呪い
遊園地の撮影から3日が経った。
今日は俺も西宮もバイトなのだが、隣を歩く彼女はそれはそれは嬉しそうだ。
「西宮さん、何かいい事あったんですか?」
「明後日がキヨの誕生日なの!」
「それでそんなに嬉しそうな訳ですか。デートはどこに行かれるんですか?」
「箱根に行くんだあ!って、別にデートじゃないもん!お出かけだもん!」
西宮はそう言って顔を赤く染める。
「デート、凄く素敵だと思います。」
「本当に?」
「はい。」
西宮は嬉しそうに笑う。
「私ね、すっごく楽しみなんだあ。」
以前、キヨは自分よりも嬉しそうに誕生日を祝ってくれると彼女は言っていたが、きっと逆もそうなんだろうな。
いつもなのだが、バイト中であっても西宮はキラキラしている。
今日は一段と輝いていて、駄目だとわかっていても目で追ってしまう。
「あれ?前野じゃん。」
俺は聞き覚えのあるその声に背筋が凍り付く。
ゆっくりと振り向くと、そこには二度と顔を合わせたくない人物が立っていた。
「田代係長・・・?どうして・・・。」
田代はくいっと眼鏡を上げると、ニヤリと笑う。
「どうしてって、それがお客様への態度かよ?それに今は課長なんだ。」
「いえ・・・その・・・。」
田代一。確か歳は30代前半。
優秀で同期一の出世頭と呼び声高かった男だ。俺が退職した時はまだ係長だったのに、もう課長へと出世したらしい。
「お前、ここの社員になったの?」
「・・・いえ・・・。」
「まさかバイト?」
俺が黙り込むと田代はケラケラと笑う。
「そりゃそうだよな〜。会社をものの数ヶ月で逃げ出したお前が正社員なんかになれる訳ないよな!」
元の職場の人達に会わないようにこのコンビニを選んだのに、よりによって田代がここに来るなんて・・・。
「今、取引先から帰る途中でさ〜腹減ってるんだよね。
何がおすすめかな?バイト君。」
「・・・ご自分で選ばれた方がよろしいのでは無いでしょうか・・・。」
「は?お客様がおすすめはって聞いてんのに、自分で選べっておかしいだろ。
お前は本当に仕事出来ないよな。」
「・・・申し訳ございません・・・。」
「お客様、何かございましたか?」
異変に気が付いた西宮が田代に声をかける。
田代はニヤリと笑って西宮に言う。
「私は前野の元上司でしてね。彼がこんなにも落ちこぼれてしまっていたことにガッカリしているんです。
こちらでもさぞご迷惑をお掛けしているでしょう。」
「落ちこぼれ・・・?」
「うちの会社を逃げ出してどこに転職したかと思えばフリーターってね〜。
仕事できない奴でしたから仕方ないんでしょうけど、残念ですね〜。」
そうだ。俺は会社から逃げ出した落ちこぼれのフリーター。
社会の底辺だ。
その事は何かの呪いのように俺の心に深く刻まれている。
「もうお帰りいただけますか。」
「は?」
西宮は真っ直ぐに田代の目を見る。
「西宮さん・・・?」
「これ以上、前野を拘束するようでしたら、威力業務妨害罪で警察に通報致します。」
「は?警察?拘束って話してただけだろうが!」
「前野の手が止まったことで、品出しが遅れています。
これ以上遅れるようですと、支障が出ますので。」
すると田代は何やら文句を言いながらも足早にコンビニを後にした。
「気が付くの遅くなっちゃってごめんね。大丈夫?」
「・・・ありがとう・・・ございます・・・。」
ああ、駄目だ。
言葉を発したら視界がぼやけてきた。
上を向いてももう遅い。
「ごめんなさ・・・」
俺が言い終わる前に西宮がそっと俺の涙を手で拭う。
「もう大丈夫。大丈夫だよ。」
その後すぐに休憩に入れてもらった。
いつも食べているツナマヨおにぎりが喉を通らない。
田代の顔を見たことで正社員時代の嫌な記憶を思い出してしまった。
心底気分が悪い。
「・・・全部終わった事。終わった事なんだ。」
そうだ、切り替えないと。
「よし。」
俺は自分の頬をバチッと叩いて、バックヤードを後にした。
仕事に没頭していれば大丈夫。大丈夫だ。
「兄ちゃん、レジ頼むよ。」
「はい、ただいま!いつものでよろしいですか?」
常連客の中年男性に声をかけられて俺はレジに入り、いつも買っていく煙草を差し出した。
「兄ちゃんは煙草吸うのか?」
「え・・・?はい、吸います。」
「どれだ?」
「58番のラッキーストライクです。」
「じゃあ、それも一つ。」
「・・・畏まりました・・・。」
会計を済ませると、男性は俺にラッキーストライクを差し出す。
「え?」
男性は俺の制服の胸ポケットにそれを入れた。
「お客様・・・?」
「馬券が当たったんだ。いつもお疲れさん。」
男性はそう言うと何事もなかったかのように店を出て行ってしまった。
「お礼・・・言いそびれた・・・。」
バイトが終わって西宮と帰路を共にするが、あんな情けない姿を見せてしまった後に何を話して良いのかわからない。
「新太君。」
「・・・はい。」
「新太君は本当に素敵だよ。」
「え?」
「凄く素敵だよ。」
いつもすぐに顔を赤く染める西宮だが、今は真っ直ぐに俺の目を見てそう言ってくれた。
「・・・そんな事ないです・・・田代さんが言っていたように僕が逃げ出したのは本当ですから・・・。」
田代からの度重なるパワハラや残業続きの労働環境に耐えられなくなって俺は逃げ出した。
俺は負けたんだ。
立ち向かえなかった駄目野郎だ。
「私ね、逃げるって生き抜く事だと思うんだ。」
「・・・生き抜く事?」
「逃げる事を諦めた時、人は死を選ぶんじゃないかな。」
西宮は何かを思い出しているようにそう言った。
「西宮さんがそうだったんですか?」
「え?」
「あ!ごめんなさい・・・。本当にごめんなさい・・・。」
謝ることが正解なのかもわからないが、俺にはそれしかできなかった。
西宮は少し寂しそうに笑うとゆっくりと話し始める。
「うん。私ね、死んじゃおうって思ったんだ。」
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