第2話 ほんのちょっとかわった午後
「あのー……」
その声が聞こえた時、彼は自分のスマートフォンで動画を眺めているときだった。
女性のエクスプローラーの企画動画だった、何でも先輩に渡す贈り物を耐久で取りに行くと言う内容で、アーカイブの再生時間は優に五時間越えている。
「もしもーし……」
透明な声と言われるほど澄んだ声はファンも多く、最近人気の配信者だった、ダンジョンから出土した「変化の指輪」なるジョークグッツのような効果の道具を使っているのだろう、髪の毛の色が角度によって銀色にも青色にも見えるのが特徴的だった。
「……無視ですかー?」
「へっ?あい。」
先ほどから、かすかに耳に入ってきていた声がどうやら自分に向けられた物らしいと気が付いた伊織少年は顔をはね上げた。
そこにいたのは先ほどの消しゴムの女子――
そんな彼女が自分の机の横でこちらを見ている光景は伊織の胃に再びの負担をかけ始めていた――
果たして、あの消しゴムが狡猾な罠でやはり拾うべきでなかったのだろうか?
いやそもそも自分を罠にはめて何の利点が?
またもや短い時間でもって10と少しのいらない思考を巡らせる伊織はそうれでも何か言わねばと口を開いた――
「えーっと……?」
――まあ、それが意味のある言葉になるかと言えばならなかったが。
問いかけられた少女が口を開く気配に、どんな暴言が飛び出してくるかと身構える伊織は向かられたに少々面食らった。
「あ、いや、なんかさっきすごい気遣わせてたかなーと思って……?」
そう言って、目の前の少女は「ごめんね」と気まずそうに頭を下げていた。
正直に言って度肝を抜かれた。生まれてこの方、女子からここまで誠実に対応されたのは多分幼稚園以来だった。
「あー……いや、あれぐらいなら全然。」
「あ、そう?いや、それならいいんだけど……」
「……」
奇怪な沈黙が帳を下ろした。
重苦しい沈黙だ、この手の空気を払拭する能力は母の胎盤に忘れてきてから、今日に至るまで未だに獲得できていない。
「……あー……」
「……えっと……私行くね?」
「ああ、はい、じゃあ……」
そう言って去ろうとした彼女の目が伊織の手の内に収まるスマートフォンの画面――そこに流れる動画に移った。
「――ダンジョン配信、見るの?」
先ほどまでの重苦しい沈黙を払うような済んだ声が伊織の耳朶を打った。
「へ?」
驚きに顔を再び上げた少年の目に飛び込んできたのは、思わず言ってしまったとばかりにこちらを見つめる天王璃珠の姿があった。
「えっ、あ、いや、ごめんごめん、何でもない。」
自分でも気が付かなかったのだろうか?はたと気が付いたように取り繕う彼女に向かって伊織は「あー割と見ますよ、復習がてら。」と伝えた。
「復習?」
「あー……一応、僕も潜るんで、ダンジョン。」
「そうなの?」
驚いたような響きの言葉に、伊織は「自分がダンジョンに潜るのはそんな意外だろうか?」と首をひねった。
政府がダンジョンを一般に開放してからと言うものダンジョンに潜る人は増え続けている。
その中で最も多いのは十代から二十代の若者だ。
金持ちになりたい、魔法を使いたい、もっと単純にモンスターと戦いたい。
理由付けは様々だがダンジョンに潜る若者は珍しくはない。
東雲伊織もまた、その一人だったというだけのことだ。
「へ―……以外。」
「え、そうです?」
「あ、いや、全然悪い意味じゃなくて。なんか喧嘩とかするタイプに見えないから。」
「あー……」
それは一理あるだろう、自分も自分の姿を客観的に見てダンジョンに潜って、超自然の化け物と戦っているとは思うまい。
「や、一人暮らししてるんでバイトの代わりに……」
「あーそうなんだ……どこのダンジョン?」
「東京の方ですかね。」
「あ、あっちか……何層にいるの?」
「12ぐらいですかね。」
「あ、結構行ってんだ。」
「まあ、あそこぐらいまで行かないと生活費分にならんのですよね。」
「あー、上の層のドロップだとけっこう買いたたかれるよねぇ。」
此処まで一息に話しきって、再びおりてきた短い沈黙の帳の裏で伊織は舌を巻いていた。
いちいち来る質問が鋭いものだったからだ。まるで同業者と話しているような気分に陥るなと感じていた。
「……詳しいんすね。」
だからこのセリフがつい口についた。
別段彼女がダンジョンに潜っていても問題はない。
ただ、基本的のダンジョンに潜るのは血気にはやった男子であり、女子のダンジョン内人口は高くない。
原因は入らない決断をした人間の数だけあるのだから、一概には言えないが――その中でもありがちなのが「危険でなくとも戦うのが怖い」と言うものだ。
何度も言うようだがダンジョンで人は死なない。怪我だってしない。
が、それは『ダンジョンの外』の話だ。
どんな怪我も、死すら癒えるのはあくまでもダンジョンの外に出てからの話。
ダンジョンの内部において、その傷は現実のものに他ならない。
かすり傷でもじりじり痛むし、腫れもする。
腕がなくなれば物が持てなくなるし、足がなくなれば動けない。
言ってしまえば「痛みも恐怖感じるVRゲーム」みたいなものだ、どこかの国のエクスプローラーがそんなことを言っていた。
そうなれば当然、それを厭う人間も出てくるし、恐れて近づかなくなることもそこそこの数あるらしい。
いかに「死ななかろう」と、結局、血で血を洗うやくざ稼業だ、女子に忌避感を持つ者が相当数いるのもうなずける、伊織本人も割がよくなければこんな職やめてしまいたい。
そんな理由から、ダンジョンに入ってくる女子は基本的にやんちゃしてる娘かよっぽど切羽詰まっている人間、もしくはびっくりするほど考えなしのどれかだ。
伊織は天王璃珠がそれのどれにも当てはまらない人間だと思っていたのだ。
「へっ?あ、いや、と、友達がね?詳しいんだよ。」
そう言って少し慌てたような彼女は時計を見て。
「ああ、そろそろ、休み時間終わるね。」
そんないささか急場しのぎの感の強いことを言い出した。
「じゃ、じゃあ私はこれで、あ、復習ってことは今日も潜るの?頑張ってね。」
そう言ってそそくさと自分の席に戻る彼女を伊織は少し困惑して見送った。
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