第16話鍛冶屋ベニート①

 ロセの薬は効果てきめんで、翌日アデリーはスッキリとした目覚めにむしろ狼狽えてしまった。夜はまだ起き上がれなかったのに、朝になったらこれまでの辛さが嘘のように消え去って驚いてしまったのだ。


 隣の部屋で寝起きしているダグマが朝一でやってきた時も、既に上半身を起こして呆然としていた。


「お! 起き上がれるようになったか」

「ダグマさん、おはようございます。薬が効いたみたいで驚くほど体が軽くなりました」


 喜びが抑えられず、ベッドから立ち上がろうとした。


「あ……」


 自分の姿を見下ろしたアデリーに、ダグマが口を隠し「今出てくよ。ま、下着姿くらい見慣れてるから気にするな」と肩で笑っていた。


「す、すいません」


 借り物の毛皮を胸まで引き上げるてダグマが出ていくのを待った。ダグマが見えなくなって慌てて服を着込んでいく。ふと、袖にあしらわれた刺繍が目に留まり、袖をくるくると巻き上げていった。ロセの気持ちを少しでも刺激しないようにしたのだが、これはこれでかえって嫌味だろうかなどと考えると頭の中がグルグルする。完全に治ったと思ったが、頭痛が残っていたようだ。


(とにかく残りの薬を返してお礼を言わなきゃ。ロセと話す機会を作って、それから……)


 アデリーはもう領主の娘ではない。それに他の誰よりも稼ぐ術のない単なるなんでもない人だった。だから、金持ちではないし、そういうことで嫌われているならいつか仲良く出来るかもしれない。


 身支度を整え、胸に土瓶を抱えて外へと出ると、大砦跡に馬車を見つけた。どうやら買い出しに行っていたカルロが戻ってきたようだ。栗毛色のカルロの馬がまだ馬車に繋がれたまま待っている。


 丁度、時を同じくしてカリーナが階段を下りていくところだった。カリーナも息子の帰りに気がついたらしい。


「母さん、ただいま!」


 馬車からひょっこり顔を出したカルロにカリーナが大袈裟に喜んで駆け寄っていく。

 温かい親子の光景に頬が緩むと共にアデリーの胸にはチクチクと痛みも走る。ほんの少し前まではアデリーにもあんなふうに喜んでくれる母がいて、あんな風に破顔して母を迎える兄もいた。


「あ! アデリー!」


 かなり上の階でもたもたしていたアデリーをカルロは目敏く見つけて手を振ってくれた。アデリーは物思いから覚めて手を振り返した。


「お帰りなさい!」


 思ったより声が出なかった。すると、カリーナがカルロに何か言い伝え、カルロは頷いた。


「元気になったのかい? 無理せずそこで待ってなよ。そっちに後から行くから」


 体調を崩していたことを教えられたらしいカルロは気遣ってくれたが、もうすっかり良くなったアデリーは「大丈夫、そっちに行くわ」と返して階段を下っていく。荷下ろしを手伝うつもりだった。


 階段の途中、ロセと鉢合わせをし互いにピタリと足を止めた。ロセも声を聞きつけて外へと出てきたのだろう。互いに目を見つめ合うが、アデリーはここで視線を外してはいけないと思い、持っていた土瓶を差し出して言う。


「昨日はどうもありがとう。お陰でとっても良くなったわ。本当にお代はいいの?」

「あら、私の服と交換するって言うならそれでいいわよ」


 土瓶を受け取りながらロセが敢えて意地悪く返してきた。でもアデリーにはその返事がとても理にかなっているように思えた。


「思いつかなかったわ。それでいいのなら交換しましょう」


 アデリーの財産は限られているし、背格好が近い二人だ、これ以上ない交換だった。けれどロセの方が呆気にとられたようで、ぽかんとしてから眉根をよせていった。


「あなた、本気で言ってるの? 馬鹿なんじゃない?」

「どうして? とっても高価な薬でしょう? 洋服の交換で勘弁してもらえるなら有難いわ」


 ロセの着ている服は何も着色されていないシンプルなものだが、特に傷んでいるところもないしアデリーはその服を着ることに何の抵抗もなかった。


「こっちは亜麻よ。あなたのシャツはどう見ても絹じゃない。しかもその袖の刺繍、どれだけ価値があるかわかってる?」


 ロセの視線は捲られた袖口に向けられていた。もちろん、見えないようにしてあるのだが、それでもロセは何度も目撃しているだろうからそこに刺繍があることは覚えているのだ。


「ええっと……正直言うと価値はわからないわ」


 白目をむいてロセはため息をついてみせた。


「もういいわ。それにダグマと話してあなたに薬をあげることに同意したんだもの。後から代償を要求するなんて卑怯ってものだもの。私は特権階級の馬鹿な人たちみたいになりたくないわ」


 それは自分に向けられているのだと分かってつい「そうね、ごめんね」と言ってしまった。そうすると再びロセは大きなため息を吐いた。


「簡単に認めて謝ってんじゃないわよ。やる気失くすわ」


 踵を返して階段を駆け下りていくブロンドを瞬きしながら見ていると、背後からダグマがやってきた。


「態度が軟化してきたな、だんだん」


 それはロセの態度の事だろう。ただアデリーにはあまり変わってないように感じていたけれど。


「そうでしょうか?」

「どうだか?」

「え?」


 ダグマもロセもわけがわからない。ただ、ダグマは目尻に皺を浮かべ横目でアデリーを見ながら笑って先に階段を下りていく。

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