強し、漫画を買い集める筈だったお小遣いで洋服を買った。


 リカのように、アルバムが彩られるような子になる為に。


「痩せて、髪の毛も染めて。自分でも見違えるくらいに、リカみたいになれた。彼女の口ぶりも何回も練習して、生まれ変われたと、思った」


 流石に中学校在学中には間に合わなかったが、高校には間に合った。成績の関係で彼女の他に進学する子がほとんどいない隣町の高校を受けていたことも、デビューには持ってこいだったらしい。


「でもあたしは、変わってなんかなかった。新しいクラスで、思いっきり明るく自己紹介して。クラスを仕切ってるトモミも声をかけてくれて、グループにも入れてもらえたけど……本当に明るい子達のやり方を、思い知らされた。あたしがこうしたいなんて、言えなかった」


 満を持して臨んだ新しいクラスの中心的なグループに入れた彼女は、陽キャの洗礼を受ける。グループのリーダー的存在、トモミによる同調圧力だ。

 声の大きいトモミがそうしたいと言えば、そうしなければならない。嫌だなんて言えば、たちまち切り捨てられる恐怖。おれもヨシノリとの一件で、よく知っている。


「このままじゃやりたくもない部活に入れられるって思って、あたしはあの日、他の部活に入る予定なんだって嘘ついて、文化棟に入った。待ってるねー、なんて言われたから、何かの部活には入ってこないとバレちゃうって、焦ってた……その時、生徒会長さんの声を聞いたの」

「それでお前、演劇部に来たのか」

「そう。元の自分みたいな大人しい人が多そうで、なおかつ人の少ない演劇部なら、自分が一番になれるって思った。クラスみんなやトモミにも言い訳ができるし、人が足りないとこに入れば感謝もされるだろうし、何よりも……リカみたいになれるって、思ったから」


 会長サマによる廃部勧告。あれを外で聞きつけたからこそ、彼女は演劇部の扉を開けることを決めた。その場のノリで適当に決めたんじゃなく、しっかりとした打算があった。


「そうしたらリョウち……新藤部長が、来てくれて嬉しい、なんて言ってくれて。そんなこと言われたの初めてで、嬉しくて。ここなら自分を通せるって、リカみたいにできるって、思って」


 彼女がおれに対して壁を作ったことを感じつつ、彼女がずっと演劇部内で色々と進めたのも、合点がいった。

 かつて憧れた女の子のように、彼女は他人にあだ名をつけたり、自分であれこれと仕切ってみたりしたかったのだ。大人しい人間の中で上に立ちたいのではないかという、当初のおれの偏見は当たっていたのだ。


 だから、と彼女は続ける。


「謝ってもらうことなんかない。だって、新藤部長の言う通りで……ごめんなさい」


 一瞬、おれの顔をみたサクラコは、椅子から降りて床に座ると、深々と頭を下げた。


「練習しなくて、ごめんなさい。勝手なことして、ごめんなさい。迷惑かけて、ごめんなさい。嘘つきなんて……クズなんて言って、ごめん、なさい」


 しゃくり上げながら謝罪を口にしていく彼女。


「クラスの子にも、トモミにも笑われて。演劇部のみんなにも、迷惑かけて。あたし、もう、学校になんか行けない……あたしが全部、駄目に、したんだ。こんなこと、しなきゃ、良かった。デブで根暗なまま、大人しく、隅っこで生きてたら、誰にも迷惑、かけなかったのに。演劇部になんか、来なきゃ、良かったのに……あたしこそ、本当に最低で、クズで、あっ、あああ!」


 あの喧嘩の最中でおれが放った言葉は、図らずして彼女の急所を突いていたことも分かった。丸めた背中を震わせている姿は、とても痛々しい。

 おれは彼女に対して、強烈な既視感を覚えていた。


 同じだ。

 彼女はおれと、全く同じ。


 ヨシノリのようになりたいと思って真似ていたおれと、リカという子になりたくて真似ていた彼女。

 何にもなれなかった自分を変えたかったという動機から、今回みたいな失敗まで。


 真逆だと思っていたのに、毛嫌いすべき対極の存在だと思っていたのに。

 蓋を開けてみれば、おれと彼女は何から何まで一緒だった。


「サクラコ、お前」


 まるで自分の生き写しみたいな彼女だから、その内面が手に取るように分かる。喋る前に一度、おれは目を閉じた。

 ここでどんな言葉をかけるべきなのかを、彼女の今までの行動に照らし合わせて考える為に。


 思考を巡らせることしばし。

 おれの口から出てきたのは、びっくりするくらいシンプルな言葉だった。




「ありがと、な」

「!?」


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