第2話
『――っ、――――っ』
誰かの話し声が聞こえる。聞き覚えのあるその声は……ネロの声だろうか。何かめぼしい物を見つけたのだろうか。それにしては、随分と切羽詰まったような声色のような気もするが……。
私はゆっくりと瞼を開く。
「ああ、目が覚めたか」
『マリー! 大丈夫!?』
目の前には、銀色の長い髪の、多分、男性。藤色の瞳と目が合った。その周りでネロがひらひら飛んでいたのだが、私が目を覚ましたのに気づくと、すぐに私の傍で舞い始めた。
「まさか、本当に女の子がいるとは……水の精がここにいるのも珍しいというのに」
「あの……ネロが精霊さんなの、わかるの?」
「ネロ? あー……この子のことかな。まぁ、一応ね」
『そんなことより、魔道士! マリーを助けろっ!』
「え、えっと、まどう、し?」
次々と情報が頭の中に入ってきて、理解しきれない。一体、私は今どういうことになっているのだろう。
混乱する私の様子に気づいた男性? は、私の前でしゃがみ込み視線を合わせると、ゆっくりと話し始めた。
「まず、驚かせてすまないね。私はユリアン。この森に住む魔道士だ。
その水の精霊に『君を助けてほしい』と言われてね。半信半疑だったんだが……」
『僕が嘘吐きだと言いたいの!?』
「精霊はイタズラ好きが多い。騙されて身を滅ぼす、なんてことは良くある」
「ネロはそんなことしません!」
思わず、大きな声で否定してしまう。ネロも『そうだ、そうだー!』とユリアンさんの周りで主張する。
「ああ、もちろん。ネロ君、君がそんなことをしないのは良く分かった」
『それなら、マリーのことを助けてくれる?』
「それとこれとは別。そもそも、何をどう助けてほしいのか分からないし、私は君自身のことも知らないよ」
『はぁ~? か弱い女の子だよ? 黙って助けてくれれば良いのに!』
「ネ、ネロ……それは、えっと、ユリアンさん? の、めいわくになっちゃうよ」
確かに、これから先、どうすれば良いのか分からない。ネロがいるとはいえ、一人で生きていけるとは思えない。
けれど、彼に何もかもを助けてもらうのは、どう考えても迷惑だろう。私ができることといえば、(ネロだけでなく)精霊さんたちとお話しすることくらいだ。だが、ユリアンさん自身もそれができるという。
私がまごまごとしている様子を見て、ユリアンさんは「はぁ、」と一つ溜息をついた。
「迷惑かどうかは私が決める。だから君は、……そうだね。名前と歳が分かるなら歳。どうしてこの森にいるのか、今、何が困っているのか。分かることだけ、話したいことだけ、教えてくれるかい?」
ユリアンさんは、優しい声で私に問う。その声色で、彼が本当にそれらを知りたいだけなのだと分かる。私はその声に誘われるように答えた。
「わたしは、マリー。マリー・フーディエ、です。えっと……六さい、です。この森に来たのは……たぶん、すてられて……それで、今、どうすれば良いのか分からない、です」
「……捨てられた?」
『マリーは産まれた時から、僕らのことが見えるし、話せるんだよ! けど、村の奴らもマリーの親も、僕らと話せないからね。だから――』
「成程ね。まぁ、人間は異質な物を嫌うから……」
「……やっぱり、わたしがわるい?」
不安になって、声が震える。ユリアンさんに会う前に、既に涙を流したはずなのに、またあふれそうになる。けれど、ユリアンさんはそんな私に「悪くない」とすぐに否定してくれた。
「君のせいじゃない。その力は、この世界では珍しいものなんだよ。それなのに、それを蔑ろにする者が悪い」
「ないがしろ?」
『雑な扱いをする、ってことだよ』
「ざつ……」
意味がよく分からずに首を捻るが、きっと悪い扱いをする、ということなのだろう。
まだ意味がよく分かっていない私の頭に向かって、ユリアンさんがそっと手を伸ばす。また叩かれるんじゃないかと、つい身体を強張らせてしまったが、その手は優しく私の頭を撫でた。
「それで、マリー君はどうすれば良いのか分からない、と」
こくん、と頷く。
「君は、まだ生きていたい?」
「わ、わたしは……」
ぎゅっ、と胸の前で手を握る。
「わたしは、死にたくない! まだ、ネロとお話ししたい! いろんな精霊さんとおともだちになりたい!」
「そうか。それなら、私の家に来るかい?」
「でも、めいわくじゃ……」
「それじゃあ、死にたい?」
ぶんぶん、と首を横に振る。それだけは嫌だ。
私の頭を撫でていた大きな手は、ゆっくりと私の前に差し出される。きっと沢山迷惑をかけるに違いない。けれど、
「わたしは、まだ生きたい!」
できるだけ、迷惑をかけないようにすれば良い。もし追い出されたら、素直に従えば良い。独り立ちできるようになったら、大人になったら、その時に助けてくれたお礼をするのだ。
ユリアンさんが差し伸べた手に、私の手を重ねる。
「ユリアンさん、わたしをたすけてください!」
「――ようやく、君からその言葉が聞けた。良いよ。助けてあげる」
ユリアンさんは、重ねられた私の手をそっと握った。ネロが私とユリアンさんの周りで『良かったな!』と、喜びながら舞う。
私はユリアンさんに腕を引かれて立ち上がると、そのまま森の奥にあるというユリアンさんの家に向かった。
◇◆◇
ユリアンさんの家に向かう道中、この森について、そして、ユリアンさん自身について話しを聞いた。
「この森はブレネン領の東にある森だ。この森には魔物は少ない。いても大したことはない。弱い子ばかりだから、襲ってくることはないよ」
「精霊さんは……」
「森だから、木の精霊や風の精霊ならよく見かけるけどね。他は……どうかな。もしかしたら、私には見えないだけなのかもしれないけれど」
「見えない精霊さんがいるの? ……じゃなくて、いるんですか?」
「敬語じゃなくて良いよ。――まぁ、その辺りを知りたいなら、家に着いて落ち着いた頃に教えよう」
ユリアンさんはそう言いながら、私を抱き上げた。私が歩くのが遅かったせいだろうか。急に抱き上げられ、驚きながらも落ちないようにぎゅっと抱きつくと、ふ、と彼は笑った。
「ここから先は、子供の足では大変だからね。少しの間、我慢していてくれ。ネロ君も、引き離されないよう気をつけて」
『はーい。マリー、ちょっと留まるよ』
「うん」
ひらひら、とネロが私の服の裾に留まる。それを確認してから、ユリアンさんが聞き取れない言葉で、短く何かを紡ぐ。
「――――、」
唱え終わると、ユリアンさんの足下から、ぶわりと風が吹き上がる。その風が収まらない内に、ユリアンさんはトン、と地面を蹴る。
「わ、わ、わ、」
風に乗るように駆ける。ちらりと足元を覗き見れば、大木の根がうねるように生えていた。確かにユリアンさんの言うとおり、私の足ではまともに移動できなかっただろう。
「大丈夫かい?」
「は、はい! まほう、はじめて見たからびっくりして……」
「そういう反応を見るの久々だな……まぁ、いずれ慣れるよ、っと。はい、到着」
「……とうちゃく?」
ユリアンがゆっくりと地面に着地すると同時に、私も地面に下ろされる。到着、と言われたが、周りには家らしき物はない。きょろきょろと周りを見るが、少しだけ開けた場所に石柱が五本立っていることしか分からない。
「ここはどこ?」
『秘密の入口じゃない? 魔法の残り香がする』
「ネロ君、正解だよ。ここは私の家の入口の一つ」
ユリアンさんが胸のブローチに触れると、ぱぁっと光り出す。それに連動するように、魔法陣が広がる。それらが淡く光り出すのを見てから、一度瞬きをすると、今まで無かったはずの家が目の前に現れた。
「わぁ……っ!」
「ようこそ。いや、おかえり、の方が良いかな」
ユリアンさんが家の扉を開いて、私とネロを迎え入れてくれる。
「マリー君の部屋はすぐに用意するから。少しここで待っていなさい」
『できれば、広い部屋が良いぞ!』
「ちょっと、ネロ!」
「まぁ、善処しよう」
くすくすと笑うと、リビングらしき場所に案内され机の前に座ると、ユリアンは淹れたての紅茶を出してくれた。初めて飲んだ温かいその紅茶に、なんだか心までも温かくなる。
(あたたかいおちゃなんて、はじめて、かも)
村は決して裕福ではなかった、というのもあるが、温かい飲み物や食べ物を与えられることは非常に少なかった。村の皆が温かなスープを飲んでいる時、私には固いパンだけ渡されていた。それは飢饉に見舞われた時など、ことさら酷かった。
『……マリー? どうしたの、どこか痛いの?』
心配そうな声で、ネロは私を呼ぶ。
「? どこも、いたくないよ」
『でもマリー、泣いてる』
「えっ……?」
そう言われてから、私は涙が流れているであろう頬を撫でる。冷たい水の感触。ネロの言うとおり、私は泣いている、らしい。それを認識すると、じわりと視界が歪む。
なんだが、今日はずっと泣きっぱなしだ。
「う、ぁ……わ、私、どこも、いたくないの」
『うん』
「でも、なんだか、むねが、ぎゅうって、」
『うん』
「うれしい、のか、かなしい、のか、分かんない」
『そっかぁ。それなら、今の内にいっぱい泣いて良いんじゃない?』
ひらひら、とネロが私の周りを舞う。こういうとき、ネロはこれ以上何も言わずに側にいてくれる。今までもそうだった。
ユリアンさんが戻ってくるまで、私は泣き続けた。
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