第21話 伊織少年の収穫

『……女って、何でこう買い物が長いんだろうか……』


 彼がそう考えたのは彼女が不自然な横道に入ってからかれこれ一時間半後の事だった、あれからもうろうろと歩いて、近場のデパートに入った彼女を追跡し続けている少年はげんなりと肩を落とす。


 何がつらいって、彼はどこに入っても何かを買ったりできないということだ。


 彼の服用している霊薬は追跡に非常に便利な代物だが人う欠点がある、どこにでもなじめるようにはできるが特殊な動作をしても気に留められないと言うことだ。


 例えば鼻腔のようなひどく怪しげな行動でもこの薬は隠してくれる。


 が、逆に言えば彼は自分で完結する行動以外何も他人にしてもらうことができないのだ、この薬は『誰にも気にされなくなる薬』なのだから。


 レジのカウンターの上で裸で踊り狂っても誰にも咎められないこの霊薬は基本的に店で何かを注文すると言った行為に対応していないのだ、彼が頼んだ注文は聞き届けられることなく宙に消えてどこにも辿りつかぬままだ。


 結果、彼は非常な運命のいたずらか慣れない行為の代償か絶食を余儀なくされていた。


 人が何かを他惜しんでいる横で何もせずにそれを眺めているだけの状況のなんと侘しいことか……


 思考の海に投げ落とされた悲しみをそっと拾い上げた伊織はそれを遠い記憶の方に投げ捨ててから『しかし……』と考える。


 一向に職場に当たるだろう場所に行く気配は見えない。


 此処に来るまでにコーヒー店に入り、CDショップに入り、服屋にもいったが、今のところ彼女の『バイト先』に該当しそうな場所は立ち寄っていない。


『……やっぱ変だな……』


 そうとしか思えない行動だった。


 彼が人と出かけることになれていないことを含めて不可思議な動きが多い。


 コーヒー店はともかく、服屋とCDショップでは何も買わずに出てきていたし、今も品物を見て話している様子はあるが買ったものはほとんどない。せいぜい飴ぐらいだ。


『それとも、友人との探訪ってこんなもんなんだろうか?』


 友人の少ない少年にはよくわからなかったが、それでも、飴しか買っていないのはおかしいのではないか?と思う程度には彼女たちの行動は不審なものだった。


『となると、そろそろ……』


 何か起きる頃合いだろう――と考えていた少年に呼応するように、二人の姿が視界から消えた。


『――そっちか。』


 見失ったのはごく一瞬だった、人垣が彼女達を隠した瞬間に彼女たちは駆け出していたのだ。


 まっすぐ直進しているその先には――


『右に曲がると非常階段……なるほど?』


 うまい逃げ方だ、追跡者がだれであれ一瞬反応が遅れる。


 彼はゆっくりと息を吸って、彼女たちが逃げたほうに歩き始めた。


 非常扉の先にすでに天王璃珠とその友人はいなかった。


 階段の先、非常階段の下りた先である路地の先の方に見覚えのある制服が見える。その先では客待ちなのか、読んでおいたのかはわからないがタクシーが停車している。


『頭いいな……天王女史が考えたのかね?』


 まるでハリウッド映画だ、ジェームズボンドでもここまで手際よくいくかどうか……


『事実は小説より奇なり……か?』


 非常階段の上で彼は称賛した、今日の追跡は終えるつもりだった。


 当然のことである、彼の目的は彼女の職場の確定と彼女が配信しているチャンネルの特定に他ならない。彼女の私生活にはタッチするつもりはないのだ。


 人に追われていると確信している彼女たちがこの状況で職場にはいくまい。もはや追いかける意味はなかった。


『……それよりは……』


 伊織は視線の先、階段の下できょろきょろと何かを探す男に焦点を合わせた。


『――あっちに興味があるな。』






『――撒かれた!』


 男の思考は驚愕に満ちていた。


 いままでいくつもの依頼を受けてそれを成功していた男にとって、それはほとんど経験したことのない「負け」だった。


 男は探偵だった。


 「とある人物」に依頼され、彼女の身辺の徹底的な調査を行っている。


 始め、依頼を受けた時は簡単な仕事だと思ったものだが――


『やはり腐ってもエクスプローラーか。』


 何かしらの方法で自分のことに気づいたのだろう。


 こうなれば次は自宅を――


 そう考えたのと、自分の自由が奪われたのはほぼ同じタイミングだった。


「がひぃっ!?」


 首に何かが巻き付いている、首に食い込むそれは呼吸を緩く阻害し行動を押しとどめる――おまけに体が浮き上がっている!


「初めまして誰かさん。」


 突然耳元で掻けられた声はしわがれた幼女の物にもひどくみずみずしい老女の声にも聞こえ、あるいははつらつとした老人にも老練な少年にも聞こえる、ひどく不可思議なものだった。


「ギッ……だ、だりぇだ」


 何とか首の拘束を解こうと藻掻くものの体が宙に浮いているせいで力がうまく使わらないのか、首の拘束は緩む兆しを見せない。


「あんたが知らん男……もしくは女だ。」


 冗談めかしたように語るその声は聞き覚えがあるような全く知らないような不可思議な響きでもって彼を惑わした。


「こっ……!お、おれになんおようんじゃ」


 何とか相手の動向をつかもうと質問した男の耳に響いたのは、今日襲われた事実の説明としてこの上ない物だった。


「――鴻之台高校二年、天王璃珠。」


 聞き耳を立てた範囲では不可思議な会話をする不思議な少女だ、抜けているのかと思えば、突然、自分を巻いて見せた驚くべき少女の名。


 そして自分の調査対象だ。


「……!」


「あんたが彼女の尻を追いかける理由が知りたい。」


 言葉少なに要点を告げる、その声に先ほどまでの様におどけた気配はない。


「……め、めんどぉむかってはなしゃにぃか」


 そう告げる探偵に不可思議な声は再びふざけたように


「あいにく照れ屋でね。人と顔を突き合わせるとうまくしゃべれないんだよ。なんかの歌にあったろ?見つめあうと素直に~ってやつさ」


 と言って、哄笑とも自嘲とも取れる不可解な笑い方で笑った。


「ならしゃべっ……!」


 「らない」と精一杯の意志を籠めて放った抵抗の言葉は――


「それは許さん。」


 氷のように冷たくなった声によってせき止められ、次の瞬間には意識が完全に消滅した。


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