第4話

 朝食を食べ終わり食器を片付けると、ユリアンさんは「少し待っていなさい」と伝え、別の部屋へと向かった。しばらくネロと一緒に大人しく待っていると、ユリアンさんはいくつかの本を持って戻ってきた。


「これは?」

「精霊について書かれている本だ。まぁ、ここには本物の精霊がいるんだけれど……」

『僕に聞いてくれても構わないよ!』

「ネロ君には後で補足をお願いするよ。まずは、マリー君。君は精霊のことをどれくらい知っているかい?」

「えっと……」


 そう尋ねられて口ごもる。私にとって精霊は常に隣にいる子たちで、人間とは違って皆が魔法を使える。私の知らないことを沢山知っている。そんな生き物だ。

 そのままをつたないながらもユリアンさんに伝えると、「それなら……」と一冊の本を私に見せた。

 綺麗な絵が描かれた表紙のその本は、他の本よりも薄くて大きい。絵本、というやつだ。


「まずはこの本を読もうか。文字は?」

「よめない……」

「それなら、良く聞いていてね。『精霊と少女の旅立ち』」


 ユリアンさんが絵本の表紙をめくり、穏やかな声で読み聞かせてくれた。



  ◇◆◇



 ――昔々、この国に沢山の魔物がいた頃。人間は魔物に怯えながら、身を寄せ合って暮らしていました。少女もまた、小さな村で家族や村の人たちと一緒に貧しいながらも楽しく暮らしていました。

 ある日、一人の少女がきらきら光る不思議な蝶を見つけました。少女はどうしてもその蝶のことが気になって仕方がなく、こっそりとその蝶の後を追いかけました。


「わぁ……!」


 蝶の後を追いかけた先は、沢山の木に囲まれた美しい花畑と湖が広がり、爽やかな風が吹く素敵な場所でした。そこには、追いかけた不思議な蝶がひらひらと舞い、蝶と同じくきらきらと光る不思議な鹿や狼たちも、喧嘩などせずに平和に暮らしていました。

 少女はその光景に見蕩れて、つい一歩足を踏み出しました。すると、パキッと落ちていた木の枝を踏んでしまいました。

 その音に、その場にいた動物や蝶たちが少女の方を見ました。


「おい、お前」


 狼が少女をギロッと睨みながら、そう言いました。


「何故ここにいる」

「ごめんなさい。私、綺麗な蝶がいたから追いかけてしまって……」

「あれ? 君は僕らの姿が見えるの? 声が聞こえるの?」


 そう言って少女に近づいたのは、先程まで追いかけていた蝶と、その仲間たちでした。


「そういえば……どうして、あなたたちは動物なのに喋っているの?」

「俺たちは動物じゃない。ここにいる者は皆、精霊だ」

「精霊?」

「水や風、炎や雷、木、石、土、自然のありとあらゆるモノの化身であり代弁者」

「ええっと……」

「自然は喋れないでしょう? 私たち精霊は喋れない水や風の代わりに、沢山のモノを見て聞いて話す、ってことよ」


 鹿の姿をした精霊は優しく教えてくれました。


「あれ? それなら、私だけじゃなくて他の人も皆のことが見えるんじゃないの?」

「いや、普通の人間は見えないし、聞こえないはずだ」

「こんなことは初めてだね」

「そうねぇ。きっと貴女は特別なのね」


 皆、少女に興味津々です。せっかくだから、もっとお話を聞かせて、と精霊たちは少女に話しかけました。

 少女は自分が知っている話を沢山しました。村のこと、村の人たちのこと、家族のこと……そして、魔物のことも。長く話している内に、皆すっかり仲良くなっていました。

 そうして沢山お話をしていると、あっという間に日が暮れてしまいました。


「大変! 早く帰らないと、皆が心配するわ」

「それなら、近くまで送ってやろう」


 狼の姿をした精霊がそう言うと、背に少女を乗せてビュンッと風のように走りました。


「あの村よ!」


 そう言って少女が指を差した先。狼の姿をした精霊は、グルル、と唸り始めました。


「どうしたの?」

「血の匂いだ。それに、邪悪な気配……魔物だ」

「えっ!?」


 少女は驚きました。今まで村にまで魔物が来ることはなかったからです。

 少女は狼の姿をした精霊から離れ、急いで村へと向かいました。しかし、友達の名前を呼んでも、優しいおばさんの名前を呼んでも、気難しいおじいさんの名前を呼んでも、大切な家族の名前を呼んでも、誰も返事がありません。村には、もう誰もいませんでした。


「皆、どこにいるの……?」


 少女が震えながらそう呟くと、ぞわぞわとした何かが少女を取り囲みました。


「風よ! 払え!」


 狼の遠吠えが一つ聞こえたかと思うと、少女を囲っていた禍々しい何かを――魔物を、風で吹き飛ばしました。


「ああ、無事か。……いや、無事なのはお前だけか」


 狼の姿をした精霊が、少女の側へ駆け寄りました。


「精霊さん……うわあああん!」


 少女は狼の姿をした精霊に泣きつきました。ですが、もうどうすることもできません。

 しばらくすると、他の精霊たちも少女の周りに集まって、彼女を慰めました。


「少女よ。認めたくはないだろうが、もうお前に帰る場所はない」

「私、どうすれば……」

「僕たちと一緒にあの森で暮らす?」

「貴女が住める場所を一緒に探す?」

「それとも……俺たちと一緒に、害のある魔物と戦う旅に出るか?」

「私、私は……」


 少女は考えました。きっと一緒に暮らすのは楽しい。どこか少女を受け入れてくれる村を探すのも悪くはない。けれども――。


「私、魔物と戦う。今の私には力はないけれど……それでも、この村みたいに悲しいことは繰り返したくない」

「そうか。――確かに、その選択を聞き届けた」

「大丈夫。僕たちが戦うよ」

「代わりに、貴女には私たち精霊の代弁者になって」


 少女はその場にいた精霊たちと契約をしました。精霊たちが魔物と戦う代わりに、少女は精霊たちの声を届ける。――この世界で初めての精霊士になったのです。


「さぁ、そうと決まれば、早速準備を始めよう!」

「うん!」


 少女は涙を拭って、村の人たちを丁寧に埋葬すると、生まれ育った村から旅立ちました。


 ――少女が魔物たちからさまざまな村を、町を、国を助けるのは、もう少し先のお話。



  ◇◆◇



「――おしまい」


 そう言って、ユリアンさんは絵本を閉じた。


「どうかな、少しは精霊について分かったかい?」


 ユリアンさんの言葉に何度も頷く。この絵本の物語は面白かったが、それと同時にきちんと精霊さんたちについて教えてくれた。


「ええっと……つまり、ネロはしゃべれない水のかわりに、しゃべったり、うごいたりできる、ってこと?」

『そうだぞ! 僕は水の精霊、水の代弁者のネロだからね!』

「精霊は自然そのもの、と言っても良い。ネロは水の精霊……つまり、水そのものだから、水を操れたり発生させたりできるんだ」


 つまり、ネロ自身は水ではないけれども、『水』ではある……ということだろうか。私の頭は混乱してしまう。しかし、ユリアンさんもネロも、その辺りの説明をしようとすると難しいらしい。今はそういう認識で大丈夫だ、と言っていたので、きっと大丈夫なのだろう。

 それよりも、私はまだ他に気になることがあった。


「精霊さんって、ネロみたいな蝶のすがたじゃない子もいるの?」

「ああ。強い力を持つ精霊なら、自分の好きな姿になれるみたいだ。そうでない精霊は、大抵蝶のような小さな姿をしているらしいが……」


 ユリアンさんはちらっ、とネロを見る。ネロは『ふんっ!』と拗ねたような声を出しながら、私の側をひらひらと舞う。


「力が弱いからといって価値が下だとか、そういうことはない。そもそも、精霊にとって力の強弱などあまり意味はないからな」

『小さくたって、力は使いようなんだぞ!』

「全くその通りだよ。ただ、力が強い精霊を見ることができるのは、生まれつき『精霊士』の才能がある子だけだ」

「せいれいし?」


 絵本の中でも出てきた単語だ。絵本の少女が世界で初めてなったというそれは、話の流れから精霊に関わる何かなのだろう。


「精霊士は、一時的に、あるいは長期的に精霊と契約を交わして、力を貸してもらう人のことだよ。力を貸してくれる代わりに、精霊も精霊士から大なり小なり対価を貰う」


「例えば、」とユリアンさんが先程の絵本の最後の方のページをめくる。文字は読めないが、そのページは少女に精霊たちが「私たち精霊の代弁者になって」と言ったところだ。


「絵本のこの場面で、少女は精霊たちと『魔物たちと戦う』という契約をした。その代わりに彼女は『精霊の代弁者――言葉を伝える者になる』という約束を交わしたんだ」

「それが、たいか?」

「精霊それぞれ対価は違うけどね。この少女の場合はそうだったわけだ」


 なかなか難しい話だった。けれども、ネロたち精霊のことを知るためには、これも大事な話だったに違いない。

 沢山お話を聞いたせいか、少しだけ疲れてしまった。ユリアンさんがそれを察してくれたのか、「今日はここまでにしよう」と、絵本以外の本を片付けてしまった。


「そうだ、マリー君、ネロ君」

「はい」

『なんだ?』

「ちょっと野暮用があってね。お昼を食べたら私は少し出かけるから、留守番を頼んでも良いかな」


 野暮用、というのがどんな用なのかは分からない。だが、用事は用事だ。留守番は慣れている。私はこくんと頷いた。


「ありがとう。それじゃあ、そろそろお昼の準備でもしようか」


 もうそんな時間だったのか。いつもより時間が経つのが早いな、と感じながら、何かお手伝いできないか、とユリアンさんの後についていった。

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