第15話
薄暗い部屋の中でネロを見送ってから、どれくらい時間が経っただろうか。まだ一日は経っていないだろう。けれども、いつ何が起こるか分からない今の状況で、不安な気持ちは降り積もる。大丈夫、大丈夫……そう言い聞かせて、ひたすら助けを待つ。
「……なぁ」
ふと、どこからか声をかけられた。この部屋には人はいない。となると、格子の向こう側から声をかけられたのだろう。格子に近寄って、もう一度声の出所を探そうとする。
「おい。こっちだ、こっち。前だよ」
「あ……」
向かいの部屋の奥。格子を二つ挟んだそこに、ぎらついた緑色の瞳を持つ少年が一人座っていた。随分と粗末な服を来ているように見える。私は恐る恐る尋ねた。
「えっと、何、ですか」
「さっき、なんか飛ばしてただろ? 虫か何か」
「ネロのこと?」
「ネロ? あの虫に名前なんてあんのかよ」
馬鹿にしたように少年は笑う。ネロはいつも私の傍に居てくれる友達だ。友達を笑われるのは許せない。
「……ネロは虫じゃなくて、精霊さんです。わたしの、とくべつなお友達。それに、名前はみんなあるでしょう?」
「俺にはねぇけど」
「え?」
「俺にはねぇよ。閉じ込められて育って、捨てられたから」
そんなの、知らない。子供は皆、産まれたら(例え嫌われていたとしても、)名前はあるものだと思っていた。しかし、目の前の少年にはそれが無いという。
「えっと、ごめんなさい……?」
「は~……別に謝るなよ。謝られてもどうにもならないし。それより、だ。アレを放して、あの虫を助けたつもりかよ」
「虫じゃないです! ……それに、ネロを助けたんじゃなくて、ネロに助けてもらうようおねがいしたの」
「助ける? アレが俺たちを? あの弱そうな虫が?」
どうやら信じていないようで、ははは、と笑い飛ばされてしまった。
ああ、この感覚は村に居た時を思い出す。馬鹿にされて、気持ち悪いと蔑まれる、あの感覚。
「……ネロは虫じゃないですし、べつにしんじなくて良いです。それに『小さくたって、力は使いよう』だから」
以前、ユリアンさんが精霊さんについて教えてくれたときに、ネロがそう言っていた。力が強いだけでは意味がないと。小さくても、弱くても、力を上手く利用できれば、大きな結果を得られるのだと。
もうこれ以上彼とは関わりたくないな、と思い、部屋の奥へと戻ろうとする。すると、「待ってくれ」と彼が私を引き留める。
「なぁ。逆にお前は、何であの虫……じゃなかった。その、さっき放った奴を信じられるんだよ」
「ネロは、わたしがうまれたときからずっとそばにいてくれた友達だから。みんなに嫌われたときも……ずっと傍にいて助けてくれたから」
私がネロを信じない理由なんてない。そこまで言って、彼は「……そうかよ」と顔を伏せた。
それからどれくらい経っただろうか。向かいの部屋に入れられた彼とはそれ以上話しをすることもなく、助けが来るのをひたすら大人しく待ち続けていた。すると、ここに来てからすぐに私の様子を見に来た男が使っていた扉の向こうで、何やら騒がしい音が聞こえ始めた。
何かがぶつかる音、割れる音、それに怒号。それらの音に怯えて、他の部屋に捕らわれている一部の子供たちから微かに悲鳴や泣き声が上がる。
向かいの部屋に捕らわれている少年は、相変わらず鋭い目つきのまま「どうせ喧嘩か何かだろ」と余裕を見せている。
「どうして分かるんですか?」
「あ?」
つい、彼の独り言に反応してしまった。はっとして口を閉ざすが、彼は特に不快には思ってなかったらしい。一つ溜息をついて続けた。
「俺たちを連れ去った奴ら、どうせ金も持ってねぇ、持ってたとしても金遣いの荒い奴ばっかだ。そういうろくでもねぇのは、すぐ喧嘩する」
「そうなの?」
「――それか、憲兵隊が来たか」
「けんぺいたい?」
知らない単語に首を傾げると、少年は「そんなもんも知らねぇのかよ」と呆れた顔で返事をされた。そんな態度に、ムッとしてしまう。知らないものは知らない。そもそも、村ではそんな単語を聞いたことがないし、ユリアンさんと暮らしてからもそんな言葉とは無縁だ。
「悪かったですね、知らなくて。……街に来たのは今日がはじめてだったから」
街には、私の知らない物が沢山あった。今はこうして捕らわれているが、どれもこれも見る物全て新鮮だった。
私が初めて街に来たというのを知った少年は、その時初めて驚いた表情を見せた。
「え、お前、この街の奴じゃないのか。そうか……それなら、知らなくても当然、か?」
「もう良いです。あとでほかの人におしえてもらいますから」
「あー、拗ねんなよ。悪かったって。
……憲兵隊ってのは、ここの領主様が直接指揮する奴らで、悪い奴らを捕まえたり……治安維持のためなら、何でもやる奴ら」
なんだか、最後の方は含みのあるような言い方だったが……それよりも、気になることを聞けた。悪い奴らを捕まえる。つまり、私たちを連れ去った男たちを捕まえに来てくれたのかもしれない。ユリアンさんはリアムさんの先生でもあるから、何かしら働きかけてくれたのかもしれない。
「けんぺいたいさんが来てくれたら、助けてくれるかな」
「……まぁ、親がいる奴は助けてくれるだろうよ」
「だとしたら、わたしは助けてくれない?」
「はぁ? お前、親と一緒に街に来たんじゃ……」
「ここには、ユリアンさんにつれてきてもらったから」
「え、ユリアンって、」
彼が言葉を続けようとしたそのとき、キィッと酷い音の鳴る扉が開かれた。扉の向こうから聞こえてきていた喧騒は、相変わらず聞こえたままだ。
逆光のせいか、暗くてよく見えない。複数人の人がこちらに来るのが見えた。
「ここは……地下牢か!」
知らない人たちだ。だが、向かいの部屋にいる少年は何かを知っているようで、彼らを睨みつけているようにも見える。
彼らはいくつかの部屋を見て回り、子供たちが捕らわれているのを確認すると、この牢屋唯一の出入り口の前に立った。
「ここに子供たちが囚われていたとは……すぐに報告だ。上もさっさと片付けるぞ」
「安心してくれ、君たちはすぐに元の居場所に返そう。悪い奴らを片付けたら、すぐに迎えにくるからな」
彼らはそう告げると、牢屋から出て行った。彼らの言葉を聞いた子供たちは「おうちにかえれる?」など、少しほっとした様子を見せていた。
(ネロが、ユリアンさんにこの場所をつたえてくれたのかな)
もしかしたら、そうかもしれない。そうでなかったとしても、いずれこの場所には気付いてくれるだろう。ほっと胸を撫で下ろす。
「…………」
そうした雰囲気の中、向かいの部屋の少年は、一人険しい表情を見せて、部屋の奥へと閉じこもった。
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