第38話 もう放っておけるほどの冷たさはない


「天城くんってチョコとか大丈夫ー?」



 いつものように皐月と帰路を共にしてたらそんなことを聞かれた。チョコレートは特に嫌いではないがあまり甘いタイプのものは好きではないので「甘さが控えめならば」と答えた。


 それを聞いた皐月が「ならビターかな」と頷いたので、なんのことを聞いているのだろうかと天城は首を傾げた。



「なんですか、突然」

「もうすぐバレンタインじゃん?」



 そう皐月に言われてそういえばそうだったなと天城は思い出す、もうすぐバレンタインだったなと。当日は平日なのできっと学校では浮ついた生徒たちで溢れるだろう。もうそんな季節なのかと天城は時の流れの早さに驚く。



「もうそんな時期ですか」

「そうだよー。バレンタイン商戦だよー」

「言い方」

「だって結局はそうだし。でもまぁ、告白するには丁度いいよね!」



 バレンタインといえば告白というのは確かによくある話で、それは女子にとって一大イベントなのだろう。もちろん、男子からしてみれば貰えたら嬉しいだろうし、告白されるかもしれないという淡い期待もあるかもしれない。


 恋が実ることがあるように叶わず散ることもある。次の日には落ち込んで前日のショックを引きずっている女子や男子というのは多かったりする。バレンタインというのはある意味、罪なイベントだ。



「天城くんは貰ったことあるー?」

「俺、受け取らないので」

「そうなの!」

「面倒じゃないですか」



 好きでもなく、大して知っているわけでもない人からの贈り物。大抵は好意を寄せているからなのだが、天城はそうではないのだ。貰っても困るし、受け取れば告白を了承したことになるから受け取らない。


 それを聞いて皐月は眉を下げてうーんと考えている様子だ。何を考えているのか大体、予想できてしまう。



「受け取らないのかー」

「えぇ」

「それでもあたしは渡す!」

「でしょうね」



 そうだろうなと思っていた言葉を皐月は言った。予想通りだなと天城は思いながら彼女を見遣れば、やる気満々といった表情に諦めるという言葉はないようだった。



「バレンタインの日に告白するんだー。天城くんに」

「もう何度もされている気がするのですが」

「それでもするんだよ」



 何度でも告白をする。自分の想いは変わっていない、ずっと好きであるのだと伝えるために。皐月は「だから、また告白するんだよ」と宣言した。



「天城くんのおかげで毎日楽しいからさ」

「……そうですか」

「うん」



 今は楽しいか、天城は少し考えてから口を開く。



「……貴女は毎日楽しそうですが」

「うん、楽しいよ?」

「どうして死のうと思ったのですか」



 いじめられていたわけでもない、学園生活に何か問題があったようには見えない。自殺をしようとした人間には見えないメンタルの強さ、天城はずっと前から気になっていたことを問う。


 すると皐月は目を瞬かせて天城を見つめていた。その様子にやはり聞くべきではなかったかと少しばかり後悔する。触れてはいけないものに触れてしまったかと。そんな天城に皐月は「大した理由じゃないんだよ」と答えた。



「楽しくなかったんだよね」

「楽しくない?」

「うん、楽しくない」



 皐月は遠くを眺めながら話し出した。それは終業式の日、前日は大雨でその日は晴れではなく曇りの日だった。薄暗く、灰色の分厚い雲が空を覆っていていい気分ではなくて。


 大雨だった前日に皐月は一つ、約束していたことがあった。それは父が一時的に戻ってくるということだったけれど、急な仕事が入ったことによって守られることはなかった。


 皐月はなんとなくそうなのではないかと思っていた。父の仕事が忙しいことは知っていて、それでも戻ってくるのを期待していなかったわけではない。皐月は父のことが好きだ。流石に母には負けるけれど、それでも父として慕っていたのだ。


 母は土日祝日と父に会いに行くけれど皐月はそうはしない。母の邪魔はしたくないというのもあるが、一緒に行こうとするれば母が嫌そうな表情をする。だから、母の邪魔をしないように着いていこうとはしなかった。


 雨の日の次の日は皐月にとって嫌な日で、いろんなことを思い出してしまう。母は一向に父以外を見てはくれないし、父は多忙で戻ってきてはくれない。学校では友達らしい友達もいなくて、毎日が楽しいとは思えなかった。


 そうやってぐるぐると考えながら歩いてふと、橋の上から川をなんとなしに覗いてみた。前日の大雨で川が増水しており流れが早くなっている。そこそこの高さのある橋だったので、ここから飛び込めば死ねるかなとそんな考えが過ぎった。


 楽しくないのに生きている意味とはあるのだろうか、そういう考えに行きついた時にはもう身を乗り上げていた。



「でもさ、止められたんだよね」



 皐月は思い出すように言う、天城くんに止められたのだと。


『何をやっているのですか』


 その声で飛び込もうとしていた身体を止めた。最初は自分のことのようには聴こえなかったけれど、もう一度呼ばれて見遣れば、面倒げなけれど少しばかり不安そうに見つめる天城の姿が目に入った。


 他人が死ぬ瞬間を見たくないから止めたと話していたけれど、天城に言われた言葉が今でも頭から離れない。


『綺麗な貴女が汚い死に方しない方がいい』


 容姿をそうやって褒められたことはなかった。お世辞のような言葉をかけられたことはあったけれど、天城は違うと声音で分かって。


『貴女の顔に出ていました。衝動的に飛び込もうとしていませんでしたか? 寂しげで諦めが混じっていて、けれど生きたい欲が隠せていませんよ』


 自分を見てくれている言葉だと感じた。だって、他人の顔色なんて関りがなければ見向きもしない。だというのに、天城はそうはせずに冷たい口調からでも伝わる優しさをくれた。


 誰かにそうやって言われたことはあっただろうか、見てもらえただろうか。心配されたことは、容姿を褒められたことは、止めてくれただろうか。嬉しかった、その言葉が嬉しかった。



「あの瞬間からあたしは天城くんが好きになったんだ」



 天城は皐月の話を聞いて彼女の奥底にあった寂しさに気づく。悲しいというよりは寂しくて、何もない日常がつまらなくて、生きていて何の意味があるのか理由がわからなくて。そうして、死んだ方が楽だと選択したのだろう。


 誰にも見てもらえなかった寂しさがずっと皐月にはあったのだ。両親にも、友達にも、お世辞や同情を抜きにして見てくれる人がいないというのは辛いものではないか。ずっと堪えてきても毎日は面白みもなく過ぎていくだけ。こんな人生って生きていて楽しいのという疑問を抱くのも無理はない。


 ふっと死を選択してしまうほどに皐月は追いつめられていた。誰かに見てもらえない、必要とされない虚しさと寂しさというのは人を死に追いやるには十分すぎる。


 皐月にとってあの時、自殺を止めてくれた天城だけが自分を見てくれた人だった。容姿だけでなく、顔色を見てくれて、冷たさに含まれる優しさを与えてくれた唯一の人。


 彼ならば自分を見てくれるのではないか、傍にいさせてくれるのでは。そんな淡い期待と喜びが胸を焦がし、恋心を抱かせた。皐月の想いにはちゃんと理由があって、天城の心に落ちていく。



「……今は寂しくもないと」

「ないよ! 天城くんがいるからね!」



 即答する皐月に天城はなんと荷が重いことかと溜息を吐く。彼女を救ったのは紛れもない自分で、救われた身からすればその相手に依存してしまうのも無理はない。荷が重い、荷が重いはずなのに放ってはおけないなとも思っている。


 本当に絆されて、毒されている。天城は己の気持ちがこうも変わるものなのかと信じられなかった。



「毎日が楽しいからね、天城くんに出会えてよかった!」



 ぱっと花を咲かせたように笑顔を向ける皐月に天城は暫く目が離せず。



「……そうですか」



 そう返事をするので精一杯だった。



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