第4話 彼女は数学が苦手だ
皐月は休み時間になると必ず話しかけてくるか、ただ見つめてくる。見つめているだけの時は決まって天城が読書に集中している時だった。
その視線など気にも留めないほどに物語に入り込んでいる瞬間だけは彼女は邪魔をしない。
「よく飽きませんね」
「うん、かっこいいからね、天城くん」
「褒め言葉として受け取っておきますね」
天城は本にしおりを挟み、鞄に仕舞うと次の授業のために教科書を引き出しから取り出す。次の教科は数学だ、皐月が苦手な教科だ。
それは授業態度を見てればよく分かる。理科のときもそうだったので、彼女は理数系が苦手なのだろう。
「次は数学ですよ」
「そーだーねー」
「貴女は苦手ですよね、数学」
そう言うと皐月は驚いたように目を見開いた。何故、知っているのだといったふうに。天城が「見れば分かりますよ」と言えば、何故だか嬉しそうにしていた。
「どうして嬉しそうにしているのですか」
「だって、天城くんがあたしのこと見ていてくれてたってことでしょ?」
皐月は「それは凄く嬉しいことだよ」と乱雑に数学の教科書を取り出しながら話す。好きな人に見てもらえる、気づいてもらえるのは意識してくれているということだからと。
意識といっても種類はあるけれど、そのどれでもいいから自分を気にしてくれていることが嬉しい。天城を見止めながら、恥ずかしげもなく言ってのける。
「悪い意味で意識されていたらどうしますか?」
「それはそれで仕方ないかなーって思う」
皐月は「でも諦めないよ」と言い足した。なんと面倒な女性に好かれてしまったのか、天城は呆れながら彼女を見ていた。
皐月はやめてくれといったことに関しては素直に従ってくれる。人前では大好きだと声を大にして言わなくなったし、読書の邪魔はしない。ストーカーじみた行動など迷惑行為はしない。
視線が痛いと思うことはあるがそれさえ気にしなければ特に問題はなかった。けれど、皐月は必ず一日一度は言うのだ。
「あたしは天城くんのことが大好きなのだ」
ひそひそっと声を顰めて今日も皐月はその言葉を口にした。それに答えるでもなく、天城はそうですかと軽く受け流す。
それでも彼女は傷ついた様子を一つも見せないので、本当に何を考えているのか分からなかった。
「天城くんは数学得意?」
「苦手ではありませんね」
数学のように数式を解くのは嫌いではない、国語や社会なんかよりも楽な教科だ。答えがはっきりとしている分、国語なんかよりも数倍分かりやすいのではないだろうか。そんなことを言えば、皐月は分からないと首を捻っていた。
「天城くん、天城くん」
「なんでしょうか」
「数学教えて?」
ノートを開いてそう言う皐月はどうやら出された課題をやっていないようだった。席順的に今日は当てられる可能性がある日だ。どうしてやってこなかったのかを聞くとまったく分からなかったのだという。
天城が「一年のおさらいですよ」と呆れたように言えば、「そんなものは知らない」と皐月は自信満々に言ってのけた。そこに自信を持たれても困るのだが、そこを突けば話が脱線しそうなのでやめた。
そんな天城など気にも留めずに皐月はノートを突きながら「頑張ったんだよー」と少しはチャレンジしたのだと主張する。
「少しはやったんだよー」
「……間違えてますけどね」
「どこー?」
天城が「ここ」と見せられたノートに書かれた数式を指を差す。しかし、何がどう間違っているのかわかっていない様子だ。
そんな皐月に天城は溜息をつくとペンを取り出した。すらすらと間違っている箇所に式を書いていくと彼女は「へぇー」と関心しながら眺める。
「この式は覚えていますか?」
「うーん、多分?」
「覚えていませんね。では……」
天城はなるべく優しく分かりやすく説明する。教えるのが上手い自信はないのだが、皐月は理解してくれたようでノートに数式を書き出した。
彼女は物覚えは悪くないようだ。一度、教えれば次からはできるようになっている。やる気の問題なのかもしれないなと教えながら天城は思った。
次の授業まで残りわずかなのだが、このペースなら当てられる頃には終わるだろう。授業中に課題をやるのもどうかと思わなくもないが、間に合わないのだから仕方ない。
「後は授業中に頑張ってください」
「天城くん、天城くん」
「なんでしょうか」
流石に授業中までは面倒見切れないと言ったふうに天城が見遣れば、皐月が嬉しそうに微笑んでいた。
「……なんでそんなに嬉しそうなんですか」
「だって天城くんに勉強教えてもらえたんだもの」
「それのどこが良いのですか」
「全部」
「意味が分かりませんよ」
皐月は天城の突っ込みなど気にしている様子もなく、「全部は全部なんだよ」と笑う。それの意味がわからないのだがと天城は思うも、もう突っ込むのはやめた。彼女が嬉しいのならばそれでいいのではないかと。
「天城くんの好きなものになりたいなぁ」
「貴女、ちょいちょいそれ言いますよね」
食べている唐揚げになりたいだの、読んでいる本になりたいだのと皐月は天城の触れている、食しているものになりたがる。それが不思議でならないのだが、彼女はただ、「好きなヒトの好きなものになりたいのだ」と答えるだけだ。
本でもいいし、食べ物でもいい、猫や犬のような動物でもいい。好きな人の好きなものになって側にいたいと。分かるような、分からないような、天城にはあまり理解できなかった。
「猫や犬は可愛いじゃん? 可愛くて天城くんに愛されるなら最高だよね」
「猫や犬は好きか嫌いかならば別に嫌いではないですが……」
「あたしはー?」
「嫌いではないですよ」
皐月のことをどう思っているのか、嫌いではないというのが天城の感情だった。恋愛的な意味で好きかどうかはまだよく分からないけれど、嫌いかと問われるとそうではないといった感じだ。
だからと言って皐月を気にかけているか、相手にしているかは別なのだが、それでも彼女は嬉しかったようでにへっと笑みをみせていた。
「天城くんは優しいよね」
「何が?」
「こんなあたしにも勉強を丁寧に教えてくれてさ。話も聞いてくれるんだもの」
皐月はそれだけ言うと、予鈴が鳴ったのを聞いて再びノートに向かい課題に取り掛かった。
(どこが優しいのでしょうか)
不思議な人だ。そう心で囁きながら天城は課題のチェックをするためにノートを開いた。
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