兄貴
俺の最愛の妹は最近やけに楽しそうだ、と思ったら目に見えて落ち込んでいる時もある。
妹は今、恋をしている。
人を好きになるということは素晴らしいことだ。ただ兄貴としては少し心配な所もある。
もうお互い良い大人な訳だが、幾つになっても妹である事に変わりはないので、心配してしまう。
家に入ると伊織はすぐにリビングのソファーで横になった。
「伊織、風邪引くからベッドで寝なさい。」
「やだ。」
そう言って伊織は目を閉じる。
「本当に我儘な妹だなあ。」
俺は寝室から勝手にタオルケットを持ってきて伊織にそっとかける。
隣に座って頭をそっと撫でてやると、伊織はモゾモゾと頭を動かして俺の膝に乗せる。
「本当に兄ちゃんの事が好きだな〜、伊織は。」
「枕が欲しかっただけ。」
眠たそうにそう言い放つと、伊織はすやすやと寝息を立てる。
安心しきったその顔が愛しいだなんて本人には言えないな。
「はいはい、そうですか。」
どんなに可愛げのない態度をとったって無駄だぞ。俺にとってはずっと可愛い妹なんだから。
「もうすぐ10年だなあ。」
俺と伊織は血が繋がってる訳でも親が再婚した訳でもない。
それでも確かに10年前、俺たちは兄妹になった。
俺は伊織の頭をそっと撫でながらあの日の事を思い出していた。
あの日はよく晴れていた。
16歳だった俺はまあ・・・色々あって高校に行っておらず、バイトや高卒認定試験の勉強の合間を縫って、現在伊織が所属しているモデル事務所に通っていた。
モデルになるために通っていた訳では無い。メイクの勉強をさせてもらうためだ。
知識も学もない俺を面倒見てくれた社長の麻里さんには頭が上がらない。
そんな生活をしていたある日の事だった。麻里さんからこんなメッセージが届いた。
(新しいモデルの子を拾った。キヨと同い年の女の子。)
拾った・・・?その言い方に違和感を覚えながら先の文章にも目を通す。
(とりあえず明日から事務所で色々勉強させるから。男性が苦手みたいだからよろしく。)
え?よろしくって何・・・?どうしたら良いのよ?俺は心も体も男の子な訳。
(どうしたらいいんですか?)
俺がそうメッセージするとすぐに返信が来た。
(さあね。じゃあ仕事に戻るので。)
要するに丸投げですか。良いですとも。
俺は一晩中よく知りもしない彼女のために考えを巡らせた。
そしてある一つの答えに辿り着いたわけだ。
男が苦手、つまり異性として接するのが御法度という事だろう。
それなら俺に出来ることはただひとつだ。
翌日、よく知りもしない彼女・・・伊織と初めて会った。
伊織は麻里さんの後ろに隠れて思いっきり俺を警戒している。だから俺は言ってやったんだ。
「俺が先にここで世話になってるんだからお前が妹な。俺の事はお兄様と呼びなさい!」
すると16歳とは思えないその絶望した目が一瞬ではあったが、その日の太陽と同じような煌めきを見せたのだ。
まあすぐに、こいつ何言ってんだ?という目に変わった訳だが・・・。
それでもこれが俺の導き出した最善の選択。
そう、兄妹になることだ。
この日から俺は伊織の兄貴になった。
最初の半年、いや8ヶ月はあったな。まともに話した記憶がない。警戒するのも仕方ないだろう。正直そこまで気にしていなかった。伊織はモデルになるために色々勉強したり、ボディメイクをしていたので邪魔をしたくなかったし、俺だってメイクの勉強やバイトでいっぱいいっぱいだったから。
だから自分が程よいだろうと思う距離感よりも若干遠めで接することにしていた。
そんなある日のことだ。俺が事務所でメイクの本を見ていると伊織が少し遠くからその様子を見ていたんだ。
「見る?」
俺がそう話しかけると伊織は小さく頷いて、俺の隣に座って一緒にその本を見始めた。
俺がメイクの説明をしながらページを捲るたびに伊織は目を輝かせた。
「兄ちゃんがメイクしてやろうか?」
俺が試しにそう言うと伊織は再び小さく頷いた。その時、伊織はどれだけ勇気を振り絞ったのだろう。そんな事を考えると愛おしかった。
その翌日伊織にメイクを施すとすごく喜んでくれた。
「うわああ!すごい!」
そう言って鏡で自分の顔を見ながら少し子供っぽく笑った。
俺の視線に気がつくと、ハッとした顔を見せてからすぐに真顔に戻っていたのが可愛かった。
その日から少しづつ、少しづつ会話をするようになって、伊織から話しかけてくれることもあったし、二人でご飯に行くこともあった。
「・・・キヨ・・・。」
「ん?」
「お腹空いた・・・。」
「ご飯食べに行く?」
伊織はこくんと頷いた。その表情は心なしか少し嬉しそうだ。
「お兄様一緒に行きたいです、だろ?」
俺がそうやって揶揄うと伊織はぷいっと顔を背ける。
「悪かったよ。ほら、行こう。」
俺がそう言って歩き出そうとすると伊織は俺の服の袖をぎゅっと掴む。
「伊織?」
「・・・お兄ちゃん・・・。」
その声は今にも消えてしまいそうなくらい小さくてか細い声だったが、伊織は確かにそう言ってくれた。初めて俺をそう呼んでくれた。
俺はこの日を一生忘れることは無い。絶対だ。
「伊織、伊織。」
「ん・・・キヨ?何してるの?」
「何じゃ無いだろ。ご飯出来たから起きて。」
「え?ご飯作ってくれたの?」
伊織は酒が入ると大体のことは覚えていない。なのに何故飲みたがるんだか。まあ、一緒の時なら良いのだが。
伊織はソファーから起き上がってテーブルに並んだ料理を見ると、嬉しそうな顔をする。
この10年で色々な表情を見せてくれるようになった。
兄冥利に尽きる。
「あ!お味噌汁ある!私、キヨのお味噌汁好き!」
伊織は いただきます と手を合わせた後、早速味噌汁を口に運ぶが熱くて中々食べられないようだ。
俺がそんな伊織を微笑ましく見つめていると、伊織がその視線に気がついたようだ。
「ニヤニヤして見ないでよ。気持ち悪いよ。」
兄ちゃん傷ついちゃうよ?
「そういうこと言うなら今日伊織が新太に何したか教えてやらないからな。」
「え?!私、新太君に何したの?!」
やっぱり覚えていなかったか。
「気持ち悪いんだろ。教えてやんねぇ。」
俺がそう言うと伊織はじっと俺の目を見る。
「本当のこと言っちゃってごめんなさい。」
おい。何も解決してないからな。むしろ傷口抉ってるぞ。
俺は何も言わずにご飯を口に運ぶ。すると伊織は少し甘えたように言う。
「お兄ちゃん・・・。」
お兄ちゃんって呼ばれたら俺の負け。だって最愛の妹がそうやって甘えてきたら可愛くて仕方がないだろう?無碍には出来ないだろう?
俺は案外ちょろいんだよ。
「よし、お兄ちゃんがぜーんぶ教えてあげよう。」
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