第4話 非日常的な日常の夕刻
――体に絡みつく尾はひどくざらついた鱗でもって、伊織の腕や胴に無数の浅い裂傷をつけた。
「――あ、やべ。」
瞬きほどの間に体にぐるりと巻きついた《尾》は人の足から胸ほどもある。人の体程度たやすくからめとって、その体を粉々に砕かんと万力のような力でもって体を締め上げ始める。
「んんっ!」
しかし、それを黙って見ているほど伊織は間抜けではない、
ひどく耳障りな高音の悲鳴――そう言えばこれは尻尾から出ているらしいな。と的外れなことを思い出していた――を発して、それはその体を一瞬すくめ、その動きが明確に止まる。
さらにあるだけの力を握った手に籠めて剣をひねってやると悲鳴の音量は増し、痛みから逃れようと、体をくゆらせ始めた、暴れ出す予兆だ――このままでは巻き込まれる。
踏みしめた足に力を籠める、急ぎこいつが暴れても問題がない場所――つまり、上空に動きたいところだった。
「痛いのが嫌なら喧嘩なんぞ売るなよ、なっ……!」
《それ》が振り乱した体が大きく揺れるのと同時、伊織はその足を蹴り、右手に握った剣を錨に体を宙に投げた。
ぐるりと、天地が逆さに回り、今まで空があった側にある地面の上で、それがのたうち、荒れ狂っているのが見えた。
それは巨大な蛇だった。
胴体は優に1メートルはあろう巨大な蛇だ。とてもじゃないがこれを捕まえて《くちなわ》なんて名前を付けるやつはないだろう。
11層からしか出てこない種類のモンスターであり、この層で最も強いとされる化け物だ――まあ、次の層では餌にされることもあったりするが。
『……やっぱ、でけぇな……』
荒れ狂っている蛇に伊織はそんな何度目かわからない思考を抱え、しかし何時もの様に体を正確に動かした。
右手に握ったままの剣を引き抜くように引っ張る、止まりどころのない体は反作用に流されるように蛇の体の上に落ちた。
空いている左手で傷口に手を突っ込んで強く握り、手と腕の力で体を固定、鱗の上は滑るし、体はまだ激しく揺れていた。
体の上に敵が下りたことに気が付いたであろう蛇は痛みに耐えて体を固定し、自身の敵に向かって鎌首をもたげ、襲い掛かろうと気勢を上げた、勢いよく口をそちらに向けて――
「――せいっ!」
――その前に動いていた伊織に首を中ほどまで断ち切られてその身を地に伏した。
喉が切れたのか、横一線に切られた首の穴からは、シュゥシュウと空気の抜ける音がしていたが――それもじきに止んだ。
「あー……びっくりした……」
油断なく「窓の構え」で構えていた剣を下ろして伊織は肩を下ろす。
ソロで潜っている以上伊織もそれなりに警戒してはいるが……こいつは気が付かなかった。
何せこの蛇、音も立てずに動き、相手の目の向きとは逆の方向から襲ってくる生粋のハンターである、不意を打たれるエクスプローラーは後を絶たない。
――しかしまあ、何回見てもでかいな――
巨大にもほどがある大蛇――ダイアボアの死体を見つめて思う
あまりのでかさにドロップ品すら回収が難しい上、使いどころもないこいつは決して人気のある敵とは言えない、それでも潜っているのは――
「ん、結構出してんなこいつ……」
さらさらと粉雪とも塵ともつかぬものと化して消える死体とその場に不可思議に残された「蛇の皮」を無視して、草地の上で大蛇が這った後を追って歩いていた少年は、蛇のねぐらで目当ての物を見つけた。
『蛇硬石』と呼ばれるこぶし大の結晶。これこそ、彼が十一層に潜っている理由にして収入源である。
これはこの層から十五層までにしか存在しないものだ――と言うか、まあ、この蛇の垢みたいなもんなのだが。
これにはひどく強力な浄化作用があり、薬品目的に使われるとかでそこそこ実入りがいい。
――のだが、基本的この蛇のねぐらにしかなく、この蛇はねぐらの近くにいることが多い。
モンスターの例にもれず、こいつも人を見ると襲ってくる。隠れて盗むにはこいつの探知能力が高い。熱を見る蛇特有の目を持つこいつには並の偽装は意味をなさない。
要するにこの層は蛇をコンスタントにしばける能力がある人間には実入りがいいわけだ。
とはいえ、大きめのバックパックいっぱいに詰めて十五万と少しだ、ちょっと集団で潜って殺すには時間もかかる上、費用対効果も良くはない。バックパック一個を満タンにするのに大体4所回る必要があるのだ。
四人なら十六カ所だ、朝から潜っても半分行ったらいいほうである。
全員の納得のいく金額にするのはちょっと厳しい
集団では「物だけガメて逃げる。」なんてまねもできない。確実に見つかる。
『四人いれば四倍の速さで片が付くわけでもないしな。』
要するに、この層で金を稼ぐのは個人で潜るやつぐらいだ――自分のような。
『さて……』
ひとしきり、『蛇の垢』を集め終えた伊織はそっと独りごちる――
『頑張るってのはつまり、どの程度やりゃ頑張ったことになるんだろうか……』
頑張ってと、女子から言われ慣れていない哀れな少年は、その意味をどうとらえていいのかわからないまま、いっぱいになったバックパックと襲われる前に投げ出した二つの手提げを見つめて首をひねった。
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