嫌いな奴でも、大義名分があれば傷つけて良いなんて誰が決めた


 放送事故から一週間が経とうとしていた。おれはまだ、性懲りもなく演劇部室に来ている。最早習慣と化しており、放課後になって気が付くとここにいた。我ながら、あきれ果てたことだ。

 今日でもう、この部室もなくなるというのに。


「静か、だな」


 おれは独り言を言いながら、手に持ったA4用紙に目を落としていた。

 始末書というタイトルが書かれたその書類は、事前に印刷されている以上の記載がない。書き方を調べることもせず、部活動名を書く欄すら空白のままであった。


 提出期限は今日だ。この夕方、会長サマが帰宅するまでにこれを書いて出しに行かなければ、演劇部は終わりを迎える。

 にもかかわらず、おれは書類に何一つ記載をしていなかった。


「見納めになるのか」


 始末書を机の上に置いた後、おれは軽く周囲を見やった。

 相変わらず埃っぽい部屋の中には、汚れ以上の思い出が残っている。目を閉じるだけで、ありありと思い浮かべることができた。


 ここに入部しに来たこと。

 マモリ部長らと出会ったこと。


 演じてみて、初めて褒められたこと。

 サッカー部との合コンのセッティングをさせられたこと。


 先輩方の喧嘩の仲裁をしたこと。

 深夜までかかって台本の構成を話し合ったことまで。


 その他にも、たくさん。


「ッ!」


 頭の中の思い出は、すぐに直近のものへと移っていった。会長サマと咲田が来たあの日から始まった、新しい演劇部の日々が。

 いなくなった彼らの思い出が、次々と思い返されてしまい、先輩らとの日々を上塗りしていく。


『やろうよやろうよ、即興劇エチュード! 絶対絶対面白いって!』


 サクラコがバンザイしていたこと。


『ぴよぴよぴよぴよーっ!』


 ヨルカがひよこ饅頭になっていたこと。


『ボクが目指してるのはミケランジェロなんで』


 ボブがポーズを決めていたこと。

 勝手に次々と思い返されていき、おれは勢いよく首を横に振った。


「あー、ったくもうッ!」


 後から後から、彼らの声が頭の中に響いてくる。幻聴だと分かっているのに、彼らの声は耳に刻まれたかのように鮮明だ。

 あれからずっと忘れたいと思っているのに、彼らとの日々が脳みそにこびりついている。授業で習ったことは三歩歩いたら抜け落ちる癖に、本当に忘れたいことを忘れてくれないクソみたいな脳みそだ。


「……もう、帰るか。ここにいても、辛いことばっか」

「ハァーイッ! お久しぶりぃ、元気にやってるぅ?」


 一人で静かに終えようと思っていたら、快活の良い声と共に勢いよく扉が開かれた。ビクッと身体を震わせた後、おれの頭の中にはただ一人の存在が思い浮かぶ。

 こんな挨拶をしてやってくる人に、心当たりはただ一つ。


「ま、マモリ部長」

「あっれー、リョウイチだけじゃん。他のみんなはどったの?」


 オレンジ色のパイナップルヘアーを揺らしながら、キョロキョロと辺りを見回しているマモリ部長だった。手に持っているのは寿司折りであり、中央上部から伸びている紐を人差し指と親指で掴んでいる。チョイスが昭和くさい。

 彼女を見た瞬間、こみ上げてくる熱いものを我慢できなくなった。


「マモリ、部長」

「ん? なんだリョウイチ。お前、泣いて」

「マモリ部長ッ!」

「うおっ!?」


 無縁慮のままに、おれはマモリ部長に飛び込んでいた。こらえることが、できなかった。


「ご、ごめ、ごめんな、さい。おれ、おれ。ぶ、部長から引き継いだもの、全部」

「……よしよし、分かった分かった」


 いきなり迷惑をかけたにも関わらず、何かを察したらしいマモリ部長の声色は、柔らかいものだった。そんな彼女の様子に、目が潤んでしまう。


「まずは泣け。涙が出なくなるまで泣け。んで、気が済んだら全部話してみな。全部ったら全部だよ。アンタがなんで自分を隠すようになっちゃったのか。今、何が起きているのか。全部な」

「は、はい。はいぃぃぃ」


 みっともない顔を隠しもしないまま、おれはマモリ部長の胸の中で泣いた。

 泣いて、泣いて、泣きぬいた。


 その間、彼女は優しく頭を撫でてくれていた。子どもをあやすように、優しく、丁寧に。彼女の手は差し込んでくる斜陽の陽と合わせて、とても温かいものだった。

 ひとしきり泣きはらした後、おれは自分の過去のことから順番に、マモリ部長に対して話していった。



 何もかもを話し終わった後、おれは再び泣き始めていた。


「おれ。駄目、でした」


 流石にマモリ部長に抱き着き続ける訳にもいかず、今はパイプ椅子で向かい合って座っている。手の震えは止まらず、目から涙も流れ落ちていくばかりだ。


「初めて、だったのに。おれのこと、褒めてくれて。切り捨てたりせずに、ずっと一緒にいてくれて。マモリ部長が、先輩方だけが、おれの居場所だったのに。残してくれたものを、おれは守れません、でした。部員はみんな逃げて、会長サマから見下されて、咲田には馬鹿にされて。おれ、おれ」

「なーるほどねえ」


 何も言わずに聞いていたマモリ部長は、そこでようやく口を開いた。


「人によってキャラを使い分けるのが、アンタの身を守る術だったのか。道理で最初から役に成り切れる訳だよ。いつもしてることの延長線上なら、造作もなかったってことだね、納得納得……リョウイチ」

「な、なんですか?」


 一度言葉を切ったマモリ部長は立ち上がると、おれの目の前で仁王立ちした。腰が引ける思いをしていたその時、彼女の口から鋭い言葉が放たれる。


「歯ぁ食いしばりなッ!」

「ブハァッ!?」


 言葉と同時に、思いっきり頬を叩かれた。平手打ちはおれの左頬を容赦なく打ち抜き、首が右向け右を強制される。


「演劇舐めんじゃないよ、このクソガキッ!」


 叩きつけるようなマモリ部長の声が、おれの鼓膜を震わせる。


「アンタがどんな思いでやってきたのかは、よーく分かった。同情する部分だって、ないことはない。だけどね、だからと言って来てくれた部員をヨイショした挙句、失敗の責任をなすりつけたのは許さないよッ!」

「お、おれは、そ、そんなつもりじゃ」


 マモリ部長はおれの胸倉を掴み上げ、強制的に目と目を合わせてくる。

 痛みと気まずさから逸らしたいなんてもんじゃないのに、揺れているオレンジ色の髪の毛の合間から見える強力な眼光が、おれの視線を釘付けにしていた。


「嘘だね。アンタは部員を逃したくないっていう下心で、悪いことを見逃してた。サクラコの言う通りだよ。お遊戯会くらいしかやったことない素人が、知ってる訳ないじゃないか。本気で誰かに舞台を見せたいのなら、やっちゃ駄目なことや公演前の態度については、経験者のアンタが厳しく言っておくべきだった。その程度で逃げるような奴は演劇部には要らない。人様の時間をもらって自分たちの演技を見てもらうのなら、そのくらいの覚悟を持って当然なんだ」


 マモリ部長は、ともすれば反感すら抱かれかねない言葉を平気で紡いでいく。この人が演劇に本気だということが、目と耳から分かる。


「それを部員の所為にして悪態を吐きまくった挙句、女の子を泣かせただあ? アタイがいつそんなことを教えたッ? 嫌いな奴でも、大義名分があれば傷つけて良いなんて誰が決めたッ? 言ってみろッ!」


 おれは何も言えなかった。彼女の言うことは全てが正しくて、耳が痛くて仕方がない。


「……アタイはずっと、アンタが心配だった。アタイは、アタイ達はアンタと同じだったから」


 急に、マモリ部長の声色が弱々しいものになった。


「アンタがアタイ達をずっと見てたように、アタイ達もアンタのことを見てた。たった一人の後輩だったからね、当然さ。アンタがずっとアタイ達に合わせてくれていたのも、知ってた。教室で静かにしてるアンタを見た時に、確信したからね。その上で、アタイ達はアンタに何も言えなかった。たった一人の後輩にヘソを曲げられたら、演劇部がなくなっちゃう。ヨイショしてたのは、アタイ達も同じなのさ。偉そうに説教しておきながら、恥ずかしいったらないよ」


 自虐的に笑っている彼女を見て、おれはあの頃のことを思い出していた。

 ずっとおれのことを可愛がってくれていた先輩方らも実は、おれと同じ思いを持っていたんだって。今になって知った。


「それでも、アタイは言わなくちゃいけない。卒業して嫌われても良くなってから言うなんて小狡い、とか思われようが。後を引き継いでくれたアンタが間違ってるんなら、叩いてでも止めてあげる。演劇に対する情熱だけは、嘘でもなんでもないから。アンタは大切な後輩だから……ただ」


 マモリ部長は立ったまま、座っていたおれの頭を抱きしめてくれた。


「リョウイチ、お前はどうしたい? もう演劇が嫌になったってんなら、アタイは止めない。このまま演劇部がなくなっても、そういう運命だったってだけだ。アタイは怒ったりしないよ。大切なのは、アンタがどうしたいかだ。どうだ?」

「おれ、は」


 彼女の言葉を受けて、おれの中で反射的に蘇ってくる光景がある。


『新藤先輩、見てくださいこのアニーとクララベルをッ!』


 一番目立つポーズを見せつけてくる、目立ちたくない後輩。


『リョウイチ、お饅頭を所望する。ぴよぴよ』


 人前だと途端にひよこ饅頭と化す幼馴染。

 そして。


『リョウちん先輩ッ!』


 毛嫌いしてたのに、適当に扱ってたのに。誰よりもまぶしい笑顔でおれに笑いかけてくれた、彼女。

 思い出されるのは、彼女と初めてやった即興劇エチュードの時のこと。


 そうだ。

 あの時おれは、頬を叩いてまで目を背けたことがあったじゃないか。


 それに、さっきから引っ切りなしに思い出される、彼らとの日々。


 拭いきれない思い出が、ずっと残っているという事実。

 ここから導き出される結論は、何も難しい話ではない。


 彼女と一緒に舞台に立って。

 彼らと一緒に部活ができて。


 おれは、本当は。

 本当、は……。


「おれ、は。みんなと、サクラコ、と。また……舞台、やり、たい……あんなんじゃ、終われ、ない」


 かすれた声が自分の耳に届いた時、マモリ部長はにっこりと笑ってくれた。


「それで良い、それで良いんだよリョウイチ。よく言った。アンタは強い子だ」

「マモリ、部長ォォォッ」


 限界を超えたおれは、再度彼女に縋り付いていた。


「ごめ、ごめんな、さい。情けない後輩で、卒業してまで迷惑かけて、本当に、ごめんなさいッ!」

「アタイこそごめん、ごめんな。一人で辛かったよな、苦しかったよな? ちゃんと先輩できなくて、本当にごめんな」


 頭の上に、水滴が垂れてくるのを感じる。彼女に釣られて、おれまで目頭が熱くなっていた。

 二人して泣き腫らした後、顔を合わせたおれ達は頷き合った。


 その後、おれはマモリ部長の指導の下で急いで始末書を書きなぐり、生徒会室に駆け込んだ。帰り支度をしていた会長サマの眼前に、容赦なく叩きつける。


「時間ギリギリですし、これで間違いがありましたら通しませんよ」


 帰り間際に頼んだこともあって、会長サマはものすごく不機嫌であったが。演劇部の不始末を捌きまくっていたマモリ部長指導の下で書かれた始末書は、まるでお手本のように体裁が整っており。

 確認し終えた会長サマは渋々ながらも受領したのであった。これで演劇部の存続は首の皮一枚繋がったな、流石はアルティメット部長。


「で、どうするんだい。まずはみんなに謝りに行くんだろうが。しんどいなら、アタイも一緒に行こうか?」

「いや、おれ一人で……って、あれ?」


 生徒会室から部室に戻ってきた時、部屋に誰かがいることに気が付いた。

 こんな遅い時間に誰か。マモリ部長と目を合わせてから扉を開けてみると、そこにいたのは。


「あっ、新藤先輩。と、大日方先輩も」

「あう……ぴよぴよ」


 こちらを見てから気まずそうに目を逸らしたボブと、何か言おうとして結局ひよこ饅頭になったヨルカの二人だった。

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