第45話 死霊術師の誤算

 ――男は焦っていた。計画が一向に進展していないからだ。


 何も見えないほど暗い部屋の中で彼の眼前にあるPCの画面だけが彼の顔を照らしている。


 彼は暗がりの中で唇を強く噛みながらPCに映る、ある生き物を見つめてひたすら「なぜ?」を繰り返していた。


 自分が「運命」に選ばれた崇高な計画。誰も侵せぬ神聖な物、清廉な物を作る絶対に成功させるべき計画。


 運命に選ばれた自分が何があってもこなすべき聖務。運命から愛された失敗するはずのない使命。


 それが、どういうわけだか進まない。


 ――いや、理由は分かっている――


「黒法師……!」


 男は爪を噛みながら苦々しくその名を呼んだ。噛み切った指から血がにじんだが、彼にとってそれは意識するに値しなかったのか、気が付かないように虚空を睨んでいる。


 人を助ける超人、不確定な都市伝説にして最後の一瞬に縋る藁、ダンジョンという場所に現れる救世主。


 あらゆる場所に現れる腐れ化け物、意味のないことを続ける生き物、新種の化け物――


 あるいは――ああいうやつを英雄と呼ぶのかもしれない。


 その超人がなぜかこの歓迎すべき聖務を邪魔している。


「なんでだよ……?お前は人を救うんだろ?」


 ならばなぜ自分が行っている救済の邪魔をするのか?これこそが唯一万人を救い、罪をすすぐことのできる唯一の機会なのに。


 理解できなかった。


 これは運命に選ばれた人間の重要な使命であり、これを実行するのは人々を救うために行うべき偉大な行為だ。


 だというのになぜあいつは自分の邪魔をする?


 ぎりぎりとかみしめた歯の一部が欠けたのだろう、口から堅いものを吐き出した彼は先日二人の少女を黒法師が助け出した瞬間の映像を苦々し気に見つめた、この時はまったくもって失敗だったと彼自身思っている。


「くそ……何とかあいつを排除しないと」


 彼にはなぜ黒法師がこの聖務を邪魔するのかはわからなかったが彼が今やるべきこと――つまり、邪魔者の排除を行うべきであることだけは理解できていた。


「どうやったらあいつを追い詰められる?グリムでもダメだった……あいつより強いのはこっちにはいない……増やそうにもあいつが……どうすれば……いっそわなでもしかける?」


 ぶつぶつと画面に向かって男がつぶやく――その瞳には狂気が宿っているのはたとえ魔法使いでなくとも容易く見て取れた。


 そんな男を部屋の中に居ながら誰にも見えない暗がりの中で、彼が手に入れた人形たちがじっと見つめていた。




「――えーっと……これ声入ってんの?」


「うん、入れた。」


「ちょ……あんたそういうことはちゃんと言いなー!」


「あははっ」


 そう言って笑うのはすべてが白銀の少女――リズ・レクスだった。


 彼女が死にかけてから一日開けずの配信はこの手の事業において異例に近いことだった。


 依然語った通り、この手の事業はバイトのように配信を行えるシフトがある、いま彼女が配信している枠もまた、本来ならこの枠は別の人間の配信枠だったのだが――


 この措置は、彼女たちの配信が予想よりも悲惨な死にかけ方をしたことと――生き残ったことが原因だった。


 配信関係にはどこにでもいるようにこの業種にも過剰な反応をする人間というのはいる。俗にいえば「杞憂民」なんて言われている連中だ。


 そういった人間は何かある都度こんなことを言うのだ――つまり、ひどい目にあったから彼女達は二度と配信しないのでは?と


 実際、彼らは別段悪い気で言っているわけではないのだろう、むしろ彼らからすれば自分の愛したものを守ろうと必死なのだ。


 ゆえに彼らは胸に宿った不安を他人の前でぶちまける、それを信じる人が増えればほかの人間にそれを聞く者もあらわれて――どこかのタイミングで収拾がつかなくなる。


 それは会社としてもまずい。収益が下がる、ゆえに対策を講じる――こんな風にだ。


 無事をアピールし、やめるつもりはないと発表させる。それだけで一種の炎上を回避できるのだから会社としてはやるしかない。


『……やりたいわけではないんだけどなぁ……』


 ――結局のところ、彼女の悩みなど余人にはわからなかった。


 死なない迷宮など遊び、VRのゲームのようなものだと笑う人間は少なからずいる。


 というか世の中のダンジョンに入ったことのない人間の大多数の意見はこれだ、そうでなくとも、エクスプローラーの恐怖を明確に理解できている者は少ない。


 ゆえにわからない――自分がどうしてここまで乗り気でないのかを。


『はぁ~……』


 目の前で話している友人二名をどこか遠くに居るように見つめてリズ・レクスは胸中でため息を吐いた。




 そんな彼女達を男――死霊術師はで見ていた。


 今日は元気がないように見える白銀の少女の胸中もそれを見て気にかけている赤髪の少女の気遣いも、彼には関係がなかった。


 ただ、この件において最も手に入れたいと思っていた『仲間』を手に入れるために張り巡らせた罠に彼女を掛けるための想像で頭がいっぱいだった。


「――じゃあ、とりあえず今日は一層辺りでブラっとして終ろうかなと思います。」


 そう、気を取り直したような白銀の少女が言うのを聞いた男は、歩き出した彼女たちが罠にかかるのを見――


『――!?』


 


 本来その部分に仕掛けておいたはずの落とし穴の罠が機能していないことに彼はこの時初めて気が付いたのだ。


『なんで――』


【そりゃ、僕がつぶしたからだ。】


『――!?』


 頭の中に響くように反響する声に驚いたように身をこわばらせた男はそれが昨日聞いた不可思議な声であることに気が付いた。


『お前――黒法師!』


【ご承知おきのようで何よりだ。彼女たちに気づかれないように歩け、あんたとのケリはその後につけよう――あいにく、問答無用でしばいていい権利はもらえなかったんでな。ああ、下手のことをするとあんたの人形を止めぞ。】


 そう脅されては男には何もできなかった。


 いま、最後の審判の幕が当事者たち以外の誰にも知られずに上がった。

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