や、ややや、やって、み、みる
あっという間に日にちは経っていき、いよいよ校内放送での公演日となった。昼休みに活動するということで、おれ達演劇部の面々は授業を途中で抜け、準備にあたっていた。
公演に使う場所は、いつもの演劇部の部室だ。遮光カーテンで窓を隠して電気を消すことで、暗闇を作り出すことができる。開かずの間に眠っていた照明で照らせば、そこはもう舞台だ。
今回の場面は宇宙船の中だ。カーテンの一角を窓ガラスに見立て、拡大印刷したフリー素材の星々の画像を張り付けた。舞台上には直方体と立方体の白い木箱が置いてあり、他には何も用意されていない殺風景なもの。
この二つの箱が何の役割を果たしているのかと聞かれたら、おれには口ごもる自信がある。何もないのも悲しいので、ボブが見つけてきたものをとりあえず置いてみました以外の答えはない。
箱もオンボロだったが、ボブは「このくらいなら大丈夫ですよ」と身体をやや前に倒しながら、首周りにある僧帽筋や肩、腕の太さをアピールするモストマスキュラーのポーズで言っていた。箱じゃなくてお前が大丈夫じゃないわ。
「いや~、遂に本番か~! 緊張してきちゃった!」
「全然そうは見えんわ」
いつも以上に元気なのがサクラコだ。昼休み前に昼食を終えた彼女は今、身体を光沢のある水色のボディースーツで覆っている。
彼女の役割は宇宙人だ。開かずの間に眠っていたこれを見つけた時、宇宙人ならピッチピチのボディースーツでしょ、という創作物における謎のお約束が全員の頭に過ったことで、この衣装となった。
身体のラインがはっきり分かる格好なので、彼女の抜群のプロポーションがこれでもかと強調されている。
「でもこれ、ちょ~っと胸元がキツいんだよね~!」
「おいヨルカ、直したんじゃないのか?」
おれは部室内にいたヨルカに目をやった。彼女はピクリと身体を震わせると、スマホを取り出してせっせとスワイプを始める。
『ちゃんと直したけど、それ以降に成長されたお胸様に対しては成す術がない』
「こんな短期間でデカくなんのか?」
『高校生という高度胸囲成長期を舐めない方が良い。わたしもまだ発展途上』
「お前の成長期は、もう終わったと思うがな」
『宣戦布告と受け取った』
「つーかおれの衣装も、ズボンの裾が長えぞ」
『折ってのり付けしてある。時間がなかったから応急措置だけど、激しく動かなければ問題ない』
「ま~最悪見えちゃっても、ニップレス張ってるから無問題~」
「あっそ」
胸元をちょんちょんと引っ張っているサクラコに、気のない言葉を投げるおれ。ちなみにおれの格好は黒い迷彩服である。宇宙人の彼女に対して、地球人代表として立ち向かったというシチュエーションだからだ。
「あれあれ~? リョウちん先輩、もしかしてポロリとか期待しちゃいました~!?」
「してない。変なこと言うなよ」
「って言うか、最近リョウちん先輩、冷たくない!? な~んか、素っ気ないって言うか!」
「別に。勝手にそう思ってるだけだろ」
「ほらほら、そ~ゆ~ところ~!」
本番前で、練習もまちまちで、おれは緊張と不安でいっぱいだと言うのに。この知能Sサイズの陽キャは全く物怖じしていない。いつもよりもうるさいくらいだ。
なんだコイツ、緊張感って単語が辞書から欠落してんのか、可哀そうに。
いや、本当は分かっている。こういう能天気な奴の方が本番でも緊張がなくて、自然な演技ができるんだ。マモリ部長だって、早く舞台に出たいと本番前はずっとうずうずしていた。
前部長の姿が目の前の彼女と重なって、おれの眉が勝手にひそめられる。
「知るかよ、最後の読み合わせをやるぞ。じゃあ最初からな。えーっと」
「し、新藤先輩ーッ!」
おれが脚本を読み出そうとしたら、急に扉が開かれた。入って来たのは日焼け肌を持ったスキンヘッドの筋肉ダルマ。
「どうしたボブ。本番前のこのクソ忙しい時に、クララベルがどうとか戯言抜かすんなら……」
「違うんです先輩。実はボク、昼休みに先生に呼び出されちゃって」
「は?」
後輩の口から出た言葉が、おれは信じられなかった。
「よ、呼び出されたって。お前、何したんだよ?」
「い、いや、その。この前、通ってるジムの手伝いをした時にお小遣いをもらったんですけど、誰かが見てたらしくて。学校に無許可でバイトしてるんじゃないかって、生徒指導の先生から」
いつもの様子からして、ボブは百パーセント善意で手伝いをしたんだろう。それを踏まえた上で、ジム側もせめて何かお礼をと金を渡したに違いない。そういう時に限って学校関係者に見つかるとか、不運以外の言葉が見当たらないのだが。
「ナレーションはどうするんだよッ!?」
不運なのはコイツだけではない、おれ達もだ。この少人数でナレーション役が欠けるとか、致命傷以外の何物でもない。
「み、水無瀬先輩、代わっていただけませんか?」
「ぴ、ぴよーっ!?」
ボブが白羽の矢を立てたのはヨルカだった。
彼女は今回の舞台での照明担当であり、カメラの後ろに座って伸ばした延長コードのスイッチを入れるだけの仕事だ。台本片手にやるので、物理的に不可能ということはない。
「ぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよっ!」
だが簡単に引き受けてくれるヨルカではない。
必死になって首を横に振っており、絶対無理と言っているのは分かるが、いい加減人間の言葉を話して欲しい。
「本当にすみません。全部ボクが悪いんです。終わったら水無瀬先輩の好きなお饅頭、たくさん用意しますからッ!」
「ぴ、ぴよ~」
ボブが頭を下げ、ヨルカから困ったような鳴き声が聞こえてくる。
彼女としても力になりたいとは思ってくれてはいそうだが、演劇部の面々に慣れて来たとは言え、まだ彼女は仲間内で話せるレベルには達していない。
しかもこの後、放送部の人達がカメラを持って演劇部にやってくる予定なのだ。ほぼ初対面の人間を前にした彼女は、ひよこ饅頭になるしかない。饅頭がナレーションなんて、まず不可能だ。
知った上でも、彼女に頼らざるを得ない状況だ。他に部員はいないし、撮影にきた放送部の方々にお願いするなんてもっての外だ。
彼女の事情を知っているおれからしたら無理強いなんざできないとは言え、かと言ってどうしたら。
「あ~……じゃあヨルヨル先輩、開かずの間で喋ったら良いんじゃないですか?」
不意に、サクラコが手を叩いた。顔を上げてみれば、胸の前で合掌している彼女がニカっと笑っている。
「あそこならマイクの電波も届くし、延長コードを伸ばせば照明のスイッチも入れられる。ヨルヨル先輩も顔を合わせなければお喋りしてくれますし、扉の隙間をチラーっと開ければ舞台も見えるからタイミングも分かるし!」
「な、なるほど」
サクラコの提案に、おれは思わず頷いた。その方法なら彼女の事情も考慮しつつ、ナレーションも担当できる。いま取れる手立ての中では、最上の方法じゃないか。つくづく、サクラコが絶好調であることを思い知った。
あとは。
「ぴ、ぴよぴよぉ……」
当の本人次第だ。顔や名前を出さないにしても、校内放送でのナレーションは間接的に全校生徒の前で話す行為に等しい。大勢の前で恥をかいたヨルカにとって、かなり辛いことに変わりはないだろう。最悪はあの時みたいに、塞ぎ込んでしまうかもしれない。
「い、いや。やっぱヨルカに無理強いさせるのは駄目だ。おれとサクラコの台詞を追加して、何とか調整を」
「や、ややや、やって、み、みる」
おれが代案を提示しようとしたその時、ヨルカ自身から声が上がった。おれは目を丸くした。
「ヨルカッ!? い、いやお前、無理したら」
これ以上は厳しいと思ったのか、彼女はスマホでのチャットに切り替える。
『やってみる。どうせ顔は見えないし、名前も出ない。普段喋ってないから、声を聞かれてもわたしだって分からない』
「だ、だけどお前」
『頑張るって、決めたから』
おれの声を遮るかのように、チャットが送られてくる。
『サクラコさんの言う通り、開かずの間の中なら誰もいないし、家で一人でいる時と同じ。ずっと見てたから、脚本の流れも知ってる。わたしがやる』
だが、おれは見てしまった。ヨルカの手元が、震えていた。
「……本当に良いんだな?」
『良い。リョウイチこそ、トチらないか心配』
見て見ぬふりをして念押しをしたら、彼女は強がった。
正直、不安は拭えないが、時間的に他の手立てを考える暇すらない。
「おれの心配なんざ百年はえーよ。頼んだぞ、ヨルカ」
『合点承知の助』
「ほ、本当にありがとうございます水無瀬先輩ッ! お饅頭、いっぱい買ってきますのでッ!」
『長谷屋の一番良いのを頼む』
「了解です、瀬川さんもありがとうございましたッ!」
「いえいえ~!」
ボブが垂直に近い角度まで頭を下げていた。ヨルカもしっかり一番高いお饅頭を所望している辺り、調子は良さそうだ。よし、何とか形は取り繕えそうだ。
直後、授業終了の鐘が鳴った。合わせて職員室からの校内放送がかかり、宗像ササエは生徒指導室まで来るように、というお達しがある。そういやボブの源氏名はそういう感じだったな、一瞬誰か分からんかった。
「じゃあ、行ってきます。すぐに戻ってきますのでーッ!」
呼び出しを受けた直後、ボブは筋肉を躍動させながら演劇部室を後にした。時間か、最後の読み合わせもできんかった。
若干の悔しさを残しつつも、おれはサクラコとヨルカと三人で円陣を組み、真ん中に手を置いた。
「ギリギリまでアレだったが。何はともあれ、おれ達の初めての舞台だ。気合い入れて、やってやろうかッ!」
「お~!」
「ぴ、ぴよーっ!」
声を合わせた後、ヨルカは台本と延長コードを片手にそそくさと開かずの間に入っていくと、入れ替わるようにして放送部の人達がやってくる。おれとサクラコは放送部の人と最後の打ち合わせをした。
いよいよ開演だ。おれとサクラコはスマホをサイレントモードにして近くの机に置き、所定の位置へと向かう。先に向かった彼女の後を追って、おれも舞台へと歩み出した。
ふと、視界に入ったものが頭に引っかかる。
気のせいか。舞台の方に歩き始めた彼女は、右手と右足を一緒に出していたように見えた。
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