第39話 答えはもう決まっている
バレンタインデー当日というのは何とも浮ついていた。男子たちは期待を込めて下駄箱を覗いていたし、女子たちはひそひそと相談している。あるいは堂々と「友チョコー」とチョコを交換している生徒もいて賑やかだ。
そんな中、天城は教室で本を読んでいた。皐月からプレゼントされたレザー製の黒いブックカバーが付けられた本からは何を読んでいるのかは分からない。浮ついている教室の雰囲気を感じないように本を読んでいたのだが、それを邪魔するように声がかけられる。
「天城ー」
「何ですか」
「これ、どーしよ」
声をかけてきたのは龍二で紙袋を手に困った様子だ。その中身は可愛らしくラッピングされたチョコレートたちで詰まっていた。チャラい見た目をしているけれど彼はモテる男だ。部活の助っ人だったり、人当たりの良さに惹かれる女子というのは多い。
去年も結構な量を貰っていたなと天城は思い出す。彼は律儀に断らずに全部貰ったようだが、許容量というものが人間にはあるのだから断ることもしないといけない。そう注意するのだが、「それは可哀想じゃん」と言うのだ、彼は。
「これ一人で食うのか〜」
「手作りは何が入っているか分からないので食べない方がいいかと」
「何、なんかされたの?」
「俺ではなく、他のクラスの男子がされたらしいです」
天城が聞いた話だと爪や髪の毛が混入していたらしい。女子たちの呪いで血を混ぜると良いなどというのもあったので、手作りのものにはそういったおまじないを信じて試した生徒もいるかもしれない。
それを聞いた龍二はうげっと声をこぼした。どうやら紙袋の中に手作りのものも入っているようで、ますますどうしたものかと頭を悩ませている。
「自宅に持ち帰ってこっそり処分すれば良いのでは」
「なんか、可哀想だなー」
「異物混入させる方が悪いです」
「そうだけどよー。てか、天城は貰ってないのか?」
龍二の問いに天城は「貰ってませんよ」と返した。皐月と親しくしているからなのか、今年は下駄箱に入れらるといったものはなかった。これあげると言われたこともないと話せば、「七海っちからは?」と龍二に聞かれる。
皐月からも貰ってはいない。ただ、彼女はバレンタインデーの日に告白するんだと言っていたので渡してくるのだろうとは思っている。とは言わずに「貰ってませんよ」と返す。
「放課後か?」
「貰う前提ですね、その言い方」
「だって、貰うだろ?」
「どうしてそう思うのですか」
「お前、七海っちのこと嫌いじゃねぇもん」
好きでもない人間とあそこまで付き合っていられる人間じゃないのを龍二は知っていた。それは幼馴染だから知っていることで、だからこそあんなに距離の近い皐月と共にいられるの見て「嫌いじゃないんだな」と確信した。
それを言われて天城が黙っていれば、龍二は「まー、がんばれ」とだけ言って紙袋を手に自分の席へと戻っていく。何を頑張れというのだろうかと天城は彼の背を見送った。
*
放課後になると絶望したような顔の男子とそわそわし始める女子で溢れる。きっと校舎裏などでは告白されている男子もいるのだろう。天城は興味がないのでさっさと帰ろうと鞄を持ち立ち上がった。
するりと隣に皐月がやってきたので、「帰りましょうか」と声をかければ、彼女は「帰る!」と笑顔を向けてくる。教室を出て廊下を歩いていると、皐月が「あ! 忘れ物した!」と声をあげた。
「ちょっと取りに行ってくるから待ってて!」
「わかりました」
慌てて駆けていく皐月の背を見送ってから天城は廊下の壁に寄りかかった。下駄箱で待っている方が良いのかもしれないが、ここから教室はそう遠くはない。ならどこで待っていても同じなのでここで待つことにした。
「何だ、七海皐月と一緒じゃないのか」
「……あぁ、風紀委員長」
声をかけてきたのは風紀委員長の陸で、彼は珍しそうに天城のことを見ている。頻繁に皐月と共に一緒にいる所を見ているからだろう。天城は「皐月さんなら忘れ物を取りに行っただけです」と返した。
それを聞いて「いつも一緒だな」と陸に言われる。毎日一緒というわけでもないと思うのだが、周囲から見ればそうなのかもしれない。そう見えなくはないので天城は否定しなかった。
「ちゃんと考えているんだろうな」
「それ、前も言ってましたけどそんなに気になりますか?」
「当然だろう。他人の恋愛事情ではあるが、お前たちは見ていて異常だからな」
皐月は好きだと言って、天城はその想いに応えるわけでもない。それでも彼女は尽くし続けるのだから不思議でならないと陸は首を傾げている。それは確かに不思議ではあるなと天城も思う。
何せ、天城自身もすぐに諦めてくれるだろうと思っていたのだ。それが諦めるどころかどんどん押してくるのだから。けれど、天城はもう困惑などしていなかった。
「……まぁ、決めましたけど」
「そうか、それならいいんだ」
天城の返答に陸は「はっきりしないのは相手に失礼だからな!」と言って、廊下を歩いていってしまった。それだけで声をかけてきたのかと思うと彼は世話焼きなのかもしれないなと天城は思う。
それから数分して走って皐月が戻ってきたので彼女と共に学校を出た。
*
相変わらず、皐月は話が下手で話題が飛び飛びになるのだが楽しそうに話をしている、いつもと変わらずに。
ふと、橋の中心辺りで皐月が立ち止まった。そこではたりと思い出す、そういえば此処は彼女が飛び込もうとした場所ではなかっただろうかと。
「天城くん、覚えてる?」
「……まぁ、覚えていますけど」
「そんな心配そうな顔しなくても、もうしないよー」
皐月に言われて自分はそんな表情をしていたのかと天城は目を丸くさせた。それだけで自覚がなかったことを察したらしく、彼女は「天城くんは優しいからね」と笑っている。
「チョコ、渡すならここかなーって思って」
「どうしてですか?」
「初めて天城くんに会った場所だから」
初めて会って、好きになった場所だから。皐月はそう言って鞄から可愛らしくラッピングされた箱を差し出した。
「あたしは天城くんが大好きだよ」
今でもずっと、好きな気持ちは変わっていないと皐月は微笑む。
何度目かの告白だ。いや、ちゃんと告白されたのは数回かもしれない。好きだとは言われていたけれど、こうやって告白らしい告白をされたことは少なかった。
僅かに震える指先が見える。受け取ってくれなかったことを考えているのかもしれない。何せ、バレンタインのチョコを天城は受け取らないと言っているのだから不安にもなるだろう。
天城はその指先を眺めながら小さく溜息を吐いた。思い出される彼女と出会った時、過ごした日々、感じた時間、そして教えられた。それらの記憶が頭の中を巡って、心はもう答えを出していた。
するりと手を差し伸べてその箱を掴んだ。
「買ったんですか」
「手作りは嫌かなーって」
「そうですか。貴女のものなら別に手作りでもよかったですよ」
たった一言、それだけで皐月は理解したようだ。ぱっと表情を明るくさせて口を手で覆う、にやけそうになる口元を隠すように。
天城は受け取ったチョコレートの包装を剥いでいくとそれは有名なチョコレート店のものだった。少々高いだろうそのチョコレートに「ここまでしなくても良いでしょうに」と天城がこぼす。
「美味しいチョコを食べてほしいじゃん?」
「そういうものですか」
「そういうものだよ」
天城には理解できないけれど、彼女の想いが込められてるのは感じたので、「ありがとうございます」と言って鞄に仕舞った。一連の流れを眺めていた皐月が天城を覗き込むように体を屈める。
「天城くん、天城くん」
「なんですか」
「あたしは天城くんが大好きだよ」
「知ってますよ」
「天城くんは?」
にこにこと聞いてくる皐月に天城は眉を下げる。じっと見つめてくるので逃れられず、「負けました」と天城は答えた。
「好きですよ」
そう今まで感じてきたこの感情は好きだというものだ。皐月と出会い、過ごし、感じ、教えられたこれらの想いは。気付くのが遅いというわけではない、それだけ彼女がゆっくりじっくりと天城を落としていったのだ。
こうも気持ちが傾いて落ちるなど思ってもみなくて、これも全て皐月に教えられたのだ。
「あたしも好きー」
天城の返事に皐月はにかっと笑みを見せて。そんな彼女の笑顔に自然と表情を緩んでしまうのは惚れた弱みというやつだろうか。なんだか口には出したくなくて、天城は「知ってます」とだけ返した。
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