第20話 伊織少年の向かない仕事
「――下の裾を上げる服って何?」
「いや、だからこう……裾をさ、上に……」
「……?」
「……この話そんな掘り下げる?」
「え、うん、気になって寝れなくなるわ。」
「そんなに?」
『いや、何の話?』
立ち並ぶ高層ビル、点々と姿を示す煌びやかな商店、煌々と輝く電光掲示板、人の行きかう交差点、ざわつく街――
ひどく近代化された東京都港区赤坂の町は伊織少年の神経にひどく負担を強いる物ばかりだった。
『……めまいがするなぁ……』
それは寝不足によって弱った伊織少年の自律神経に対して的確に使命打を与え、彼の視界をぼやけさせる。
良く行く秋葉原すら駅周辺と本屋周りしか動かない魔法使いにはこの手の近代都市はひどく相性が悪かった。
『……ダンジョンの方が居心地がいいってのは人としてどうなんだろうか?』
ダンジョン内部に人工建造物はない、目に刺さる電子のきらめきはなく目がくらみそうな高い建物もない。
自分がモンスターに近づいているような気分は彼の心を暗くするには十分な話題だったが、同時に納得もできる物だった。彼の人生の最低でも三割は『普通でないもの』に埋め尽くされているのだ、今更一般的な街になじむのは難しいのかもしれないと、彼も自覚していた。
『だからってまあ、あきらめるわけにもいかんわけだが……』
嘆息が一つ、眠気でかすむ視界を頭を振って追い払う。
いつも通りなのか何なのか、益体もない会話を繰り広げる二人の少女の斜め後ろ、七メートルは離れて追尾している伊織少年は聞こえてくる会話に首をかしげていた。
その様相は明らかに常軌を逸していた。
何せ彼の体はすべてが灰色だったのだ。
肌はすべてそうだったし、顔も、髪も、爪も――目の中すらすべて灰色であり、おまけに黒目もない一色で構成されていた、彼女がいまだに従えている影のように全身が一色でつるりとしていた。
これh彼の『事前準備』の賜物であった。
これのおかげで彼女たちは伊織がほぼ真後ろでもって踊り狂っていても気が付かない。
自分の師匠曰く、『これを使っていれば後ろから女の胸を揉んでも気づかない』らしい。
実際、そういう使い方をした魔法使いもいたらしい――まあ、その使い方をしたやつは揉んでる最中に効果が切れて起こった女側に雌鶏に変えられたらしいのだが。その後は誰も知らない、無事に戻れたのか、あるいは鶏として食われたのか。
おかげさまで、彼は露骨に発見されているであろう場面でも彼女たちの視線を無視して彼女たちを追うことができていた。
彼女は今、駅から歩いて東の方向に向かって歩いている。こちらに気づいた様子はない――当然だろう、こっちは神秘の霊薬を使用中だ、これで見つかったらそれこそ人間業ではない。
正直に言って、数多の冒険を乗り越えた彼であってもこの手の裏仕事は得意とは言えない。正面切って戦うなら戦車だって無傷て倒せる自信はあるが追跡となると難しさの度合いが違う。
彼だってそれは分かっている、伊織少年は決して多芸な方ではない。
とはいえ、この薬抜きでも行けただろう、この件は簡単な部類だったのだから――何せ、目立つ目印が常に錦の御旗の様に後ろに立っているのだ。
彼が追いかけているのは正確には彼女の後ろにいる『後追い人の影』の方だった。基本的に奴は二メートル少々の背丈がある、大体の成人男性の中にいても、頭一つ分高いのだ。
このおかげで、彼はいまだに天王璃珠を見失わずにすんでいた。尾行入門編としてはお勧めしたいほど楽な案件だ。
『後はばれずに彼女が会社なりスタジオなりに入ってくれれば……』
この気の重いストーキング行為ともおさらばできるが――
『まあ、そううまくもいかんよな……』
道中にあった喫茶店に入る少女達を見ながら彼はそっと息を吐いた。
――違和感に気が付いたのは彼女が細いわき道に入るのを見た時だった。
『……?この道……』
それが冒険を続けてきた男に与えられた霊感だったのか、あるいは先だって確認した地図の記憶に引っかかったのかは不明だが、彼の脳裏に閃光のようなきらめきがあったのは事実だった。
ポケットのスマホに手が触れ、引き出したそれの上に表示される地図アプリがこの道の大まかな行先を少年の脳に伝えた。
『――元の道に出る道しかないな。』
アプリに表示されないような細すぎる道はともかく、少なくともこの先に別の道に出るようなルートはない。
『気づかれた……か?』
が、それはあり得ない。
彼の体はいまだに彼自身の目から見ても灰色のままだ。つまり、薬の効果は切れていない。
『隠れ身の薬の薬効越しに気づくのか?エクスプローラーだって言ってもさすがにありえん……』
其れと言うのもそもそも、エクスプローラーはダンジョン内でのみ超人になれる。
これも、最初の方に分かったことだがエクスプローラーは確かにダンジョン内で異常な性能を誇る。
壁を走り、空を飛び、稲妻や炎をその身一つで自在に操る――まあ、ここまですごいのは上位勢だけだが――端的に言って超人だ。
が、それには『ダンジョン内で』と言う但し書きが付く。
そう、この《ダンジョン内での異常な身体能力》は外に持ち越せないのだ。
いかにダンジョン内でスーパーヒーローでも外では貧弱もやしオタクなんてことは実は結構あるらしい。
ではなぜこうも探索者が人気の職業になっているのかと言えば――『内部で覚えた技能や魔術、アイテム類は普通に使えるから』だ。
前述の通り、この内部から帰ってきたものの中には魔法的な力を使えるものが現れた。
そう言った連中は外でも超常的な能力を扱うことができた。
じゃあ何でそいつらは野放しになってんだ?と言うと――これもまたなかなかに難儀な話であり。
そもそも、その超自然的な力を外でがっつり扱える人間がほとんどいなかったのだ。
まるで風のように走る能力を持つ者は動体視力が付いていかず、ド派手にこけて全治一月のけがをしたらしいし。
壁を走れる能力を持った人間は、腹筋と背筋が耐えられず、立っていられなくなって「壁に倒れる」と言う不思議な状態になった。
炎の魔法使いは手の上で出した自身の炎球で手を火傷した。
氷の魔法使いは握ったつららのせいで手が凍傷になって、危うく指を切り落とす手前までいったのだ。
これは「魔法的な力がダンジョン内の身体能力を基準にしているから」に他ならない。
そりゃあ、超人の体であれば風のような速さで走っても感覚は追いつく、外であればそうもいかない。
じゃあ、なぜこんなものにあこがれるのかと言えば――使えるスキルもきっちりあるからだ。
例えば『身体能力を上げる』能力は外仕事の人間には大変重宝されるし何ならただの受付嬢やPC仕事の人間にも体力増進の効果がある。
気配を察知する能力は軍人は欲しがるものが多いらしく、一般でもストーカー対策に一役買ったとか。
水を出せる魔法使いは災害被災地だの国への援助だのに引っ張りだこになっているとかいないとか。
何せ、この手の能力を得るためだけにダンジョンに入るものもいるぐらいだ――まあ、手続きの煩雑さや「入っただけでもらえるスキルはそれほど強くない」と言う理由から入っただけではそれほど意味もないのだが。
アイテムに関しては――これはちょっと毛色が違うがほぼほぼ同じだ。
火の玉を出すアイテムなら普通に火傷、何ならその場で自爆して死ぬ。
自爆テロには使えるという声もあったが――そこまで覚悟が決まっている奴なら別にこれでなくともやるだろう。
何なら手製爆弾の方が手っ取り早いまである。これを落とすモンスター結構強いし、確実に落とすわけでもない。
とはいえ、この手の危険物を放置ともいかないので現在、危険物取扱者の試験項目にこれを入れる案が進行しているらしい。乙七種になるとなんかの記事で見たのを伊織少年はうっすらと思い出す。
これらの理由から「もたらす利益の方が大きい」として、世界はダンジョンを受け入れたのだ。
この経緯から考えても、彼女がダンジョン外で自分に対して気付ける可能性はそれほど高くない。
何か特別な道具で自分を見つけてるのかとも考えたが――それならば、もっと派手に振り切ろうとしてもおかしくはない。
ならば――
『――僕以外に追いかけてるやつがいる?』
それもおそらく、自前の能力でだ。
それに気が付いたか、あるいは疑っているからこのような意味のない動きをしているのだとすれば……
『そいつもこの件に絡んでるのか……あるいは。』
――もっと質の悪いことの一環なのか……伊織少年は分からなかったが、この件の重要性が増したのは間違いないと気を引き締めた。
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