第6話 ある少女の絶望的な夜更け
その日もいつものように大学後にダンジョン配信を行っていた。一応、企業に所属しているプロ……とアマチュアの中間ぐらいの彼女は、一週間のうち最低でも4回配信を行う義務があった。
いつものように配信機材――びっくりするぐらいごついカメラとこれまたびっくりするほど固い配信確認用のスマートフォン――を確認し、告知をおおなってからダンジョンに侵入した。
最近は中層エリアもほぼ問題なく踏破できるようになってきており、その日は調子も良かったことから下層に進出することにした。
そんな彼女を心配するリスナーもいたが、下層に潜って1時間も経過する頃には彼女もリスナーも『意外といける』という手応えを感じ始めていた。
ひとしきり遭遇したモンスターを片付けたところで休憩しつつリスナーと会話する余裕も出てきた頃にそれは起こった。
「さて、そろそろ休憩は終わりにするね。」
”気をつけて”
”これでヨルガオも下層探索者だー!”
”学生ソロで下層探索者はマジですごい”
「みんなありがと!じゃあそろそろ動くからたぶんしばらく返事できません!次の階への階段見つけたら終わりにします!」
そう言ってから30分弱、一回もモンスターに遭遇しなかった。通常、ダンジョン内には多数のモンスターが徘徊していることから30分弱もモンスターに遭遇しないことはありえない。
なにかがおかしい、と彼女が感じ始めたまさにその時、目の前にそれは突然現れた。
――それは突然現れた。
鬱蒼と茂る木々の間から顔を出したそれは、最初、この層で何度も倒したタイラントクロコダイルだと思われていた――その頭があきらかに浮いていることに気が付くまでは。
何かがおかしいと、思ったと時にはもうそれが顔を出していた。
「は………?」
”えぇ………?”
”これは死では?”
”終わりだよこの放送”
”いや、まじやばくない?”
それは赤い肌をしていた――まるで血のように赤い肌を。
それは鋭い牙を持っていた――まるで槍の穂先のように鋭い。
それには角があった――天を突くようなそれは、その種族の代名詞だ。
その威容はダイアボアをむさぼっている事だけが原因ではない、立ち上る気配のような物が自分よりも一周り大きいその体をさらに大きくさせているようにヨルガオには感じられた。
その姿を見て語っていた喉が唐牛で言葉を絞り出す
「なんで今……!?」
居ること自体は知っていた。
ただ、個体数は絶対的に少ないはずだったのだ。
角持つ異形、おとぎ話のレギュラー選手である化け物、人食いの――
「……間が悪すぎるでしょ、くそオーガ……」
そう、オーガだ。
人を食い、姫をさらう。
おとぎ話の悪役によく起用される化け物。
それが目の前で、この層においてなお権威を放つダイアボアを生で貪り食っていた。
ヨルガオもリスナーたちも軽いパニックになっていた。何せこの層におけるオーガの個体数は発見されているだけで三体、大規模な森ほどの広さのあるこの二十層で出くわすことはほぼないのだ。
しかし、その混乱も一瞬のことだった。彼女とて単身下層への侵入を果たす腕っこきのエクスプローラーである。相手をオーガと見て取るや即座に逃げだす態勢に入った。
「――これは無理です!逃げて!」
共に入っていた男――カメラマンに向かって声を張り上げる。この一言に墓の尾所なりの様々な思惑があった。
まず第一にこのカメラマンも一応、Ex IDを持ってこそいるがこのレベル相手に役に立つ戦力とも言えない。
それに、ここで彼を逃がして戦えば自分の対外的な評価も上がるだろうと踏んでいた。
何より問題なのはカメラだ、この中で人は死なないが物は壊れるその関係上、戦闘中にカメラが破損する危険があった。
いつも通りさばけるような連中ならいいが、オーガとなると気にしながらは戦えない。頑丈にできているとはいうがオーガの一撃に耐えられるかは……正直不明だ。
以前記した通りあの機材はかなりお高い、壊して自分の責任になれば借金地獄待ったなしだ。
そんな理由から、彼女はカメラマンを逃がした。どうせ死なないのだ、命のかけどころと言うやつだと、半ばあきらめて覚悟を決めた。
背を向けて走る男を見送って、ヨルガオは一人オーガに向き直る、これにあの男――名前は何だったか?――追わせるわけにはいかない。
男を逃がしたヨルガオを見たリスナーが口々に叫ぶ――いや、文字だから叫んでいるかは不明だが。
”早く逃げて!”
”残当”
”誰か救援要請だしたほうが良くね?”
救援要請とは外にいる人間が協会に連絡して、危険を知らせるというある種のバトンリレーみたいなものである。
中にいる人間から危険を知らせる方法が、基本ないエクスプローラー業界において、貴重なセーフティーネットであった――まあ、金持ちしかできないのだが。
そんな声援とも悲鳴ともつかないセリフにちらりと目を向けて彼女はオーガに向かって駆けだした――
「――やっぱまずいことになったか……」
その放送――もう彼女のつけたスマホ接続のマイクからの音声しか聞こえないが――を見ていた誰かが、ため息交じりに席を立った。
「ごぼっ……」
――血の塊が地面に落ちた。
先ほど強打され、壁面にたたきつけられた背中が燃えるように熱い――最も痛くない部分などもうないのだが。
――に、逃げないと……――
そう思って足を動かそうにも動かない。ふっと視線を向けると足が中ほどからなかった。先ほど直撃を受けた時か、壁面にぶつかった時か……いずれかで捥げたらしい。
――やばい――
思考が一色に染まる、かすむ視界は目の前で舌なめずりをする鬼に釘付けだった。
そもそも、ここまで大けがをしたのはダンジョンに潜りだして初めての経験だった。
どれほど危険でも恵まれたステータスと初期に振られるスキルで何とか出来てきていたのだ。
が、目の前にいるこれにはそれが通じない。
体はあちこちから危険信号を発し、左目はもう見えていない、奥歯がガチガチと鳴るのを感じた。
それでもどうにか逃げようと逃げ道を探すように顔を左右に振り、それが視界に入った。
”あーあ……これでヨルも一死かぁ”
”まあ下層ならしょうがねぇんじゃね?”
”ドンマイ!次があるよ!”
それは弾かれたときに手の届かない位置に落ちたスマートフォンだった。
それを見た時、ヨルガオはこの配信人生で初めてリスナーに殺意が沸いた。
「しょうがない」
そう言って自分の死を受け入れるリスナーに、彼女は自分でも驚くほど失望し、裏切られたような気分になっていた。
こんな状況で、誰も「逃げてくれ」とも「助かってくれ」と祈られないことがひどく――ショックだった。
――今まで自分もほかの配信者の死を見てきたし、自分が死ぬ時も特に恐れることはないと思っていた。
『だってこの中では死なない』のだから、外で復活してそれで終わりだ、そう思っていた――
――だと言うのに、目の前にある大口を開けた化け物のなんと恐ろしいことだろう?
目前に迫る死が心に恐怖を植え付けるのを感じる、臓物に氷河の水を流し込まれて凍り付いたかのように冷えて、潰れるようにきしむのが分かった。
目の前に死が避けようがない時、人はその死がどんなものであるかに関係なく誰かに助けを求めるのだと、彼女は初めて知って――助けを求めた。
――しかして、その願いは果たされた。
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