第35話 魔法使いの辟易


 視線の先に浮かんでいたのはごく小さい人型だった。


 銀でコーティングされた人形のようなそれは、なだらかに人の形を模しているが、顔に目や鼻が付いているがすべてつるりとして、かろうじで人を模しているように見えるが彫り物のようにどこにも穴の一つも開いていないし、黒目に当たる部分が存在せずひと固まりで瞼だってなかった。


 なだらかな体は銀紙でできているちゃちな玩具に見えるだろう、体つきでかろうじで女性のように見えなくもない。


 ともすれば宇宙人にも見えるそれは、まるで作り物にしか見えないその顔に憤怒の感情をみなぎらせて伊織に向かってにらみを利かせている。


「――よう、ずいぶんなご挨拶だな、『鈴鳴らし』あんたにどつかれるようなことをした記憶もないんだが?」


 伊織はこの銀の生き物に見覚えがあった。


 『鈴鳴らし』と呼ばれている魔法の生物の一人であるこの銀の人型はごく下っ端の精霊だ。


 この手の精霊としては実力のある個体でそのスピードたるや流星のように素早く、目にとらえることが叶わないほどだ。


 空を駆け抜ける時の音が鈴に似ていることから『鈴鳴らし』と呼ばれるようになったこの精霊は彼と比較的友好な関係にある数少ない超自然存在の一人だ。


 この顔の広い精霊はもともと師匠の知り合いだった。


 修行を終えた彼に師匠が引き合わせたのが初めての接触だった。それ以来彼女とは比較的有効な関係だったと思う。


 そんな彼女がここまで怒ることをした記憶はあいにくとない――が、自分はどうにも人をイラつかせたりするのには天才的な才能があるらしく、なぜ怒られてるのかわからないこともしばしばあった。


 これが彼のそういった部分と無関係かはわからなかった。


「――うるさい!お前がグリムを……僕の友達をころしたんだ!敵を討ってやる!」


 ――おい、またかよ……――


 彼が最初に思った一言はこれだった。


 何だってこの事件にかかわってからはこうも疑われるのだ?


 ここ三年ほど怪事件を解決した覚えはない、必死に他人を助けていただけだというのに!


「待て待て、何でそうなる?」


 地面に水平に杖を構える。木目の柔らかさと内に宿っている力に触れながら問いかけた。この精霊が手ひどい勘違いをしているのは明白だ。ただ、それを止めるのに言葉がどれほど力を持つのか……明らかに冷静さを欠いている精霊相手だ、正直期待はできなかった。


「ただの事件や事故かもしれないだろう?なんで俺を疑う?」


「だってそうだろう、お前はこの世界で一二を争う魔法使いだ!」


「……お褒めにあずかり光栄だが、何でそれが僕が彼を殺したわけになるんだ?」


「僕が守護の呪文を掛けたからだ!」


「――ほう?」


 表情に鋭いものが混じったのが自分でもわかった。


「いつかけた?ダンジョンの配信中にはそんなオーラ見えんかったぞ?」


「その後だ!ダンジョンで死んだって聞いてちょっと怖がってたから、僕の『鱗粉』を使ってかけて上げた!とびっきり上等な術を!」


 『鱗粉』とは彼らのような魔法的生物が体から発する魔法の塊みたいなものだ、きらきらと輝く緑色の粉状の物体で『魔法の粉』とも呼ばれ、その力を引き出せればかなり上等な――あの十七層で伊織が彼女たちに使ったような――術をひ弱なド素人でも使えるようになる。


 いわんや精霊が使ったとあればその力はあまりにも強大だ、普通の方法で彼を殺すことは、ほぼほぼできない。


 たとえ戦車と裸で戦わせても難しいだろう。


「このあたりで、僕の守護の魔法を掻い潜れるほど力があるのはお前だけだ魔法使い!この世にはびこってる魔法使いもどきやサロンとか言って寄り集まって売連中には絶対にできない!絶対に!」


 彼女は自分がある種の逸れ者、あるいは一匹狼であることに誇りを持つタイプの人格――霊格?――をしていたし、下っ端の精霊としては並外れた能力をしてるのも事実だ、その彼女が言うのだから実際その通りだろうなと彼は思った。


 この手の存在――常識や基本的な物理法則に反している連中――が使う魔性の力は通常人間が使うものよりも強力だし、自分たちの体の一部である『魔法の粉』を使ってかけた呪文であれば破るのも、抜けるのもたやすくはいかない。


 そのレベルの呪文を破れそうなのは――なるほど確かに『開かざる時間の扉』を開けた自分ぐらいだ。


 実際に自分はあのサロンの人外たちから恐れられていたし、この近辺で最も力のある魔法使いだろうとは思う――少なくとも日本という国の中では。


 ゆえにわかる、犯人は自分ではありえない。


「落ち着けよ「鈴鳴らし」確かに僕は君の術に対してどうこうはできる。」


 彼の主張をひとまずは認めた、そこに嘘はない、自分が本気でやれば魔法の要塞から、力を抜き取ってやることなどたやすい。


「だったら!」そう言って怒気を強める精霊に「しかし」と伊織はつづけた。


「ただそれは『術を破れる』ってことだ、『術を掻い潜れる』ってわけじゃない」


「……?」


 何が違うのかと聞きたげな小さな隣人にまるで五歳児にでも話すように声をかける。


 実際問題、この手の種族の相手をするときはひどく自制心や我慢強さが試されるのだ。


「いいか僕は術を破れるが破れば君はそれに気づいたろ?守護の呪文ってのはそういうものだ」


 そう、これが彼が犯人でない理由だ。


 彼は確かに諸々の強力な呪文を打ち消したり、効果を失わせるのを得意としてはいる。


 が、掻い潜るのにはまた別の技能がいる。その技能に彼は心当たりがなかった。


「……たしかに。」


「てことはつまり術は破られたんじゃない、何かしらで掻い潜られたんだ。」


「――!」


 衝撃に銀の塊は目――そんなものがあるのならば――を見開き、伊織の方を驚愕に染まった顔で見つめた。


 どうにもこういった精霊というやつらは物事を深く考えない傾向があるな。と嘆息して、目の前の早とちりな復讐者に声をかけた。


「――話、聞くかね?」


「……分かった。」


 そう言って周囲にあった奇怪な緊張感が冬に吐いた息のように空気に溶けて消えた。


 自分と距離を離しながらも、こちらを受け入れる姿勢を見せる精霊に安堵しながら思う――ひとまず、奇妙な隣人トラブルは終わりを告げそうだなと。

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