第19話 祭の夜
夕暮れ時、ガヤガヤと人の波が行き来する。ぼんやりとした提灯や照明の明かりが照らし出し、屋台からは料理の良い香りが漂ってきていた。浴衣に身を包む男女、はしゃぐ子供の声が耳に入る。海からほど近い場所で夏祭りは行われていた。
久方ぶりに祭りに来たなと天城はその様子を眺める。こういったことに興味がないのでもういつ振りなのかも覚えていない。そんなことを口にすれば、隣を歩く皐月に「勿体ないなぁ」と言われてしまう。
紺地に紅い艶やかな花の模様が目立つ浴衣に身を包む皐月は祭りの雰囲気を楽しんでいるようだ。浴衣を着てくるのかと天城は少しばかり驚いたけれど、彼女は「天城くんと一緒だからね!」と気合を入れてきたのだと胸を張る。
皐月が「可愛いでしょー!」と浴衣を見せてくるので、天城は「似合っていますよ」と返しておいた。これはお世辞とかではなく、本当に彼女に似合っていたのだ。それを皐月も察してか、嬉しかったようで上機嫌だ。
屋台では焼きそばやたこ焼きなど祭りでメジャーなものたちが売られている。皐月は何を食べようかと悩んでいるようだった。特に興味があるわけでもないので天城はその様子をただ眺める。
ゆっくり歩きながら屋台を確認して、皐月があっと立ち止まった。フルーツ飴を売っている屋台で、メジャーなりんご飴だけでなくぶどうやみかんと種類が多い。
「あたし、りんごあめ好きなんだよー!」
「甘くないですか、あれ」
「それがいいんだよ。買う〜!」
天城の手を引いて皐月はフルーツ飴の屋台まで小走りに近寄ってりんご飴を一本、注文していた。飴を受け取って皐月はりんご飴を堪能する。
真っ赤な飴に甘そうだなと天城は思う。皐月は美味しそうにしているので彼女の口にはあったのだろう、また機嫌良さげにしていた。
人混みというのを天城はあまり好きではない。ガヤガヤと騒がしい声は雑音に聞こえてくるし、人と密集しているのは気分が良くない。ただ、祭りの雰囲気がそれを緩和しているのかあまり気にはならなかった。
それでも人混みは人混みなので一瞬で人の波に押されて迷いそうになる。ふと、隣を歩く皐月が一歩遅れていることに気づいた。人の波に押されているのもあるだろうけれど、天城は足元を見て目を細める。
「歩くのが遅くなっているのは慣れない下駄など履くからでしょうか?」
「……ちょっと歩き辛いね!」
「そんな元気よく言われましても……足のサイズが少し合っていないのでは?」
「そうかもしれない? ちょっと大きいかも?」
ぱかぱかと軽い音がなる、少しばかり下駄のサイズが大きいようだ。足の痛みはまだないのでただ歩き辛いだけらしい。そんな皐月の様子に天城はこのまま自分のペースで歩けば彼女と逸れそうだなと思った。少し考えて天城が手を差し出せば、皐月に見つめ返されてしまう。
「逸れそうですので。あと、歩くペースを合わせやすいかと」
そう伝えると皐月はぱっと表情を明るくさせて天城の手を取った。
「やった! 天城くんと手を繋げる!」
「そんなに嬉しいですか?」
「嬉しいよ! デートみたい!」
「もともと貴女はそのつもりでしょう」
「そうだけどね!」
それはそれは嬉しそうに話す皐月に天城は小さく笑う。ただ手を繋いでいるだけだというのに何が嬉しいのだろうかと。それでも彼女が楽しそうなので、気分を台無しにしてはいけないと黙っておく。
ぎゅっと握ってくる皐月の手を天城は軽く握り返してやった。
「えっへへ」
「なんですか、その笑いは」
「すっごく嬉しい」
「そうですか」
そんな話をしながらゆっくりと歩く。時折、気になる屋台を見つけては皐月が買ったり、のぞいたりする。夏祭りの気に当てられてかなんだかこんな日も良いなと天城は感じていた。
外はすっかり日が落ちて空には月が昇り、祭りを楽しむ人もさらに多くなったようだ。屋台を一通り見て回ったけれど、皐月が「花火がみたい」と言うものだから天城は見晴らしの良さげな場所へと移動した。
特に見やすい場所というのはもう何時間も前に場所取りが行われている。なんと気が早いことだろうかと天城は思いながら祭りの会場から少し離れた。道路の方へと出ると花火が上がるだろう位置がよく見える。
座ってみることはできないけれど、この場所ならば綺麗に見ることができそうだ。天城が「ここでいいですか」と問えば、「天城くんと一緒に見れるなら何処でもいいよ」と答えが返ってきた。
「貴女、いつもそうですね」
「だって本当のことだもん」
「まぁ、別に良いのですが」
そう返せば、「えっへへ」と笑い返された。彼女はいつもこうだなと天城はそんな笑顔を見つめる、相変わらずよく似合っていると思いながら。
「天城くん、あと少しで花火だって」
会場のアナウンスが僅かに聞こえる。花火を見ようとする人波の揺れをなんとなしに見下ろす。そうして動く波を眺めていると打ち上げる音が響いた。
打ち上がる火の花は暗い夜空を彩る。一つ、また一つと艶やかに華やかに咲いては散って。一瞬、一瞬を飾っていく。それはほんのひと時であるけれど、その花の美しさは心に焼き付いていた。
花火が打ち上がっていく中、二人に会話はない。ただ、黙って空を見上げて咲き誇る火の花の最後を見守っていた。
短い間だった、たった数十分の時だ。最後に大輪の花を咲かせて夜空は静まり返った。全ての花火を打ち上げ終わったアナウンスが流れる。祭りの終わりを伝えるように一人、また一人と道路に出ては帰っていく。
「すごかったねー!」
皐月はきらきらした瞳を天城に向けた。未だに空に花が咲いているかのように煌めく眼に天城は目を瞬かせる。
「最後の花火が特に!」
「……そうですね」
「どうだった?」
「どうだったか、ですか……」
花火の感想を聞かれて天城は空を見上げる。視線の先にはもう火の花は咲いていない静かな星空が広がっていた。
「綺麗でしたね」
ありがちな感想だったかもしれないけれど、天城は純粋にそう思った。あの一瞬だけ咲き誇り、夜空を彩る火の花の命は綺麗だと、美しいと。
たった一言だったけれど、皐月は「だよね!」とにかっと笑みをみせた。
「すごく綺麗だった!」
「短い感想になってしまいましたが、綺麗でしたね」
「いいんだよ、短くても。思ったままのことを言えばさ!」
人の感想なのだから情緒溢れるようなものでなくてもいい。ありがちでも、簡単でもその人の気持ちが知れるのならばどんなものでも良い。皐月は「天城くんの気持ちが知れるならそれでいい」と言う。
「楽しければ良いのだ!」
「楽しかったですか?」
「天城くんと一緒だったから楽しかったよ!」
「貴女、いつもそうですね」
「こればっかりは仕方ないよ!」
「そうですか」
こうして誰かと一緒に祭を楽しめて、それが好きな人となら嬉しくて、生きていてよかったと感じると皐月は夜空を見上げた。もう花火は上がっていないけれど、彼女の瞳には映っているかのようで。
「誰もあたしを見てくれなくて生きていてもつまらないなって思ってたけど。今は生きていてよかったって思うね!」
ふふっと微笑む皐月の表情に寂しさなどはなく、いつもの明るさで天城を照らす。少しばかり彼女の心情に触れてしまったような感覚に天城はどう言葉をかければいいのか悩ませた。
自分はどうして皐月が自殺をしようとしたのかを知らない。彼女は〝誰もあたしを見てくれていなくて、生きていてもつまらない〟と言っている。それが理由なのだろうけれど詳しくは聞いていない。知っていたからといってどうこうということはないのかもしれないけれど、別の言葉を返せたかもしないなと。
「天城くん、天城くん」
そう言葉を選んでいると皐月に何かを聞きたい時の呼び方をされて、彼女のまっすぐな瞳と目が合った。
「なんでしょうか」
その眼を見つめながら天城がいつものように返す。
「天城くんは楽しかった?」
皐月の問いに天城は目を細めた。今日の出来事、祭りでのひと時を思い出しながらそっと自身の顎に手を当てる。楽しかったかどうか、それならば自分はと考えて小さく笑った。
「楽しかったような気がしますね」
屋台を見て回るのも、いつものように他愛ない話をするのも、黙って花火を眺めるのも、皐月と一緒だと苦もなくて、落ち着いていられて、それを表すのならば、きっと「楽しい」なのだろう。違和感もなく、心にすとんと落ちるその言葉に天城は嘘ではないなと自分の感情を知った。
「あたしも楽しかった!」
元気よくそう返事を返した皐月は天城の手を取った。
「駅まで!」
「まぁ、駅までならば」
「やった!」
何を言いたいのかなんとなく分かった天城はその手を握り返してやった。それが嬉しかったのか、にこにこと皐月は笑っている。
駅までの道を歩きながら天城はこんな日も悪くはないなと感じている自分に少しばかり驚きながらも、なんだか嫌な気にはなれなかった。
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