第31話 雨の日、相合い傘にて


 十一月の初旬、少しばかり肌寒くなってきた季節に紅葉も一枚、また一枚と散っていく。そんな秋風が吹いていた午前中とは打って変わり、午後は雨が降り出していた。


 激しくはないものの、小雨とは言い難い雨の強さと急に降ってきたことで傘を持ってきていなかった生徒たちが口々に文句を垂れる。天城は窓の外に目を向けて放課後までには止む気配はないなと小さく息を吐いた。


 雨はあまり好きではない。じめじめするし、濡れるのもあるがあの雨独特の匂いも嫌いだ。それでも、雨が降らないのは色々と問題が起こるので降るなとは願えない。


 雨の中を歩きたいくはないので止んでくれないだろうかと淡い期待を持ちながら天城は次の授業のために教科書を取り出した。


          *


 願いも虚しく、雨が止むことはなかった。分かっていたけれど嫌だという気持ちが憂鬱にさせる。眉を寄せながらいつも持ち歩いている折り畳み傘を鞄から取り出した。


 ふと、隣を見遣れば皐月が困ったように眉を下げて空を眺めていた。雲に覆われて暗い空から雨は降り続いている。



「どうしたのですか」

「傘、持ってきてなーい」



 どうやら皐月は傘を持ってきていないようだった。そういった生徒は彼女だけでなく、何人もの生徒が下駄箱の前で愚痴をこぼしている。



「天城くん、天城くん」

「なんでしょうか」

「傘入れてー?」

「そう言ってくると思いましたよ」



 天城は言われるだろうなと思っていた言葉を聞いて傘を開いた。



「どうぞ」

「え、入れてくれるの!」



 皐月が声を上げたので何を驚くことがあるのだろうかと天城は見遣る、そこまで意外な行動だっただろうか。



「私だけ傘を使うとか、酷くないですか?」

「ちょっと走ればコンビニがあるよ?」

「それでも濡れてしまうでしょう」

「そうだけどー」

「で、入りたいのですか、どうなのですか」



 天城の問いに皐月は「入りたい!」と即答する。元気の良い返事に「なら行きますよ」と天城は傘をさした。皐月の方へと少し傘を向ければ、彼女は嬉しそうに入ってきた。


 そのまま外に出れば少し強めの雨が傘を打つ。激しくなる前に帰りたいなと天城は思いながら隣を見れば、狭い折り畳み傘の中だというのに皐月はにこにことしながら歩いていた。


 何がそんなに楽しいのだろうか。天城は理解できないように見つめていれば、皐月に「どうしたの?」と問われる。



「いえ、楽しそうだなと」

「天城くんと一緒の傘に入れたからね!」

「それだけですか」

「それだけだよ?」



 相合い傘みたいでいじゃないかと皐月は笑った。それだけで嬉しいと言うのだから彼女は単純なのだろう。本人が自分は単純と言っていたので間違いはない。天城にはよく分からないけれど、皐月が楽しいのならば何か言うことは特にないので、嬉しそうにしている表情をただ眺める。



「天城くんは雨嫌い?」

「嫌いですね。じめじめするので」

「わかるー。あたしはね、雨の日の次の日があんまり好きじゃない」

「次の日ですか?」

「うん」



 雨の日の次の日、カラッと晴れてくれればまだいいけれど、そうでない日が特に嫌なのだと皐月は言う。



「なんか、全部流れちゃっていくみたいで嫌だ」



 雨が全てを洗い流してしまったかのように感じる。晴れてくれれば気分もまだ良いが、曇りだったり微妙な天気だと雨の残りを感じて嫌になる。皐月は話す、なんだか思い出も全て流されてしまったかのように錯覚することがあると。



「思い出とか無くなるの嫌なんだよね」

「雨では流されないでしょう」

「そうなんだけどさー。そう思っちゃうことがある」



 雨で予定が流れてしまったことが何度かあった。運動会だったり、遠足だったり、家族とのお出かけだったり。そういったものが続いたりしたからだろうか、いつの間にか雨は洗い流してしまうものだと心が受け止めていた。そう話してから皐月は「だから、雨の日の次の日の天気を見ると流れてしまった予定のことを思い出して憂鬱になる」と呟いた。


 話を聞いてふと天城は思い出した、皐月が自殺をしようとしていた日のことを。



「あの日は確か前日が雨でしたね……」



 大雨の日の次の日だった。川は前日の雨のせいで水位は上がっており、泥水のように濁って流れも早かった。そういえば、そうだったなと思い出して天城は皐月の方を見遣れば、彼女は首を傾げて見つめてきていた。



「何が?」

「……いえ、別に」



 そういえば、彼女は自殺をしようとしていたのではなかったか。何があったのかは天城は知らないが、彼女はいじめられてはいなかったと言っていたし、これと言って死ぬ要因になりそうな原因を見ている限りではなかった。


 なら、どうしてそんな行動をしようと思ったのだろうか。あれがきっかけで自分は皐月に好かれることになったのだ。気になどしていなかったが、何故か今になって興味が出る。


 けれど、問うまでには至らなかった。誰にだって言いたくないことはあるわけで、自殺の理由など特にそうだろうと誰にだってわかることだ。だから、天城は気にはなるけれど聞くことはしなかった。



「天城くん、何か聞きたそうな顔してるー」

「……気のせいでは?」

「そうかなぁ?」

「……今はどうなんですか」

「今?」

「雨の日の次の日ですよ」



 天城の問いに皐月は目を瞬かせて、考える素振りを見せるもすぐに首を左右に振った。



「好きじゃないけど、今は平気だよ!」

「そうなんですか?」

「だって、天城くんがいるんだもん!」



 毎日、学校に行けば天城に会える。雨に思い出が流されている感覚になったとしても、次の日には天城がいつものように話を聞いてくれて、そんな錯覚をなくしてくれる。だから、大丈夫なのだと。



「だって天城くんはいつも態度が同じだからさ。あ、天城くんは昨日と変わってないなって安心できるの」


「そうですか」

「大丈夫だよ?」

「それならいいですが……」

「心配してくれてる?」



 皐月が小首を傾げながら問われて、天城は暫くじっと見つめてから「まぁ、そうですね」と小さく答えた。その返事に皐月は嬉しそうに頬を緩める。



「天城くんはやっぱり優しいね」

「俺だって誰かの心配はしますよ」

「そうだけどさ。でも優しいじゃん」



 そういうところが良いところだと皐月は嬉しそうに話す。



「ありがとう、天城くん」



 にかっと笑みを見せるその表情に寂しさも悲しさもない。今は大丈夫なのだろうと何故だか安心できる表情だった。


 そう感じた途端にザアザアと雨が強くなる。天城は皐月の肩が濡れそうになっているのに気づいて、傘を少しばかり彼女の方へと傾けた。



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