第31話酔っ払いベニート①
宿の準備を黙々と進めていたら、日が傾き始めた頃、荷馬車がやってくるのに気が付き手を止めた。何より女の人が出すキンキン声がよく聞こえたし、それがロセなのだとかなり早い段階でわかっていた。
(宿もほぼきれいになったし、出迎えた方がいいかしら)
荷物があるなら荷下ろしに手を貸したいし、とにかく行ってみようとホウキと桶を持ってまずは厨房へと急ぎ足で向かった。
厨房ではカリーナがシチューを味見しようとしているところだった。長い柄のスプーンで中身を掬っていて、ポタポタと白濁したトロリとしたスープが落ちている。ちょっと舐めると「やっぱりミルクが欲しいわ。一味足らないのよ、一味」と、残念そうに呟いた。
「カリーナさん、カルロ達が戻ってきたみたいですよ」
アデリーは持っていたものを厨房の端へ置いた。そこが備品の定位置になっている。
「ああ、帰ってきたかい。ベニートを連れてこれたのかねぇ。アタシはこれを焦がさないように見張らなきゃならないから、アデリー行ってきておくれ。カルロにアタシがキスしたいと言ってるとも伝えておくれよ」
「ええ、そうします。あ、私が鍋の番をしていればカリーナさんがお迎えに行けますよね? そうしますか?」
カリーナは手を払うように振って「いいのいいの。行ったら力仕事をしなきゃならないだろ? それはアデリーに譲るわ!」と、快活に笑った。
たぶんカリーナのほうが荷下ろしするにしてもアデリーより全然仕事を多くこなせるだろう。でも、ここはアデリーが行って手伝うほうがいいと思っていた。とにかく、どんなことにも慣れて、なおかつ力をつけなくてはならない。
「じゃあ私が行きますね!」
もしかしたら、その鍛冶師ベニートにも会えるかもしれないのだ。新しい人に会うのはワクワクする。たとえ、ちょっと齢がいっていて、酔っ払いでもだ。たぶんロセは相変わらずツンツンしているだろうけど、それだって数日ぶりだし、ロセにもカルロにも会いたかった。
足取り軽く階段を下りていくと、アデリーを呼び止める声を聞いた。振り返って見上げると、アデリーの部屋付近に居るリルとニコラスが並んでアデリーに「誰が来たんだい?」と大声で問う。
「あ、リル。ロセが帰ってきたわよ。あと、カリーナの息子さんのカルロ」
「途中になってるやつを片付けたら行く!」
リルが返してきて、アデリーは承諾の合図に右手を挙げて振った。
階段を下りながら、ロセがリルを見たら驚くだろうし、喜ぶのではないかと心が踊った。アデリーなら昔からの馴染みが突然目の前に現れたら嬉しくて仕方がない。それにカルロだって住人が増えたことを喜ぶだろう。長い冬を越すには人手が必要だし、何より吹雪で出られない日にはお喋りの相手が居てくれたら最高だ。
ゆっくり栗毛馬が荷馬車を引いて近づいてくる。夕日を背にやたらと優雅な一時だ。ただ、ロセの声だけは周りの穏やかな空気に屈せることなく、元気というか、賑やかというか。
「ちょっと! 着くんだから起きなさいよ! もう担いで下ろすなんてまっぴらなんですからね」
ロセは荷馬車の中にいるらしい。それなのに何を言っているのか一言一句はっきり聞き取れた。カルロは馬を御しながらアデリーに手を振る。アデリーもお怒りのロセはひとまずおいておいて、カルロに飛び切りの笑顔で手を振り返していた。
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