ちいさな ちいさな 精霊士
浜千鳥
第1話
ドサッ、と私を入れた麻袋が森の中へ無造作に捨て置かれた。その衝撃で、私はようやく目が覚めた。
「ここに捨てときゃ良いか」
「だな。中身は何か知らねぇが……ここなら、役人共も来ねぇだろうし。さっさと行こうぜ」
男の人たちの声が離れていく。人の気配が感じられなくなったところで、袋の中でもぞもぞと身体を動かしてみる。麻袋の口紐は固くは結ばれていなかったようで、簡単に脱出できた。
周りをきょろきょろと見渡してみる。
(……ここ、どこ?)
鬱蒼と生い茂る木々。どこからどう見ても森だ。私はどうやら、森に捨てられたらしい。
私のぼろきれのような服の中から、ひらひら、と透き通った青い羽根の蝶が出てくる。どうやら、一緒についてきてしまったようだ。
「ネロ、こんなところまでついてこなくても良かったのに」
『嫌だよ。僕はマリーの傍にいたいの!』
青い蝶のネロは、ひらひらと私の周りを舞いながらそう言った。
ネロは普通の蝶ではない。彼が言うには、精霊の一種、らしい。特別な力を持った人以外には、ただの蝶に見えるようだ。私はどうやらその特別な力を持った子供、らしい。そのためか、産まれたときからネロだけではなく他の精霊さんの声も聞くことができた。
(そのせいで、きっとここにいるのだけれど……)
雑に捨てられた衝撃で痛む身体をさすりながら、今までの出来事を思い起こしていた。
◇◆◇
私、マリー・フーディエは、どこにでもあるような村の平凡な家庭に産まれた。父親譲りの茶髪に、母親譲りの青い瞳。だが一つ、普通の子供と違っていた点がある。
私が産まれた頃から、私の周りにはよく蝶たちが舞っていたらしい。ネロはその頃からずっと一緒にいた、と言っていた。
物心がつく頃には、私は精霊さんとよくお話しをしていた。最初は微笑ましい光景として見られていた。だがそれは、徐々に周りから気味悪がるようになっていった。
もちろん、何も話していない(ように見える)蝶と話している、という光景自体が不気味だったのだろう。しかしそれ以上に、私が本来ならば文字も読めない年齢にも関わらず、本の内容を知っていたり、どの大人からも教えられていないにも関わらず、動物や植物の名前を知っていたりすることが奇妙に見えたのだろう。もし、私がどこかのお姫様だとか、貴族様だとかそういうのであれば、神童と言われていたのかもしれないが……残念ながら、私はただの村の子供だった。
当然、そんな傍から見れば気味が悪い子供と好んで友達になろうなんて思う子はおらず、私は常に一人ぼっちだった。それでも寂しくなかったのは、いつもネロや他の精霊さんたちが私とお話ししてくれたからだった。
「マリー! いい加減、一人でぶつぶつ喋るのはやめて頂戴!」
「一人じゃないよ。ネロとおはなしをしてたの」
「蝶に名前なんて付けて……ああ、気味が悪い」
「まぁまぁ。成長すれば、そんなことも言わなくなるさ」
「あなた、またそんなことを言って……」
あからさまに私を嫌うお母さんに対して、お父さんはよくお母さんをなだめていた。しかし、一年経っても、二年経っても、私がネロたちと話しをするのを止めずにいると、私をかばってくれた父も、私を『得体の知れない何かと話し、年齢不相応に知識を持つおかしな子』として見るようになった。
そんなある年、村は凶作となってしまった。とはいえ、村にはある程度備蓄があったため、贅沢をしなければ一、二年くらいならどうにか保つ。だが、私の両親はこのチャンスを見逃さなかった。
「村には、お前を食べさせるほどの余裕はないの。だから、許して頂戴ね」
ネロたちの話によると、飢饉になったときに、年寄りや子供を切り捨てることはよくあることらしい。だが、両親の言っていることは嘘だ。それは直感で分かった。
しかし、逃げる間もなく私は気絶させられた。微かに見えた光景は、両親が私を麻袋に詰めるところだった。その後、男の人たちに私の処分をするよう、お金と一緒に引き渡したのだろう。その辺りは気絶していたので、私は知らない。
◇◆◇
「……わたし、何かわるいことをしたのかな」
ぽろぽろ、と涙がこぼれ落ちる。
ネロたちとお話をするのは楽しかったのだ。それを止めたくはなかったのだが、結果こうなってしまった。ネロが『そんなことない!』と叫ぶように言った。
『マリーは何も悪くない! 僕たちとお話してただけでしょ。僕たちの声が聞こえない方が悪いよ!』
「でも……」
『僕は、僕たちは、マリーとお話できて楽しいよ? マリーは違う?』
「ううん。わたしも、ネロとお話しできてうれしいよ」
けれど、私が両親に捨てられたという事実は消えない。その場に座り込み、膝を抱える。
「……わたし、これからどうしよう」
『僕は水の精霊だよ? 飲み水なら任せて!』
「ありがとう。でも……」
このままだと、日が暮れて森の中は真っ暗になってしまう。ネロのおかげで水に困ることはなさそうだ。けれども、動物は水だけでは生きていけない。お腹は減るし、寝る場所もない。
きっと、私は困った顔をしていたのだろう。ネロは焦ったようにひらひらと飛び回る。
『こ、この辺りには魔物もいないみたいだし、この森なら、僕みたいな精霊が他にもいるかもしれないよ!』
「ほんと?」
『ほんと、ほんと! マリー、ここでちょっと待ってて! 僕、近くを探してみるから!』
「あ、ネロ……!」
待って、という言葉を言う前に、ネロは森の中へと入っていった。
このままネロを追いかければ、きっと自分はこの場所に一人で戻れなくなってしまう。万が一にも、ネロが私を見つけられなくなってしまえば、私はもうどうすることもできない。
仕方がないので、その場で待つことにした。ネロ曰く、この辺りには魔物がいないらしい。
(はやく、かえってきてほしいな……)
一人だと、心細い。
村でもひとりぼっちだったけれども、周りにはネロを含めた蝶の姿を借りた精霊さんがいた。だから、寂しくはなかった。
ゆっくりと瞼を閉じる。次に目を覚ましたときには、きっとネロは戻ってきているだろう。――そう期待しながら、一人で待つことにした。
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