第8話

 いつものように街に行くユリアンさんを見送り、私は文字を読む練習をしていた。


「みんな、しょうじょ、に、きょうみ、しんしん、です」


 読んでいるのは、以前ユリアンさんが読んでくれた『精霊と少女の旅立ち』という絵本だ。文字の練習をし始めた時に、「まずはこの絵本を、一人ですらすらと読めるようになる」というのを目標にしたのだ。今はゆっくり一単語ずつならどうにか読めるようになってきた。


『それにしても、マリーは勤勉だよなぁ』

「きんべん?」

『真面目に勉強を頑張ってる、ってこと』

「うん。はやくいろんな本がよめるようになって、精霊さんたちとおともだちになりたいから」

『でも、つまんなくない? そろそろ外に出たいとか、ない?』


 確かに、ユリアンさんの家に来てかずっと、『遊ぶ』というようなことをした覚えはない。最近になって、この森の近くに住んでいるだろう精霊さんとお話しするくらいた。もともと、村ではいつも引きこもるような生活をしていた。だから、今の生活も別に苦ではないのだが……。


『村とは違って、街には色んな物があるんだぞ。マリーは気にならないの?』

「……ちょっと気になる」


 そんな風に言われると、気になってしまう。確かに、ユリアンさんが街から買ってくる物は、村では見たことのない物も多い。他に、どんな物があるのだろうか。

 そう想像を働かせていると、窓をコンコン、と指先でノックするような軽い音が聞こえた。誰なのだろうか。窓の方を振り向くと、そこには、以前ユリアンさんを待っている間にお話をしてくれた小鳥の姿をした木の精霊さんがいた。

 窓を開けて、「どうしたの?」と尋ねる。


『そこのゲート、光ってるみたいだけど。誰か来るんじゃない? 魔道士は何か知らないの?』

「えっ?」


 ユリアンさんはまだ帰ってくる時間ではない。ネロと一緒にゲートの前へ向かう。木の精霊の言うとおり、ゲートは淡く光っている。


『ユリアン、何か忘れ物でもしたのかな?』

「どうなんだろう?」


 ネロと話している内に、ぱぁっと光があふれ、魔法陣の中心に誰かが立つのが見えた。しかし、そのシルエットから、その人がユリアンさんではないことが分かる。


「だ、だれ……?」

「それはこっちの台詞だ。ここがどこだか知ってるのか?」


 私よりも背の高い、黒髪赤目の男の子。彼も、私がゲートの前にいるのに驚いているようだった。

 戸惑っている私に、木の精霊さんが『あの子が前に言ってた、ここに来てる子よ』と耳打ちしてくれた。


「あ、リアム、さん?」

「……なんで、俺の名前を知ってる?」

「え、えっと……、ユリアンさんにきいたから」

「師匠から?」

『そうだぞ! だからマリーに何かしたら、領主の子供だろうが、容赦しないからな!』

「ネロ、そんなこと言っちゃダメ……」


 ネロはリアムさんの周りを喧嘩腰で飛び回る。しかし、リアムさんにはネロの声が届いていないようで、「うわ、なんだこの蝶っ!」と鬱陶しがっているだけだった。


「というか、お前は誰だ? それに、ネロって……ここにはお前しかいないが」

「あ、えっと……わ、わたしは……」


 急かされると、頭の中がぐるぐると回ってしまう。木の精霊さんが『大丈夫よ、ゆっくりで良いわ。落ち着いて』と励ましてくれたおかげで、一つ深呼吸をしてから話し始められた。


「……わたしは、マリー、です。マリー・フーディエ。ネロはわたしのおともだちの精霊さん。その……いま、リアムさんのまわりをとんでる子」

『僕だぞ!』

「え、この青い蝶が? ……ん? お前は――マリーは、精霊と話せるのか?」

「は、はい。そう、です。それで、少しまえにユリアンさんにひろわれて、」

「拾われた?」

「はい。それで、精霊士になるしゅぎょうとかおべんきょうとかをしています」


 私を疑うような視線を感じたが、それもすぐに解かれた。ほっと胸を撫で下ろす。


「あ、あの、ユリアンさん、まだかえってこないので、おうちでまちますか?」

「……そうだな」


 このままゲートの前で待つというのも違う気がしたので、リアムさんを連れて家に戻る。ネロに助けてもらいながらお茶を淹れようとすると、リアムさんは私を止めた。


「流石に、マリーにさせるわけにはいかない」


 そう言うと、リアムさんはお茶を自分で淹れ始めた。やることがなくなったので、大人しく椅子に座る。


(……どうしよう)


 家に招いたのはいいが、どうすれば良いのか分からない。きっとリアムさんは遊びに来たわけではないだろうし、私も今は絵本を読む練習中だった。

 どうすれば良いのか分からないまま、リアムさんはお茶を持って私の対面に座った。わざわざ、私の分も淹れてくれたらしい。


「あ、ありがとうございます……」

「どうも。師匠が淹れたお茶には敵わないけど」


 差し出されたお茶を受けとり、一口飲む。……ユリアンさんが淹れたお茶の方が美味しかった。しかし、不味いわけではないのだから、それは言葉にしない。

 ゆっくりお茶を飲んでいると、リアムさんは絵本をひょいっと持ち上げた。


「これ、あれか。『精霊と少女の旅立ち』」

「知ってるんですか?」

「この国でこの伝承を知らない人は、ほとんどいないだろ」

「そうなの?」

「……多分な。で、なんでこれがここに?」


 リアムさんは絵本を開き、ぱらぱらとページをめくる。


「わたし、もじがよめないから……精霊さんのべんきょうをするために、まずはもじのおべんきょうをしているんです」

「ああ、成程……そうか。邪魔して悪かったな」


 絵本を閉じると、そのまま私に絵本を返してくれた。


「俺は勝手に待ってるから、勉強してていい」


 そう言うと、リアムさんは微笑んで頭を撫でてくれた。それを甘んじて受ける。


(……リアムさんって良い人かもしれない)


 始めは少しぶっきらぼうに見えたが、それはきっと私が誰だか分からなくて警戒していたからだろう。


『むー……まぁ、ユリアンの弟子だから? マリーを撫でても許してやるぞ!』

「ネロ、そんな言い方をしなくても……」

「え、俺、何か気を悪くさせたか?」


 私の肩にとまるネロに向けて、リアムさんは心配そうに尋ねる。


「えっと、大丈夫です。ユリアンさんの弟子だから、許す、って」

「許すって……でも、そうか。それならいい」


 これでリアムさんも安心できただろうか。それなら嬉しいのだが。

 そう思いながら、私は先程まで読んでいたページを開き、続きを音読する練習を続けた。

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