……クズ


「リョウちん先輩、経験者なんでしょ? 部長なんでしょ? こうなるかもしれないって、想像してたんでしょ? なんでやろうなんて言ったの?」

「あ、あれは、な」


 反撃を喰らうと思っていなかったおれは、一度口ごもったが。その程度で引き下がることもしなかった。


「お、お前らがやる気だと思ったからだよ。新喜劇みたいに、その気になれば一週間でも舞台をやることはできる。あの時はみんなちゃんと協力してくれると思ってたから、何とかなると思ってたんだよ」


 それがなんだと、おれは続ける。


「肝心の役者は部活に来ない。舞台美術は適当で、衣装だってその場しのぎ。なんだよこれ。お前らが真面目にやってくれると思ってたから、おれは了承したんだぞ。おれはお前らのこと、信じてたんだぞ?」

「嘘ばっかり!」


 サクラコはおれの言い分を叩き斬るような声を上げた。


「リョウちん先輩、マモマモさんが来た時から、あたしに冷たかったじゃん。話してても、舞台に立ってても素っ気ないままで。あたしのことなんか見てくれてなかったじゃん!」


 手痛い言葉が、おれの耳から心を揺さぶってくる。

 ずっと気づかれていなかったと思っていた本心を、見透かされていた。


「一人で演劇なんかできないって言った癖に、役に成り切れる完璧な演技ができる癖に。あたしには何にも教えてくれなかったじゃん。みんなを信じるなんて言った癖に、みんなに対して何もしてなかったじゃん……壁を作って一人でやってたのはリョウちん先輩の方じゃん!」

「ッ!?」


 立ち上がって両手を握りこんでいるサクラコの瞳は、厳しい形をしていた。

 ぶつける筈の言葉を搔い潜って、真正面から返されたクロスカウンターのような一喝。実際に殴られた訳でもないのに、おれは少しフラついてしまっていた。


「あたし達は何も知らないんだよ。素人なんだよ。なんで簡単に別人になれるリョウちん先輩みたくできると思ってたの? ちょっと褒められたからって、あたしが同じレベルな訳ないじゃん。個性派俳優? そんなの、あたし知らない!」

「い、い、言わないで教えてもらえるなんて思うなッ!」


 おれは声を張り返した。負けて溜まるかという意地が、顔を覗かせている。


「知らないなら知ろうとしろよ、なんで勝手に教えてもらえる前提なんだよ? 練習にだって満足に来なかった癖に、その埋め合わせをしようともしなかった癖に。誠意を見せてねえ分際で、一方的に被害者振るんじゃねえッ!」

「自分だってこっちに関わってこない癖に。リョウちん先輩の方が、言われないとやらなかったんじゃないの? だいたい、全校生徒の前であたしにセクハラしておいて、謝罪の一つもない訳? 信じられない!」

「あ、あ、あれは事故だっただろうがッ! 道具も衣装も雑だったから倒れちまった訳で、おれだけの所為じゃ」

「はあ? 自分は悪くないとか言うの? 言い訳する前にまずは謝るのが誠意ってもんなんじゃないんですか~? 頭も下げない癖に、誠意がないのはどっちですか~?」

「テメェ、ふざけんじゃねぇぞッ!」

「きゃあ!?」


 諸々に耐えかねたおれは、サクラコの胸倉を掴み上げた。


「……元からおれは、お前のことが気にくわなかったんだ」

「な、何よそれ。気にくわないって、何が」

「お前みたいな陽キャが心底嫌いなんだ!」


 おれは吠えた。

 頭の中に思い出されているのは、昔の記憶。


 自分が一番辛かったあの時の思い出が、勝手に彼女と重なっていく。


「自分たちの都合だけで周りを引っ搔き回して、思い通りにならなかったらあっさりと切り捨てるゴミ。こっちの気も知らないで、言いたい放題しやがって。今までのやり取りはなんだったんだよ、ああッ!?」


 目の前の彼女が、違う人間に見える。年も性別も全く違って、今日の事件には全然関係のないあいつの姿と重なっていく。

 おれのことを切り捨てやがった、ヨシノリに。


「おれはずっと我慢して合わせてきてやったってのに、たった一回で全部おじゃんか? 人があれだけ努力したってのに、お前はその程度にしか思ってなかったってのか? ふざけんじゃねーぞッ!」


 あの時言えなかった全く関係ない不満が、ここに来て爆発する。

 こいつが誰であろうと、もうどうだって良い。


 押し殺してきた、秘めてきた全てを、ただただ全力でぶつけるだけ。


「必死こいて取り繕って、演じて。みんなに合わせようとしてるってのに。嫌なことだってずっと飲み込み続けてるってのに。人の頑張りを認めようともしねえで、なんも考えねぇで能天気に振舞って、自分をさらけ出して認められてるお前が。心底気にくわなかったんだッ! このクソ野郎ッ!」

「あたしのこと知らない癖に、知ったような口を利くな!」


 サクラコに吠え返された。

 腹から出ているその声は、今日一番の大声と言っても過言ではないくらいだった。


「なんにも考えてない? 能天気? 自分をさらけ出してる? バッカじゃないの、ホントに何にも分かってない! そっちの色眼鏡で、あたしのこと勝手に決めつけんな!」

「ん、だと、テメェ」


 内心で、おれはまだ怒れるのかと自分で感心さえしていた。怒りがとぐろを巻く様にして渦巻き、更に高められていくような心地がある。


「あたしがどれだけ苦労してるのかも知らない癖に、どんな思いでいるのかも分からない癖に……自分をさらけ出せないでいるのがどんなに辛いことかも、知らない癖に!」

「お前なんか、お前なんか」


 おれは全くと言ってよい程、彼女の話を聞いていなかった。

 言葉は耳から入ってきていても、頭が理解しようとしない。


 こちらが放った怒りに対して反撃されたという不満が、正常な知覚を塗り潰している。

 湧き上がってくるものを盛大にぶちまけてやろうと、おれは大きく息を吸い込んだ。


「お前なんか来なきゃ良かったんだッ!」

「っ!」


 ひと際大きな口で、大きな声を上げた後、不意に演劇部室内が静まり返った。

 風の音も虫の鳴き声すらも、耳に入ってこない。


 もちろん、サクラコからの反撃も。彼女は目を見開いたまま固まっていた。


「……なんで、そんなこと言うの?」


 彼女がか細い声を漏らす。

 直後、日光を遮る分厚い雲でも現れたのか、室内が一気に薄暗くなっていき、彼女の顔にも影が差していた。落ち込んでいく彼女の内心を見せつけられるかのような有様に、おれはピクリと身体を震わせる。


 あたしは、と彼女は続けた。


「あの人ならこうするって思って、ああなりたくて。もしかしたら、叶うんじゃないかって、思って。もう昔のあたしじゃないんだって、証明したくて。あたしはただ、ただ」

「さ、サクラコ?」


 まだ言い合いが続くと思っていた。烈火のような口撃の応酬が続くと思っていた。ここでしおらしくなられるなんて、思ってもいなかった。


 次に彼女が零した一言が、解き放たれた矢の如く突き刺さる。




「来てくれて嬉しいって言ってくれたリョウちん先輩の役に、立ちたかっただけなのに」

「ッ!?」




 想定外の一言。不意打ちで後頭部を殴りぬかれたかのような感覚が、おれの身体から力を奪い取っていく。

 掴み上げていた手は徐々に高度を下げ、彼女の制服は指の間からするりと抜け。いつの間にか、両手はだらんと垂れ下がっていた。


「嘘、だったんだ」


 静かなサクラコの一言が、耳に刺さって抜けない。


「嬉しいなんて言った癖に、マモマモさんとは全然違う態度で、おかしいと思ってたんだ。やっぱり、嘘ついたんだね。人の好意を踏みにじって、挙句の果てには全部こっちの所為にするなんて……最低」


 目に涙を浮かべながら、サクラコの瞳はおれを射抜いてくる。


「噓つき、噓つきぃっ!」


 先ほどまでの勢いはどこへやら。おれは微動だにできないまま、彼女を見返すことしかできなかった。


「……クズ」


 侮蔑の一言がおれの全身を震わせた後、彼女は部室から飛び出していった。


「うわぁッ!?」


 開け放たれた扉の向こうから、男子生徒の声がした。先生に呼び出されていたボブだった。

 飛び出していったサクラコに呆気に取られたのか、彼は扉の向こうで尻もちをついたまま、茫然とおれのことを見ている。


「あっ、いや、その。ぬ、盗み聞きするつもりはなくて、ぼ、ボクは」


 我に返ったボブが、しどろもどろになっていた。こいつの言い分で、先ほどまでのやり取りの全てを聞かれていたと、おれは理解する。

 おれがあいつのことを、悪く言ったことも全部。


「っ!」


 直後、開かずの間が勢い良く開け放たれた。飛び出してきたのは藍色のウルフカットを揺らした小さな影、ヨルカだ。あいつまだ、あの中にいたんだった。

 おれは、あいつのことも悪く言った。


「す、す、すみませんでしたーッ!」


 ヨルカの足音が聞こえなくなったくらいの頃。ボブも慌てて立ち上がり、行ってしまった。大柄な彼の足音は大きく、一踏み一踏みが廊下を震わせているような気すらしている。

 そんな音すらも聞こえなくなった後、訪れたのは静寂だった。未だに外の風音すら聞こえない、不気味な静けさ。


「…………」


 おれは一人で立ちつくしている。

 半開きになった口から何も言葉を発することができず、その場から足を動かすことすらできず。まるで風景の一部になったかのようであった。


 ――キーンコーンカーンコーン。


 昼休みが終わり、授業開始の鐘が鳴り響く。

 おれにとっては、何もかもの終わりを告げる音。


 失敗した舞台。

 生徒会からの通達。


 喧嘩。

 いなくなった部員。


 残されたのは、おれだけ。


「終わっ、た」


 やっと喉が震えてくれた時、おれは何もかもを諦めることしかできなかった。諦めざるを、得なかった。

 鐘は未だ、うるさいくらいに鳴っている。


 空に差した影は、消えない。

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