廊下で泣かれるとか、迷惑だから


 電車に揺られて約三十分。たどり着いたそこは、白泉高校がある地元とは雲泥の差であった。

 改札を出てみれば、華やかな店が立ち並ぶ駅前。人でにぎわっており、タクシーも客を乗せては降ろしてと引っ切り無しに客が入れ替わっている。近くにあったコンビニを外から覗いてみれば、レジの前には人が並んでいた。


「ここが、サクラコの住んでる街なのか……いかんいかん。先生は、っと」


 周囲の活気に目を奪われていたが、遊びに来たんじゃないとおれは首を振った。

 顔を上げてみれば、サクラコの担任である中年の男性は、スマホを見ながら歩き始めている。つかず離れずの距離で、おれはその後を追った。


 ボブからサクラコの不登校を聞いた後、おれは彼女の家まで行くことを決意した。電話越しに済ませるようなものじゃないと、確信があったからだ。

 しかし、肝心の彼女の家の場所が不明だ。昨今では個人情報保護がどうだと、安易に住所を知ることはできない。


 そこでおれは、サクラコのクラスの担任が毎日彼女の家を訪問しているという情報をボブから聞き、尾行することにした。クラスから不登校者が出たということで、担任はかなり頭を悩ませているらしい。自分の所為なので申し訳なさが半端ないが、今回に限っては利用させてもらおう。

 歩くこと、約二十分。担任は大きなマンションへと入っていった。ここがサクラコの家か。


 一階はロビーとなっており、正面にはマンションへ通じるもう一つの入り口。その床の壁に設置されたパネルにて部屋の番号を押し、インターホンを鳴らす。部屋の主とのやり取りでオッケーが出ると自動扉が開き、部屋に向かえるという構造みたいだった。マンションの住人と思われる人々は、持参した鍵でもって自動扉を開けていた。

 担任の入力を見て部屋番号まで確認したおれは、しばらく外で待っていることにした。今行って担任と鉢合わせたら、色々と面倒だからな。一時間以上待つことになったが、担任がマンションから出てきた。肩を落としていたことから、成果は見込めなかったと見える。


 彼の姿が見えなくなった頃、おれは一階のロビーに舞い戻って、彼女の家と思われる部屋のインターホンを鳴らした。他の人が自動扉を開けた時に入り込むこともできなくはないが、おれは営業でも宗教の勧誘でもない。

 ちゃんとした用事があるなら、正面から行かなければ。


『はい、瀬川ですけど』


 スピーカー越しに聞こえたのは、年上の女性の声だった。多分、サクラコの母親だ。


「はじめまして。おれ、新藤リョウイチと言います。サクラコさんが入っていた演劇部の、部長です」

『部長さんが、わざわざ来てくれたんですか? ありがとうございます、サクラコの母です。でもすみません、娘はまだ部屋から』

「単刀直入に言います。サクラコさんが引きこもってしまったのは、おれの所為なんです。今日は、謝りに来ました」


 おれは彼女の母親に、淡々と事情を話した。


「本当に申し訳ございませんでした。会えなくても構わないんです。ただ扉越しでも良いから、謝罪できないかと思いまして」

『…………』


 話した後、おれはその場で頭を下げていた。こっちの姿が見えているのかは分からないが、誠意が伝わるようにしておくべきだ。ここで門前払いされる可能性だって高い。

 サクラコの母さんはしばらくの間無言であったが、やがて自動扉が開いた。


『どうぞ。くれぐれも、無理やり部屋から連れ出したりはしないでくださいね』

「ありがとうございます」


 お礼を言って自動扉をくぐり、エレベーターでもって五階へと上がった。

 彼女の家は501号。玄関のチャイムを鳴らすと、スピーカーから出ていた声の持ち主である、彼女の母親が出迎えてくれた。


 黒い髪の毛は一まとめのおさげにしており、右肩から前へと垂らしている。薄黄色の縦セーターに、青いジーンズ姿。綺麗だなと思う人だったが、その顔やつれていた。

 彼女に案内されて向かったのが、細いフローリングの廊下を歩いた先、彼女の部屋の前だ。扉には鍵がかかっているが、声は聞こえる筈だとのこと。


「どうかよろしくお願いします」


 深々と頭を下げて、彼女の母親は居間へと戻っていく。

 引きこもった娘をかなり気に病んでいるのが、手に取るように分かった。今は藁をも掴む思いなんだろう。さもなければ、アポなしでいきなりやってきたおれみたいな人間を家に上げたりはしない。


 一度呼吸を整えたおれは、息を吸い込んだ。


「サクラコ、いるか? おれだ、リョウイチだ」

「!?」


 おれが声をかけると、部屋の中から積んでいた本が雪崩れ落ちたような盛大な音がした。

 彼女がいる、起きている。


「一応チャットは入れておいたが、見てくれてた、か? 今日は言いたい事があって来た」

「!? !?」


 人が動いている気配がある。慌ててスマホでも確認しているのか。まあひょっとしたら、通知を切られていたかもしれんな。この前のヨルカの謝罪チャットだって、既読がつかなかったんだし。


「その、話ってのは、な。あの、あー、なんだ」


 いよいよだと思ったその矢先、途端に言葉が出てこなくなった。

 ここが初めての場所ということもあるが、あれだけ罵倒を言い放った相手への言葉ということで緊張が高まり、身体の動きを鈍くしている。


 おれは口を閉ざし、もう一度、息を吸い込んだ。深呼吸すれば落ち着くという目論見は、そこまでの効果を現わしてくれない。


「あー、その。えーっと」


 悪いのは自分。そう思っていても、扉越しとはいえいざ彼女と相対したら、あの時の激情が蘇ってくる。

 ヨルカとボブの時とは違い、喉が鳴らない。代わりに、なんで自分が謝らなければならないのか、という疑問が次から次へと浮かんでくる。昔からずっと内面に蓄積され続けてきた陽キャへの嫌悪感が、待ったをかけていた。


 何をされたのか忘れたのか、お前には嫌う権利がある。自分は被害者だ、加害者は向こうだ、という思いが捻られた蛇口のように流れ落ちてきて。

 遂には自分は悪くない、謝るのは彼女の方だ、なんて思いすら芽生えていた。


(違うッ!)


 思いっきり、おれは首を横に振った。同時にその場で手と膝を床につく。

 そうじゃない、そうじゃないんだ。


 マモリ部長に背中を押されたことは、ヨルカとボブに言ったことは、嘘なんかじゃない。

 本当に言わなければならないことは。


 おれが一緒に舞台をやりたいと思ったのは。


「……悪、かった。酷いこと、言って。本当に、すまなかっ、た」

「…………」


 途切れ途切れになりながらも、おれは口を動かした。

 吸い込んだ息を吐きだした時、声帯は謝罪の言葉を奏でてくれた。


 サクラコからの返事はない。


「おれ、さ。昔、こんなことが、あったんだよ」


 一度口を開いてしまえば、後は何とか絞り出すことができた。

 陽キャ嫌いになった昔について。サクラコは悪くないのに、おれが一方的に嫌っていた原因だ。これを説明しない訳にはいかない。


 そして、もう一つ。おれはサクラコに言わなければならないことがある。これはヨルカやボブ、マモリ部長にすら言っていないことだ。

 恥ずかしくて、情けなくて、ずっと言えなかったこと。


「それに、さ。おれ、お前に……嫉妬、して、たんだ」

「!?」


 扉の向こうから、息を呑んだかのような音が聞こえる。

 言わなきゃいけない。


 どうしておれが彼女に対して、冷たい態度を取り続けていたのか。

 おれの勝手な都合で傷つけたサクラコには、説明しなければならない義務がある。


「言い合いの中で、個性派俳優って言ったの、覚えてるか? 個性派俳優ってのは独特の個性を持っててさ、役柄を自分に引き寄せる役者のことなんだ。憧れのマモリ部長なんかもそうでさ、ああなりたいって、ずっと思ってたけど……おれには、無理だった。凡人のおれじゃ、存在感を出すなんてできなかった。だけど、お前は違った。お前は舞台に立つと、役柄であるのにサクラコでもあれる。おれは、心底羨ましかった。自分じゃどう頑張っても身に着けられない才能が、羨ましくて羨ましくて……勝手に、ムカついてた」

「…………」


 隠していた、自分の中の情けない部分。

 口に出してみれば、これほどアホなこともなかったなと、自分で笑えてくる。


「馬鹿だろ? 陽キャだって見下してた一方で、お前の才能には嫉妬してたんだぜ? その結果があれだ。おれはお前とちゃんと向き合うこともしないままに遠ざけて、傷つけた。全部、おれが、悪かったんだ」


 いつの間にか、声が震えていた。

 おれの眼下に移るフローリングの床が、湿っていく。


 言えば言う程に自分が情けなくなっていって。

 愚かしい涙が、止まらなかった。


「ごめん、ごめん。本当に、ごめん。陽キャなんかよりも、よっぽど、おれは最低だ。お前の言った通り、クズだ、クソ野郎だ。本当、本当に」


 その時、不意に、風が吹いた。

 異変を感じて涙目のままに顔を上げてみれば、目の前の扉が開いている。


「……入って。廊下で泣かれるとか、迷惑だから」


 向こう側にいたのは顔を背けたままでいる、黒いスウェット姿の彼女だった。

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