ハァーイ、お前らッ! 元気にやってるぅ?


 おれとサクラコの即興劇エチュードが終わって、みんなで感想を言い合おうとしていたその時。部室内に響き渡ったノック音に、全員が扉の方へと顔を向けた。


「失礼します。生徒会長の上代です。お話していた通り、視察に来ました」

「まーだ一人ぼっちでやったりするのかなあ?」


 入ってきたのは毅然とした態度の会長サマとその後ろでこちらを小馬鹿にしている咲田だった。おれはすぐに対生徒会モードに切り替えると、いつものように下手に出る。


「あっ。ど、どうも。ご、ご無沙汰してます」

「あ~! 生徒会長と副会長さんだ~! やっほ~、瀬川サクラコで~す!」

「ぴ、ぴよぴよぴよぴよ」

「お客さんですか? 少し待ってください、いま脱いでますので」

「「ッ!?」」


 おれに続いて元気よく挨拶したサクラコの他、ひよこ饅頭モードに入ったヨルカと上半身裸のボブを見て、二人は目を丸くしていた。

 今度は上腕三頭筋を強調するサイドトライセップスのポーズか。こいつがいつも熱く語っている所為で、ポーズ名を覚えてさえいた、不覚。


「へ? へえ? な、なんだい君達はッ!?」


 咲田が素っ頓狂な声を上げている。

 なんだかんだと言われたら、答えてあげるが世の情け。常識人のおれと知能Sサイズの陽キャ、銘菓ひよこ饅頭と通りすがりのダビデ像だ、覚えておけ。


「あ、新しい部員です、三人も集まってくれて。た、確か規定人数って、五人でしたよね?」

「え、ええ、そうですけど。こんな短期間に四人になっているなんて」

「じ、じゃあ、あと一人ですね。こ、公演は文化祭でやれば良いですし」


 確認するかのように聞くと、会長サマが戸惑い気味に頷いてくれた。

 ははは、どうだ。その様子だと、おれが全く人数も集められていないと踏んでいたな。ざまあみろ。


「だ、だけどなあ。人数ばっか揃えても、活動実績がなけりゃ話は別だからなッ!」


 動揺しつつも声を荒げている咲田。余裕のない言い方は間違ってこそいないが、無様にしか見えない。小物は慌て方まで小さいな。


「咲田君の言う通りです。活動実績をしっかり残してもらうこと。まだ規定の五人に達していないのですから、しっかり人数を集めてくださいね。行動してくれていることは評価しますが、条件と期限を変えることはありませんので、そのつもりで」

「わ、分かりました、が、頑張ります」

「では、今日はこの辺りで」


 会長サマは咲田共々、さっさと出て行った。


「副会長さん、前髪長いね~。前見えてるのかな?」

「ぴよぴよぴよぴよ」

「いや、副会長の骨格なら鍛えれば良いガタイが手に入りそうですよ。猫背を矯正して、是非下半身から鍛えて欲しいものですね」


 反応もまた、三者三様である。こんなアホ共をまとめられるのは、おれのような真人間しかいない。

 いつだってまともな奴が苦労するんだ。馬鹿共は悩みがなさそうで良いよな。


「ったくよお。じゃ、即興劇エチュードの見直しするぞ」


 悪態を吐きつつも、おれは肩の力を抜く。なんだかんだでにぎやかになった演劇部。先輩らといた時とは全然違う様相を呈しているが、これはこれで悪くないのかもしれない。

 無意識のうちに、口元が緩むのを感じていた。


「ハァーイ、お前らッ! 元気にやってるぅ?」


 とりあえず録画確認を再開させようとした時、再度部室のドアが開かれた。

 今度は誰だと面倒くさげに、しかし態度には出さずに振り向いたおれの顔に、一気に歓喜が満ちていく。

 胸くらいまであるオレンジ色の髪の毛を、頭の上で一括りにして全方向に散らしたパイナップルヘアー。こちらに向けられた翡翠色の瞳。腕まくりをした白いシャツに、青いジーパンとスニーカー姿。


 おれの記憶のままでいてくれた、尊敬する彼女。


「マモリ部長ッ!」


 ビデオカメラを机に置いたおれは、真っ先に前部長である大日方おびなたマモリの元へと走っていった。


「いよっ、リョウイチ。元気そうだねー、良かった良かった」

「ああ、すみません、来てくださるのすっかり忘れてましたッ! 今お出しできるようなものがなくて……粒あん饅頭は好きですか?」

「ぴ、ぴよぴよーっ!」


 後ろからヨルカの「それ、わたしのお饅頭」と言いたげな鳴き声が聞こえた気がしたけど、多分気のせいだ。


「気にするなって。お土産持ってくっつったろ?」

「そうでした、ありがとうございますッ! 今お茶淹れますねッ!」


 おれは先輩から菓子折りを受け取ると、さっさと部室の片隅にあったポットを確認した。クソが、これじゃ足りねえ、補充しなきゃ。あとは歓待の用意だ。


「サクラコ、ポットに水入れて来てくれ」

「えっ。あっ、はい」

「ボブ、机椅子を並べ替えるぞ。マモリ部長に座ってもらうからな」

「わ、わかりました」

「ヨルカ。この菓子折り並べるの手伝ってくれ。饅頭もセットでな」

「ぴよぴよーっ!」

「わーっはっはっは。相変わらずだねえ、リョウイチは」


 手際よく指示を出している中、マモリ部長は豪快に笑っていた。

 ああ、昔と何一つ変わっていない彼女の笑い方。おれは心の底から安堵するのと共に、来てくださった嬉しさで顔が緩むのを抑えることもしなかった。



 椅子に座った全員の目の前に並べられたお茶と、マモリ部長持参の煎餅に元はヨルカの粒あん饅頭。スマホを見たら『弁償しろ』と彼女からチャットが来ていたので、いいねを押しておいた。


「で、他のみんなには自己紹介が遅れたね。アタイは大日方マモリ。この演劇部の前部長さね。今は隣町の大学一年、現役の女子大生だぞー」


 マモリ部長の言葉を機に廃部になりそうな現状なんかも併せて、自己紹介が一通り終わった。ちなみにヨルカは、スマホで挨拶のスタンプを送っている。


「マモリ部長は演技、脚本、舞台装置、大小道具、演技指導から生徒会への始末書までだいたいこなせてな。部員からはアルティメット部長って呼ばれてて」

「おいリョウイチ。その呼び名初めてきいたぞ、んんん?」

「不完全なのは男関係だけで、ずっと合コンしてるのに未だに彼氏ができな」

「歯ぁ食いしばれ」

「いた、痛い痛いッ! 部長、待って待って、頭絞まってますからッ! また合コンで失敗したんですかッ!?」

「締めてんだから当然だろ、ってか余計なことまで言わんで良いッ! 失敗したんじゃなくて、アタイに見合う男がいなかったってだけだッ! 決して合コン後に送ったまた会いましょうのチャットを、既読スルーされた訳じゃねーからなッ!」


 言葉の端々から男日照りの香りがするマモリ部長である。相変わらずだ。演劇に関しては一流と言っても過言じゃないのに、男関係はサッパリなところとか特に。


「ん? どうしたんだ。サクラコまで静かなんて珍しいな」


 二人でわいわいしていたら、他の部員が妙に静かなのに気が付いた。ヨルカは仕方ないし、ボブもこういう時は謙遜するだろうが。

 対人の距離感がバグっているサクラコまで静かなのは、意外だった。てっきり陽キャは、こういう時もぐいぐい来るもんだと思っていたのだが。


「あ~、ね。その。リョウちん先輩がなんか違い過ぎて、こう」

「今まで見たことない感じだったんで、筋肉たちがびっくりしちゃいまして」

『尻尾振ってる犬にしか見えない』

「そうか?」


 おれは首を傾げたが、三人からの視線はなんだお前、という感じだった。解せぬ。あと誰が犬だ、このひよこ饅頭。喰っちまうぞ。


「あー。コイツ、人によって性格使い分けてるだろ」


 何かを察したマモリ部長は、おれを指差している。


「アタイもこいつのクラス行った時には、びっくりしたわ。てっきり、アタイ達の前での姿が素なのかと思ってたら、あんな静かにしてるとは」

「相手に合わせるなんて当たり前じゃないですか。教室で目立っても、良いことないですし」


 サクラコやマモリ部長なんかは自分のキャラ全開で押し通せるが、おれみたいな人間はそうはいかない。

 陽キャの前、会長の前、部員達の前、マモリ部長達の前で、一番ウケの良さそうなキャラになる。受け入れられない人間は、相手に合わせるしかないからな。


「……あたしが来た時、こんなに喜んでなかったくない? まさか」

「ま。そういう奴だと思って付き合ってやってくれ。あとは、ありがとな、みんな」


 サクラコが何か呟いていたその時。突然、マモリ部長が三人に向かって頭を下げた。驚いた彼らだったが、一番驚いていたのは他の誰ならぬおれだった。


「アタイ達がいなくなってからさ、リョウイチ、一人ぼっちだったから。たまに顔出したりはしたが、卒業しちまったらそうはいかない。可愛がってた後輩の危機に、アタイ達は無力だった。助けてくれてありがとな」

「い、いや~、それほどでも~!」


 調子を取り戻したらしいサクラコが、大げさに照れてみせている。


「あたしも演劇やってみたかったですし、たまたまですよ~。リョウちん先輩だってあたし達を入れてくれた訳ですし、お相子ですって~」

『買収された(お饅頭)』

「瀬川さんがやってると聞いて知っただけですし、ボクも目立たない裏方とか興味があったので。この腹筋以外は、大したことじゃないですよ。うーん良いねえ、今日もキレてるねえ」


 ヨルカはせっせとチャットを打っていたが、人聞きが悪いったらない。要求したのはお前だろうが、人の所為にすんな。

 立ち上がったボブはしれっと脱いでいる。今度は腹筋と脚を強調するアドミナブル・アンド・サイのポーズだ。


「そっかそっか、良かったわ。いやー、アタイが来た時も一人ぼっちだったら、どうしようかと思ってたわ」

「じゃあ何で多人数用の煎餅なんか買ってきたんです?」

「いたら分けられるし、いなかったら二人で食ったら良いだろ」


 雑ではあるが、一応考えていたらしい。経験上、この人は思いつきに後付けで理由を付与している可能性が高いので、一概には言えんが。


「んで、今は即興劇エチュードやって、脚本考えてるんだってな。ちょっと見せてよ」


 ここまで来て、ようやく当初の目的であった今日の振り返りが出来そうだった。部室の灯りを消してカーテンを閉じ、ビデオカメラをプロジェクターに繋げてみんなで目を向ける。

 今日の即興劇エチュードは辛気臭い洋館が舞台で、サクラコがお嬢様役、おれが執事役だった。


『お~っほっほっほ! このお紅茶が最高ですわ~!』

『お嬢様。馬鹿が滲み出ておりますので、もう少々淑女らしい振る舞いをお願いいたします』

「…………」


 あれだけ声の大きかったマモリ部長が、一言も発さずにおれとサクラコの即興劇エチュードを見ていた。彼女の表情は、真剣そのもの。雰囲気に押されたのか、場に静かな緊張感が走っていた。

 即興劇エチュード自体は二人の会話劇で進み、実は二人とも幽霊だったみたいなオチで終わった。これはどうにも収拾がつかなくなりそうだったので、おれが無理やりねじ込んだオチだった。


「……ふーん」

「な、なんですか~?」


 上映が終わって電気を点けた後。マモリ部長はサクラコの顔をしげしげと眺めていた。視線を受けたサクラコが、落ち着きなく身体をゆすっている。


「サクラコ、だっけ。演劇とか、やったことあったのかい?」

「い、いや別に~。幼稚園のお遊戯会とかはありましたけど、ちゃんとやったことはなかったかな~」

「そうかいそうかい……面白いね、アンタ」

「ッ!」


 マモリ部長の言葉に、おれは息を呑んだ。

 目の前の景色が一気に凍り付いていき、世界から熱が失われていくような心地がある。凍り付いた世界には亀裂が走り、そのまま崩壊していくのではないかと思えた。


 部長は面白いという言葉を、よっぽどの時にしか使わない。舞台を見に行った時も、こうして誰かの演技を見た時も。「まあまあだったね」くらいに言い放っているのが彼女だった。

 マモリ部長が「面白い」と言ったのは、覚えている限りでは一度だけ。世界で賞を取ったようなプロの舞台を見に行った時くらいだった。


 そんな彼女の口からサクラコに放たれた、面白い。つまり、マモリ部長がサクラコの才能を認めたということだ。

 おれでさえ、言われたことないのに。


「粗削りな部分は多いけども。ま、地道に練習してもらうしかないね。自分の色がちゃんと出てるから、演じる時の意識としては……」

「お、おれは。おれはどうでしたかッ!?」


 そのままサクラコに対する演技指導が始まりそうだったので、おれは慌てて間に入った。彼女の視線が、スッとおれを射抜く。


「リョウイチはどっちかというと没入型の俳優だからね。根本的にアタイとは違うから、基本的なとこしか言えないけど」


 没入型俳優とは、自分を殺して演じるタイプの役者。個性派俳優とは違い、用意された役を徹底的に分析して入り込み、別人に成り切ってしまう。

 昔から周囲に合わせて演じ分けて生きてきたおれの、唯一の術だ。


「相変わらず母音の発音が甘いね。声は出てたから発声練習は欠かしてなさそうだけど、活舌はまだまだ。人様に聞かせたいなら、もっと頑張りな。外郎売りはやってるのかい?」


 外郎売りとは、声を生業とする人なら必ず知っていると言っても過言ではないくらい、有名な練習方法だ。『拙者、親方と申すは』の文言から始まり、実演込みで薬を紹介していくというたたき売りの口上のようなもの。

 元々は歌舞伎の演目の一つであったが、現代では発声や滑舌の練習に使われている長科白だ。


「い、いや。最近は忙しくて」

「ほら、やってないじゃないか。聞く人が聞いたら分かるもんだよ、もっと頑張りな」


 あっさりと練習不足を指摘され、ぐうの音も出なくなったおれ。あわよくば褒められるかもしれないという淡い期待は、バッサリと切り捨てられた。


「それで、脚本はまとまりそうなのかい? まさかさっきので行くつもりじゃないだろうね?」

「い、いや、その。まだ全然」

「そうかい。ウチはオリジナルが基本だったけど、部を潰しちゃ来てくれたみんなが可哀そうだ。時間もあんまりないんだろ、今のうちに既存の脚本も見繕っておきな。で、サクラコちゃん。続きがね」

「は、はい、マモマモさん!」

「……ヨルカ、ボブ。高校生向けの台本があるサイトを送るから、読んでみて良さそうなのがあったら送ってくれ。条件は登場人物が二人で済むやつで、あんまり長くないやつな」

『わかった』

「了解です。さあ見るよ、アニーとクララベル。あとボクは宗像ササエです」


 おれはヨルカと左右の胸筋に名前をつけているボブに手伝ってもらいつつ、無料公開されている既存台本を順に吟味し始めた。

 その間もマモリ部長は、ずっとサクラコへの演技指導をしている。大学でも演劇を続けている彼女のアドバイスに、知能Sサイズは終始目を輝かせていた。


 言いようのない気持ちが芽生えてくる。喉元まで押し寄せてきていたが、おれは強引にお茶と共に飲み込んだ。サイトに載っていた脚本は、全く頭に入ってこなかった。

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