第3話
リビングで泣き続けていた私は、戻ってきたユリアンさんを驚かせてしまった。泣いている理由は説明出来なかったが、ユリアンさんは私が落ち着くまで待っていてくれた。
「今日は色々あったからね。もう休みなさい」
そう言って、ユリアンさんは簡易シャワー室へと案内してくれた。
「これは、魔石でお湯が出るシャワーだよ。使い方は分かるかい?」
「えっと、これをまわせば良いの?」
「そうだ。タオルと着替えはここに置いておくからね。子供服は流石にないから、とりあえず今日は大人用のこれで代用してほしい。
何かあったら叫ぶなりなんなりして、私を呼ぶんだよ。近くにはいるからね」
こくん、と頷くと、ユリアンさんから身体を拭くタオルと大きいシャツを差し出される。私はそれを受け取った。シャツはそのまま着れば、きっとワンピースのような状態になるだろう。袖はまくれば問題ないように思える。
ユリアンさんがネロを連れて部屋から出るのを見送ると、私はシャワーで身を清めた。
シャワーから上がり用意されたシャツに着替えると、部屋の外で待っていたユリアンさんは次に準備してくれた部屋へと案内してくれた。
二階にある部屋には、ベッドと机と椅子、空のクローゼットに棚が一つの簡素な部屋だった。これから生活するのには十分すぎる。窓から外の様子を見ると、もうすっかり暗くなっていた。
『とりあえず、これで今日は休めそうだね』
「うん。……あの、ユリアンさん」
「何かな」
「ありがとうございます」
私はユリアンさんに頭を下げる。もしも、あの時ユリアンさんに会っていなければ、いまだにあの森を彷徨っていただろう。
「助けてほしい、と言ったのはマリー君だろう? 私は気まぐれに助けただけだよ」
「それじゃあ、おやすみ」と、ユリアンさんは部屋を出て行こうとする背に、私も「おやすみなさい」と声をかける。
振り返ったその表情は随分と柔らかかった。その笑みに心がじんわり暖かくなった気がした。
「ネロも、おやすみ」
『おやすみ、マリー』
私はベッドで布団を被ると、そのまま目を閉じた。
◇◆◇
(…………?)
周りは、ただひたすら闇が広がっていた。私以外の人は誰もいない。「誰かいませんか」と空に尋ねても、その言葉は声にならなかった。
何も、できない。
そんな中、目の前をひらり、と青い蝶が飛ぶ。ネロだ。しかし、彼は私のことなど眼中にないようで、ひらひらとどこかへ飛んで行く。
(待って!)
暗闇の中、ネロの姿を見失わないように後を追いかけようとした。しかし、先程声を出そうとしてできなかったように、足は私の意思を無視して動かない。
「まだだ」
背後から聞いたことがない低い声。まだ、とは一体何なのだろうか。私はネロを追いかけたいのに。
追いかけないといけないのに。
「まだ、お前には早い」
またその低い声が聞こえたかと思うと、私の意識は遠のいた。
◇◆◇
『おはよう、マリー!』
「ふえ……ネロ?」
『そうだよ、ネロだよ! おはよう』
「おはよ……」
さっきのは、夢、だったのだろうか。それにしては、随分とはっきり覚えている気がする。
いまだに混乱する私のことなど露知らず、ネロは『ほら、早く布団から出て~』と周りでひらひらと舞う。
(夢なら、なんだかへんな夢だったな……)
ネロが私のことを(見捨てる、といった意味で)置いていったことなど一度もない。他の妖精さんからはその日の気分で無視されることもあったけれども、ネロから無視されるようなことはなかった。
それに、あの低い声。振り替えることもできなかったから、結局誰だったのか分からないままだ。
そんなことを考えながら布団から出てベッドから降りようとすると、コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。
「マリー君、入っても良いかい?」
「はぁい」
返事をすれば、ユリアンさんは私の部屋へ入ってくる。
「おはよう。昨日はよく眠れたかい?」
「えっと……はい」
変な夢は見たが、きっと疲れていたのだろう。もう夢のことなど忘れた方が良いし、それを誰かに伝える必要もないだろう。
ユリアンさんは、私が少し返事に戸惑っているのを疑問に思ったようだが、特に追求することはなかった。
「朝食を用意しているからね。準備ができたら、リビング……昨日お茶を飲んだところにおいで」
「じゅんび?」
「あー……髪をとかしたり、まだ服は無いからあれだけど、着替えたり……」
「?」
よく分からず首を傾げてしまう。すると、ユリアンさんは「あー、うん。ちょっと待っていなさい」と部屋を出て行ってしまった。
「ネロ、かみをとかす、って何?」
『マリーの髪を綺麗にするってことだよ。動物も毛並みを良くしたりするだろう?』
「いつもネロたちが水とか風のまほうで、きれいにしてくれるのとちがうの?」
『人間はブラシって道具を使うから、多分違うと思う』
「そっか」
そういえば、お母さんがそういう道具を持っていた気がする。
そんなことを話している内に、ユリアンさんが手に何かを持って戻ってきた。手に持っている道具に見覚えがある。
「ブラシ?」
「ああ、それは知っているんだね。ほら、そこに座りなさい」
ユリアンさんの言うとおりベッドの縁に座ると、彼はその後ろに腰をかけて髪にブラシを通していく。
昔、同じようなことをされた気がするが、いつだったか……思い出せない。
「言いたくなければいいけれど、こうやって髪をとかされたことは無いのかい?」
「分かんない……」
『いつもは、僕や他の精霊たち皆で綺麗にしてたからな!』
「成程ね……はい。これで良いと思うよ」
「あ、ありがとうございます」
ぼさぼさだった髪が綺麗になる。ブラシでも十分綺麗になるんだな、と思いながら三人でリビングへと向かった。
リビングに到着すると、テーブルの上にはほんのり温かなパンと、ジャムが備えられていた。
「どれくらいの量を食べるか分からなかったからね。足りなかったらごめんね」
少し申し訳なさそうにしながら、ユリアンさんはそう言った。しかし、昨日急にやって来たのは私たちだ。良い人だ、というのはなんとなく分かっていたが、ここまで良くしてくれるなんて思っていなかった。
大丈夫です、という意味を込めながらぶんぶんと首を横に振る。
「そんな……わたし、」
「遠慮せずに食べなさい。私が君を拾ったのだから、迷惑でも何でもない」
「え、えっと……」
『こういうときは、「いただきます」って言っておけば良いんだよ!』
「そうそう。ネロ君も良いことを言うね」
『だろぉ?』
「じゃ、じゃあ……いただきます」
パンを手に取り、食べる。久々に固くないパンを食べた気がした。パンを少しずつ食べていると、ユリアンさんは「そういえば、」とこぼす。
「昨日、精霊について知りたがっていたね」
「んっ! はい。みえない精霊さんがいるって……」
「今日は特に何もないし……せっかくだから、食べ終わったらその話をしようか」
「はい!」
気になっていた話だ。早く食べ終わろうとして、パンをがっつくと、「喉に詰まらせるから、ゆっくり食べなさい」と怒られてしまった。
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