第18話

 馬車でいくらか走ると、窓から大きなお屋敷が見えてきた。あれが、ブレネン伯爵邸だそうだ。本当にお邪魔して良いのだろうか……そう思いながらも、馬車は進み続ける。

 しばらく揺られていると、馬車はお屋敷の大きな扉の前で停まった。


「さぁ、到着しましたよ」


 馬車から降りて、正面玄関の扉を開く。すると、「お帰りなさいませ」と初老の男性が声をかけた。どうやら、彼はここの執事らしい。


「ユリアン様、それと小さなお嬢様もご一緒ですか」

「ああ。彼女はマリー嬢。二人を客室に通してくれ。あと、彼らは食事をとってないから、軽食を部屋に運んでほしい」

「畏まりました」


 丁寧な所作でお辞儀をすると、彼はてきぱきと指示を出した。それから、「お待たせしました。こちらです」と私たちを部屋へと案内してくれた。


 案内された部屋は、見たこともないくらい広く豪華な部屋だった。


『応接間もなかなかだったが、ここも凄いな!』

「仮にも伯爵邸だからね。これでも質素な方ではあると思うよ」


 これ以上に豪華、というのが想像できない。どれもこれも綺麗な模様が入っており、触ったら壊れてしまいそうな物もある。

 そんな中、広いベッドの上に、見覚えのある帽子がちょこんと置かれていた。私が連れ去られた時に、落としてしまったものだ。どうやら、誰かが拾っていくれたらしい。


「これ……! もう、どこかにいっちゃったのかと思ってた」

「噴水の所に落ちていたからね。……本当に、見つかって良かった」

「ありがとう、ユリアンさん」


 拾ってくれたのはユリアンさんだったのか。流石に部屋の中なので帽子は被らないが、今度は失くさないように、そっとベッドのサイドテーブルに置いた。

 すると、コンコン、とドアをノックする音が響いた。「どうぞ」とユリアンさんが招き入れると、先程の執事さんと一緒に、メイドさんが部屋に入ってきた。どうやら、先程領主様が言っていた夕飯の代わりになるような軽食を持ってきてくれたらしい。


「旦那様から、言伝を預かっております」


 執事さんは、ユリアンさんにそっとメモを渡した。それを受け取ると、執事さんと食事を運んできてくれたメイドさんは一礼をして部屋から出て行った。


『なんだか素っ気ないなぁ』

「彼らは主人の影だから、必要以上に目立つのは良くないとされているんだよ」

『えー、面倒だな……で? そのメモは何が書いてあるんだ?』

「『明日の昼食は是非、ご一緒に』……昼前には出発しようかと思っていたんだけれど。流石にこれは無碍にはできないな」


 助けてもらった恩もあるからね、と苦笑する。確かにそうだ。私も、ちゃんとお礼を言えていない。それに、せっかくリアムさんに会えたのだから、少しくらいはお話ししたい。心配をかけてしまったので、なおさらに。

 軽食の置かれたテーブルの前に座り、スープをいただく。スープは今まで食べた中でも、味が柔らかで美味しかった。



  ◇◆◇



 街の散策だけでなく、連れ去り事件もあったせいか、その日はすぐに眠ってしまった。目が覚めたのも、普段よりもだいぶ遅かった。起こしてくれれば良かったのに、とネロに愚痴ったが『昨日は色々あったから』と言って、ひらひら舞っていた。既に起きているユリアンさんに、無言で訴えかけてみたが、似たような返事をされるだけだった。


『そんなに早起きしたかったのか?』

「そういうわけじゃないけど……良いのかなって」

「今日くらいは良いよ」

『そうそう!』


 普段なら、朝はいつもと同じ時間に起きて洗面や準備をして、朝ご飯を食べ終わったら片付けの手伝いをして、修行をして……と、思っているよりも沢山やることがある。それなのに、こんなにのんびりしても良いのだろうか、と少し思ってしまう。だが、昨日の疲労が完全に取れているか、と言われると、それは肯定できない。

 再びごろり、とベッドの上に寝転がる。


「ふかふか……」

『リアムの奴、こういうベッドにいつも寝てるのかな』

「基本的にはそうだろうね。まぁ、魔法騎士になったら、どんな環境でも寝られないといけないけれど」

「魔法きし?」

「魔法の腕も、騎士の腕も必要となる役職だよ。両方を極めるのは、なかなか大変なんだけれど」

『そういや、剣の訓練もしてるって言ってたもんな』

「それはまぁ、貴族の嗜みの一つでもあるんだけれどね」


 魔法だけじゃなく、剣の修行も頑張っているリアムさんは凄いな、と改めて尊敬する。それに比べれば、私なんてまだまだひよっこだ。


「やっぱり、今日も修行する……」

「やる気があるのは良いけれど、今日は休みなさい」

「うぅ……」


 早く色々なことができるようになりたい。けれども、皆がゆっくりで良いと言うので、つい甘えてしまう。


(もっとがんばらないと……)


 改めて決意を固め、今は身体を休めることに集中した。



 のんびり過ごした朝も束の間、もうすぐ昼食の時間だ。

 領主様に失礼のないように綺麗に身支度をして、案内されるまま食卓の席に着く。カトラリーがずらりと並んでいるが、食事のマナーなんて知らない。しかし、それを分かっているからか、領主様の奥様が「マナーなんて気にせず食べてね」と優しく笑ってくれた。

 リアムさんとそのお兄様らしき人が着席し、領主様が最後に席に座ると、昼食が始まった。

 ユリアンさんは何度かこういう席に呼ばれたことがあるらしく、慣れた様子で会話をしていた。私はどうすれば良いのか分からず、とりあえず食事をする。


「おいしい……」

「だよな。マリーも気に入ってくれたなら良かった」

「マリーちゃん、もっと欲しかったら言って頂戴ね」


 つい、思ったことが漏れてしまう。それが、リアムさんや奥様に聞かれてしまったようだ。何か返事をしなくては、と思っても言葉が出ない。素直にこくこく、と頷いた。そんなやり取りを領主様やリアムさんのお兄様に、何故か微笑ましく眺められている。


「はは、ユリアン殿。彼女は良い子に育ちそうですな」

「元からの性格でしょうが……きっとそうでしょうね」

「そういえば、マリー嬢もユリアン殿の元で修行をされているんですよね?」

「ええ、そうですよ、シリル卿」


 リアムさんのお兄様――シリル様が、ユリアンさんに尋ねる。その質問に肯定で返すと、隣に座っていたリアムさんに向かって笑う。


「それじゃあ、リアムが兄弟子ということか。手本となれば良いんだけれど」

「まるでなれないみたいな言い方だな、兄上」

「少なくても、性格は手本にならなさそうだけど?」

「はぁ~?」

「はいはい。食事中なんだから、二人とも止めなさい。ごめんなさいね、うちの息子たちが」

「え、えっと、大丈夫、です」


 きっと、これがリアムさんの素なのだろう。兄弟、仲が良さそうで少し羨ましい。そう思いながらも、昼食の時間はあっという間に過ぎていった。



  ◇◆◇



 緊張したが、リアムさんの家族は皆優しかった。昼食を終え、各々部屋へと戻っていった。領主様が部屋へと戻る直前、「もう少し滞在しませんか?」と声をかけられたが、ユリアンさんはそれを断った。

 部屋へと戻らずに一緒に客室へとやって来たリアムさんが、残念そうな表情を浮かべていた。


「もう少しこっちにいるんだったら、俺が街を案内したのに」

「また来るさ。次はマリー君の身分証も作りに行きたいからね」

「そのときは連絡してくれよ。母上もマリーのことを気に入ったみたいだし」


 どうやら、奥様は女の子が欲しかったらしい。けれど、産まれたのは男の子が二人。そのせいなのか、食事中も随分と私のことを可愛がってくれたような気がする。



 荷物をまとめ、出発するタイミングで執事さんに声をかける。すると、もともと買いに行く予定だった食料を持たされ、屋敷の玄関先まで皆が見送ってくれた。


(そうだ。かえる前に、お礼を言わないと!)


 結局、食事中には言えなかったのだ。このタイミングを逃したら後はない。


「あの! 助けてくれて、ありがとうございました」


 深々とお辞儀をすると、領主様は微笑みながら「どういたしまして」と感謝の言葉を受け取ってくれた。

 確かに良いことばかりではなかったけれども、街に来て良かった。また来たいなと思いながら、森にあるユリアンさんの家へと帰っていった。

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