慰安旅行

青いひつじ

第1話


私は今、50人ほどが乗れる大型バスの真ん中の列に座り、窓からせせらぐ川を眺めている。


会社の人間と旅行だなんて全く乗り気にはなれないが、欠席報告の期日を逃してしまった。

今年は5年ぶりの開催ということもあり、100年以上の歴史を持つ高級温泉旅館に宿泊するらしいという噂を聞き、渋々参加することにした。



しかし、今日はあいにくの天気である。

バスは雨に打たれながら、でこぼことした薄暗い山道を進んでいく。

管理されていないであろう祠が、我々を歓迎するかのようにずらりと並んでいる。



通路を挟んで隣に座っている事務員の女性によると、その宿は140年前に建てられたらしい。

それならばこんな辺鄙な所にあるのも無理はないが、それにしても不便な場所に建てたもんだ。



30分ほどが経ち、大型バスはその巨体を道の端にのろりと止めた。


降りた先の光景に、私は唖然とした。

そこには想像していた高上な木造の建築も、立派な暖簾の掛かった門もなかった。

目の前には、小さな赤い鳥居と、石畳の道の奥には一階建ての平屋が建っていた。




「これが旅館というのか」


「ただの古い公民館にしか見えないわね」


「俺たちを騙したな」


「こんなんだったら家で休んでる方が良かったよ」


それを見るなり、参加者達は続々と不満を口にしだした。


すると、1人の男がぱんぱんと手を叩き、その場は一瞬にして静寂に包まれた。


「まぁまぁ、ここは料理と温泉が有名な宿ですからね。とりあえず入ってみましょう」



幹事らしき男の呼びかけに、我々は仕方なく中へと進むことにした。


扉を横に開くと、玄関は簡素なつくりであったが広く、清潔に保たれていた。

そして何より、敷かれた上質な絨毯、センスの良さが窺えるクラシック調の家具の数々に私は安堵した。



「まぁ、見た目よりかは幾分かはマシだな」


「そうね。ここで楽しみましょう」


感じていることはみな、同じであるようだ。


「それではみなさん、1時間後に宴会場に集まってください。温泉も入るのもいいですね」



例の男の呼びかけにより、私たちは各々の時間を過ごすことになった。


部屋も玄関と同様、ベッドと机と椅子だけが置かれたノスタルジックな空間であった。

窓の外に目をやると、うっすら湯気がたちこめており、温泉が有名だったことを思い出した。



「後で行ってみるか」



しかし、酒の場ほど憂鬱なものはない。

人は酒を飲んで昔を懐かしんだり、日頃の感謝を伝えたり、勢いにまかせて本音を吐いたりするらしいが、やたらと感傷的になるのは好きでは無い。

少し飲んだら部屋に戻ろうと私は思っていた。






「いやぁ、美味しい。一体何のお肉でしょう」


「ここは鹿肉が有名みたいですよ」 


「これも鹿肉でしょうか」


「いやぁ、もう酔ってしまって。美味しいければ何肉でもいいでしょう」


「あ、そういえば部長。こないだの申請書早く通してくださいよー」


「まぁまぁ、仕事のことは忘れて、今日は飲もうじゃないか」


「まーた、そーやってはぐらかすー」


宴はどんどん深くなり、酔っていないのは私ぐらいだった。



乾杯のビールをちびちびと飲んでいると、1人の男が私の横に座った。


「お隣よろしいですか?」


初めて見る顔であったが、何百人といる社員の顔を覚えていなくても不思議ではない。



「どうぞ」


「ありがとうございます。実は、あなたとお話ししたいと思っていたんです」


「私とですか?」


「ええ。お礼を伝えたくて」



男の話を聞くと、私が早急に書類を通したおかげで何度か命拾いしたことがあるという。


「一杯どうぞ」


男はそう言って、グラスにビールを注いだ。


「よかったら、あちらで我々と飲みませんか。みな、あなたと話してみたいと言っております」


部屋に戻ろうかと考えいたところだったが、男の誘いに悪い気はしなかったので、そちらのグループに合流した。



「あ!総務部の!」


「どうぞどうぞ〜!初めまして〜」



自己紹介もなく、旧友のような振る舞いに初めは戸惑ったが、次第にその空気が心地よくなっていった。



「いや〜、ずっと話したいと思ってたから嬉しいですよ〜」


「これからはもっと飲みに行きましょうね」



その言葉がお世辞だとしても、心の奥で少し嬉しいと感じている自分がいた。

まるで、新学期に新しい友達ができたような小さな安心感が芽生えていた。



この会社に勤めてからというもの、母親を亡くし、妻とは離婚し、災難続きであった。

しかし、よく考えれば全て偶然であり、この会社に勤めたせいだなんて、ただの私の逆恨みである。



「正直、始めは乗り気ではなかったんです。私はあまり馴染めていませんし。

こんな素敵な方々がいる会社に勤めることができて本当に幸せだ」


ポツポツとそう述べながら私は目に涙を浮かべ、みなはビールを片手に微笑んだ。



「酔いが回ってきたので、私はこれで失礼します。皆さんはぜひこのまま楽しんでください」


「もう戻るんですか〜」


「えぇ、温泉も少し覗いてみようと思いまして、それではまた」



私は部屋に戻るとそのまま布団へ倒れた。

寝転がった瞬間、重い荷物を降ろしたように心が軽くなった気がした。

これぞまさに慰安旅行。瞼が少しずつ重たくなってきた。


「にしても、少し飲みすぎてしまった」




目が覚めると、時刻は深夜2時だった。

ぐっすりと眠ってしまった私は、温泉に向かうことにした。

ここは赤茶色の泥温泉が有名らしい。中に入ると、1人の男がいた。



私が静かに温泉に浸かると、「お待ちしてましたよ」と、男が話しかけてきた。煙で見えなかったが、顔をよく見ると、先ほどのグループにいた1人だった。



「あ、先ほどはありがとうございました。しかし、不思議ですね。遅い時間とはいえ、こんなにいい温泉なのに誰も入ってこないなんて」



「まぁ、いいではないですか。おかげでゆっくり入れますし、あなたともゆっくり話ができます」



「そうですね。いやぁ、しかし泥温泉なんて初めてですが癒されますね。

なんだか溶けてなくなってしまいそうです」



「そうですね」



少しの沈黙が流れた後、男は不思議な話をし始めた。




「5年前、この会社をクビになった職員をご存知ですか」



「いえ、存じ上げません」



「そうですか。新入社員だったのですが、教育担当者との相性が悪くクビになったとか」



「まぁ、上司との相性を理由に去っていく人は沢山いるので、いちいち覚えてはいられないですよ」



「実はその新入社員は、私の弟でしてね。

クビになった1年後に、自ら命を断ちました」



「、、、そうだったのですね。どちらの部署にお勤めだったのですか」



「総務部です」



「、、、総務部」



「覚えていらっしゃいますか?」



男はそういうと、隠し持っていた鋭利な刃物を突き出した。






「部長〜、温泉はいいんですか〜〜」


「もういいさ。懐かしい昔話も、みんなの本音も聞けて俺は幸せだ。最高の慰安旅行だな」














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慰安旅行 青いひつじ @zue23

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