最悪はおれが何とかしないとな


 夢見が悪い日は、どうにも良くないことばかりが起こる。まずは校内放送公演の日程についてだ。

 知り合いの放送部員と話をつけてくれたサクラコであったが、なんとこちらの希望日が生徒会の予定とバッティング。おれも話に加わることになり、会長サマの元へと訪れた。


「駄目です。こちらの予定は春先に決定した、年間スケジュールによって決まっています。変更することはできません」


 放送部からはそれ以外だと学園祭以降になりそうと聞いたので、融通してくれないかとも訴えたが。ただの定期報告放送にもかかわらず、会長サマは駄目の一点張りで取り付く島もなかった。校内放送が上手くいけば活動実績として認めてくれる、との言質だけは取ったが。

 結果、校内放送での公演は五日後となった。


 おいおいちょっと待て。五日って、吉本新喜劇でももうちょい日程に余裕あるぞという強行日程だ。名うてのプロよりも更に厳しいスケジュールで、初公演のおれ達が成功させられるのか。おれは大きな不安に苛まれていた。

 とは言え、決まったのであればやらなければならない。ここで中止にすれば放送部にも迷惑がかかるし、咲田辺りがこれ幸いと難癖をつけてくるのが目に見えている。


 やらないという選択肢はない。

 にも関わらず。


『ごめん、リョウちん先輩~。この前に来られなかったお爺ちゃんが、ウチに来ることになっちゃいました。なので今日はお休みしま~す』

「お、おい、サクラコッ!」


 二つ目はこれだ。あっさりと切られたサクラコからの電話に、おれはスマホを凝視することしかできなかった。

 演者のお前がいないんじゃ、稽古もへったくれもねーじゃねえか。一応、ナレーションを担当するボブがいるので、何もできないこともないが。肝心な舞台に立つ彼女との練習ができないのは、単純に困る。


 時間も限られているので一日が惜しいのに、おれは強く言えなかった。下手なことを言って彼女の機嫌を損ねたくなかったからだ。

 大嫌いな陽キャではあるが、演者の彼女なくして公演の成功はない。無論、おれ自身も全力で臨むつもりだが、パッと見の良さという観点からすれば、誰もが彼女を選ぶだろう。


 あのルックスと演技は、彼女にしかない。あと一人の部員を呼び込むためにも、ここは無理やりにでも不満を飲み込むのが吉の筈だ。

 おれはため息を吐きながらスマホをポケットにしまい、ダビデ像を目指す後輩へと目をやった。


「ボブ。なんか使えそうな道具はあったか?」

「いやいや新藤先輩。酷過ぎますってこの倉庫、何年掃除してないんですか」


 三つ目はこれ。道具を作る時間すらなく、開かずの間となった倉庫から何か使えそうなものはないかを探してくれと後輩に頼んだところ。ボブが倉庫を見て、唖然としていた。

 先輩らの負の遺産を掃除したい気持ちは山々であっても、舞台背景に使う大きいパネルなんかもあって、おいそれと引っ張り出せるようなもんでもない。


 こういう時こそ筋肉自慢の彼にうってつけだとは思ったのだが。


「って言うか、先輩だって掃除をサボってたんでしょう? なんでボク一人で歴代の先輩方の尻拭いしなきゃいけないんですか。このアニーとクララベルを良いように使おうたって、そうは行きませんよ」


 こちらの思惑を見通しているのか、ボブは手の届きそうな範囲しか探してくれなかった。


「お、おれも悪いとは思ってるけどよ。せっかくの公演なんだし、みんなで頑張って」

「みんなは一人の為に。一人はみんなの為に。なんて、戯言です」


 ボブは真顔だった。


「中学校の体育祭でした。ボクが頑張ればみんなの助けになれるって、同じクラスのみんなに頼まれて張り切って、体育祭で優勝して……どうなったと思います?」

「ど、どうって。感謝されたんじゃないのか?」


 おれの答えに、ボブは静かに首を横に振った。


「違います。もうアイツ一人でいいんじゃないかなって言われたんです。ボクはみんなの為にって思ってたのに、みんなはボクのことを、敬遠してたんです」


 ボブは顔を俯けた。彼の彫りの深い目鼻立ちに、影が差す。


「一人で頑張って、成し遂げて、目立った結果。はいはい、お前だけの頑張りでしたねって、言われたようなものだったんです。感謝も称賛もない、白けた顔。振り返ってみれば、どの競技でもボクが頑張っている中、他の仲間はやる気を出してなかった。どうせボクが何とかしてくれるからって、丸投げしてたんです……それに気づいた時、酷く虚しくなりました」


 何となく、思い当たることがあった。

 ヨシノリとつるんでいた小学校時代。おれとアイツで率先して色々やるようになると、他の面々はどうせやってくれるからと意欲を無くしていく。


 協力するのではなく尻馬に乗るような形で、結果のお零れだけをもらうようになるのだ。

 できる人間に寄りかかっていく、その他大勢。


「一人はみんなの為に、みんなは一人の為には、ボクのトレーニングを見てくれているジムトレーナーの口癖です。力をつけたのなら、みんなの為に使いなさいって、いつも口酸っぱく言っていました。ボクも守っていきたいと思っていたのに……みんなの為にと尽くしても、こんな思いしかできないなら。頑張らなくても良いんじゃないかって、思いませんか?」


 ボブの言葉に、おれは何も返せなかった。


「縁の下の力持ちとして頑張りますって言ったのは、本当です。でもそれは、面倒くさいことがあった時に都合良く使っても良いっていう免罪符じゃありません。やれる範囲で、掃除させていただきます。良いですか?」

「ま、まあ全部掃除しなくても良いから、使えそうなもんだけ探してくれ」

「わかりました」


 ボブ自身のトラウマに関わってきそうな内容だったので、なおさら強く言えなかった。おれが陽キャを毛嫌いしているように、こいつにはこいつで思うことがある。

 否定したり、目を背けて無理やり命令したりすることは、おれにはできない。


「で、でよ。ヨルカは今日も来てないのか?」


 話題を変えようと、おれは声を少し張った。

 四つ目の良くないことがこれだ。今演劇部室内にいるのは、おれら二人だけ。サクラコとは違ってヨルカは衣装担当であり、ミシンが部室にないのでいなくても仕方ない部分はある。


 そうだとしても、当選したと喜んでいたあの日から、一回も来なくなったというのはいかがなものか。彼女には当日の照明もお願いしているというのに。


「水無瀬先輩なら、さっきチャットが来てましたよ」


 ボブに言われて演劇部のグループチャットを見てみれば、そこにはネット上でだけ饒舌な彼女がいた。


『このフリル可愛い。絶対にあの人に着てもらう』


 写真付きでピースをしている彼女に対してイラっとしたおれは、速攻でグループ内で通話をかけた。程なくして参加してきたのは、ボブとヨルカの二人。


「おいヨルカ。まさかコスプレの方しか作業してねーんじゃねーだろーな?」

『舞台衣装の方もやってる。ボブが使えそうな衣装見つけてくれたから、サクラコさん用にサイズ調整するだけだし。こう見えて、結構忙しい』


 耳に当てたスマホから、ヨルカの棒読み声が聞こえてくる。彼女自身もだいぶ演劇部員に慣れてきたのか、顔を合わせていなければ他のメンバーとも会話ができるようになった。

 面と向かってはまだ無理でも、最近は口頭での冗談も飛ばせるようになってきている。ぴよぴよ言っていた頃に比べれば、かなりの進歩と言えるだろう。


「ちゃんと寸法まで計ったのか?」

『見れば分かる。わたしの目力によれば、多分九十センチのEカップ』

『ちょっとヨルヨル先輩~! 乙女の秘密を流さないでくださいよ~!』


 いつの間にか、サクラコも通話に加わっていた。お前、家の用事あるんとちゃうんか。


「良い胸囲ですね。鍛えれば、もっと筋肉がつきそうです」

『ヨルヨル先輩。このセクハラ筋肉をどうしましょうか?』

『市中引きずり回しの末に磔獄門』

『それだ!』

「やっぱりボクに対しての当たり、ちょっと厳し過ぎやしませんかねえッ!?」

「…………」


 いつものノリで会話を繰り広げている部員達に対して、おれにはこみ上げてくるものがあった。

 ボブ、喋る暇があるなら掃除してくれ。ヨルカ、お前忙しいんじゃないのか。あとはサクラコ、電話する余裕あるなら来て練習しろ、と。


『あっ、そうだ。リョウちん先輩に聞きたいことがあったんだった。最後のシーンでの台詞の言い方なんだけど、マモマモさんの話じゃ……』

「知るかよ、マモリ部長のやり方で良いだろ。じゃあな」

『えっ? ちょ、リョウちん先輩!?』


 言いたいことは山ほどあったが、おれは何も言わなかった。自分の頭をガリガリと搔いて適当に通話を切り上げると、一人で発声練習へと移る。

 サクラコとヨルカはいないし、ボブは舞台に立たないので一人ぼっちだ。長音、短音と続け、一番最後には外郎売をやった。マモリ部長に言われた内容を、忘れる訳にはいかない。


「上げねばならぬ、売らねばならぬと、息せい引っぱり、東方世界の薬の元締、薬師如来も照覧あれと、ホホ敬って、ういろうは、いらっしゃりませぬか」


 長科白を終えてみれば、部室内は静寂に包まれていた。顔を向けてみればトイレにでも行ったのか、ボブの姿すら見えない。

 少し前まではあんなに賑やかだった演劇部室が、まるで去年に戻ってしまったかのようだった。


「あー、ったく」


 おれは再度、頭をガリガリと掻いた。何もかもが上手くいっているようで、どこか歯車がかみ合っていないもどかしさを覚える。それこそマモリ部長らがいた時は、公演一週間前なんてピリピリしていたものだ。

 全員出席が当たり前で、繰り返し繰り返し通しでリハーサルをして。ほんの些細なことでも気になったのなら、全員が納得するまでとことん議論を交わす。


 作成した大小道具や舞台背景、衣装合わせなんかもして自分達のイメージに相違がないか。実際にカメラを通した時に違和感がないかを逐一確認し、時には喧嘩にすら発展して、本当に息をつく暇もないくらい忙しかったのに。


「大丈夫だ、必ず成功する」


 あの頃と今のギャップを感じつつも、自分に言い聞かせるように口に出す。諸々の不安はあるが、全部が思い通りになる訳もないし、サクラコだって絶好調なんだ。

 上手くいくだろ、絶対に。


「最悪はおれが何とかしないとな……ったく、クソがよ」


 ボブがハンカチで手を拭きながら戻ってくるまでの間、おれの口から漏れていたのは何に対してか分からない悪態だった。

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