第19話 魔法使いの準備

『――57、58、59……ジャスト60か、群れ全部来やがったな?』


 灰になったオークの死体から、それぞれ異なった骨を分別し終えた伊織は忌々しげな顔を隠しもせずに思った。


 四谷ダンジョン 十四層。


 あの不愉快な面接を乗り越えた魔法使いは影の影響でオーガに襲われた男を助けながら肩で息をしつつ思う。


『さすがに連戦はくたびれるな……』


 夜を切り取ったような外套の裏、誰にも見られない影の中で呼吸を整えながら伊織少年は目をつぶった。


 急な事だった。


 今日は誰も襲われないかと思って油断していた深夜十時すぎ。


 突然、彼の脳裏にけたたましい、警告が鳴った。


 影がついていた配信者に付けた監視から来た《警告》だった。


 本日初めての固形物を食べる暇もなく飛び出した伊織少年はその時に気が付いたのだ――警告は二つあることに。


 そう、異なった人間が異なった場所で同じタイミングで襲われてるのだ。間違いなく緊急事態だった。


 とはいえ、それ自体は決して珍しいことではない。


 少年は助けを求められれば外国にだって飛ぶ男だ、それほど困難なことではない。


 最も近い位置にあった警告から空間を飛び越えて敵の前に、この時、彼らの目の前に現れる彼はすでにいつもの外套をまとっていた。


 最初に来たリザードマンの群れを『流砂の罠』で封殺し、続く一矢で対岸にいた残りを稲妻で焼いた。


 全滅を確認すると彼は再度空間を飛び越え、今度は秋葉原ダンジョンの中でスケルトンの群れにたこ殴りにあっている配信者を助けた。


 さぁ、ひと段落と思えばまたも警告。


 次は今回のオーク、そんな風に連戦してもう三連戦だ。


『一回の数が多いんだよな……殺せると思うのか群れで来やがる。』


 息を整えた彼は忌々し気な顔で肺を見つめる。


 リザードマン五十五、スケルトン百四十五、オーク六十――これは彼が黒法師として倒す一月の平均に当たる数だ。


 これが今日一日で出てきたのだ。さすがに疲れもする。


『あり得るとは思ってたが……一気に来たな。』


 複数の同時ブッキングは彼も考慮していた、考慮してはいたが――


『急がないと早晩全員は助けきれなくなるな。』








 ――深夜三時、ひときわ濃い夜が世界を包み、いよいよ魔法とろくでもない霊魂以外が眠った深夜。あらゆる物の輪郭をぼやかし境界をあやふやにする暗闇に沈む鴻之台高校に東雲伊織はいた。


 あの後さらに四回の戦闘――これは事件とは関係なかった――を終えた彼は、今日はここを離れても問題がないと判断し、を立てていったん拠点に戻った。


 これには疲れもあったが何より時間がなかった。彼には明日の準備もある。


 今日の煩わしい査問会を考慮すると彼女に魔法的監視をつけると面倒な連中の目を引くだろう。


 対処はできるが――この先、何と戦うのかもわからない状態だ、できるだけ体力は使いたくない。


 そのためにも、新たな手段が必要だった。


 まっすぐに続く前すら見えぬ廊下を進む、窓の立て付けが悪いのか、入ってくる隙間風が人の悲鳴のように聞こえた。


 それが聞こえているのかいないのか、伊織はその道を力強く歩き目的の場所にたどり着いた。西棟二階の家庭科室、ここが彼のたどり着きたかった場所の名だ。


 伊織はゆっくりと腕を上げ、引き戸の取っ掛かりをつかむ、がたりと扉が揺れるもの、開く気配はない。


『あー鍵……しゃあないな。』


 取っ手に指を掛けたまま伊織は一つ息を吐いて彼の魔法の源を織り上げ、一枚のタペストリーの様に魔法を作り上げる。


『In nomine magnanimi Holt, decimi regni liberationis, rumpe bannum.《『軽妙たるホルト』の名において、第十の「解放の王国」よ、禁則を破れ》』


 ――〈鎖錠破り/catena ruptor〉――


 ざわざわと「力」が腕を伝い、扉をがたりと大きく揺らす、次の瞬間にはガチャリと音を立てて、カギが外れた。


 ガラガラと音を立てて引き戸がひかれる、家庭科室は依然見た時とそれほど変わりなくそこにあった。


 伊織はゆっくりと歩き、机の上に置いてある椅子に向かって手を振るとすべての椅子が浮き上がって地面に正しく並んだ――この程度の呪いならば呪文などいらない。


 手に持っていた登校用のカバンを机に放って、ガスコンロの火をつける、元栓はさっきの手の一振りで開けておいた。


 家庭科室に併設された家庭科準備室から引っ張り出した鍋をに水を張る、とりあえず――


『……隠れ身の薬Elixir of Hidinか、あれがあれば追いかけるだけなら十分だろう。』


 そう、彼の目的は薬だった。


 それもただの薬ではない、番人が求めてやまないもの、ダンジョンに潜って手に入れれば一攫千金も夢ではない、神秘の霊薬。


 魔法の薬Elixirを作るのだ――この教室で!


『……かなしくなってくるなぁ……』


 これでも、ネズミと猫の王国においては領地までいただく貴族なのだ、一代限りとはいえ相応の施設も持っていると言うのに……


『……まあしゃあない、ほっとけんしな。』


 乾いた笑いを浮かべた伊織は沸き立った水に材料をぶち込む、必要な物は……コノハチョウの鱗粉、石炭置き場の黒猫の足音、闇よりも深い黒の染料、誰も目にしたことのない野花、鳥の夜目、ヤドリギ……


 材料を頭で反芻しながら、彼の学生カバンにかかった魔法は滞りなく効果を発揮し、その体に見合わぬほど多くの物をその口から吐き出した。


『これ、ダンジョンにも持ち込めると便利なんだが……』


 そう考える物のそうもいかないいくつかの事情で断念した過去を思い出してあきらめる。


 やはりバックパックいっぱいに石ころを詰めるのが自分には似合うらしい。


『えーっと……ああ、影の薄い男の生き血……』


「痛いの嫌いなんだよなぁ……」とぽつりとつぶやきながら、その辺の棚から取り出した包丁で、手の指を薄く切る、鈍い痛み、血が玉のように丸まって皮膚の上に浮かんだ。


『これ一回であー……十二回分くらいか。』


 大雑把に計算を終えて、彼はそっと手から血を滴らせる、必要なのは12滴だ。


『これで、あとは混ぜながら呪文唱えて、冷めるまで高笑いをすると……』


 指から流れる玉の血をティッシュで拭いながら伊織は彼に流れる星の力を余すことなく流し込み、お玉で薬を混ぜた。


 とはいえ、時間のかかる作業になる、つまり――


『ねみぃ……』


 ――今日も寝れないらしい。と、あくびをしながら伊織は考えた。

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