§1-9

「降りろ」


しばらく車で走ると街から少し離れた場所にある土建屋の前で降ろされた。キラにはこの場でチンピラ4人を倒してショウと共に逃げる事は簡単だったが、そうするとショウはおかしいと思うだろう。普通の女の子がチンピラ相手に立ち回りなんて、漫画の世界くらいのもんだ。仕事がバレるかもしれない。そう思うと、手が出なかった。もちろん、親父たちとの約束のこともあったが、特にショウにはバレたくないと思った。

『山田建設』と書かれた看板がここがどこであるかをキラに教える。鬼咲組傘下である山田グループの事務所のひとつだ。狭い階段を上り、ドアを開けると、まるで極道映画に出てくるような部屋があった。どっしりとした重そうな机がひとつと、革張りの社長椅子と呼ばれるような椅子、そしてその前に置かれた1組の向い合った、これも革張りのソファの間にガラス製の机が置いてある。


―映画の影響か?―


キラは思わず噴出しそうになったが持ち堪えた。机上の灰皿には吸殻が溜まっている。部屋の中には3人の男がおり、1人はまさにといった社長椅子に深々と腰掛けて新聞紙を広げていかにもな葉巻をふかしていた。


「若!連れてきました」


読んでいた新聞から目を離し、こちらを一瞥するとその男がにこやかに言った。


「……おう。よく来たな。お?女連れかよ。ははっやるなぁ」新聞を畳みながら続ける。「こないだはうちのが世話になったそうじゃねぇか。はっ、確かにいい面構えしてるわ。まぁ、座れよ。そっちのカノジョもな」


ドンっと背中を蹴られてショウが前のめりにソファに手をついた。キラがショウに駆け寄ると、ショウは微笑んで「大丈夫だ」と言って彼女をソファに座らせ、その隣に自分も座った。


―見た事ない男だな……幹部の息子か何かか……?知り合いならうまく誤魔化して帰れると思ったのになぁ―


キラはざっと部屋を見渡し、武器になるものを探した。今のところ敵は7人。銃は持っていないようだ。短刀が置いてあるな。銃があるとすれば机の引き出しか別の部屋だな。どちらにしろ人を殺した事があるヤツはいないようだ。楽勝だな、俺ひとりなら。チラリとショウを見ると、ショウは社長椅子にふんぞり返る男を睨みつけていた。


「……俺に何の用だ」


ショウが低い声で聞くと、若と呼ばれた男が笑った。


「はっはっは!いい根性してんなおまえ!」


ギロリと音がするくらいショウの眼光は鋭い。


「まぁ、簡単な用だ。ちょっと判ついてもらおうと思ってな」

「ハン?」

「ああ。……おい!持ってこい」

「はいっ」


車に乗っていたチンピラが一枚の紙をガラスの机に置いた。キラはさっとそれに目を通すと、気付かれないように舌打ちした。


―怪我させた詫びとして慰謝料500万だと!?ガキ相手に……こいつら恥って言葉知らねぇのか―


「……何だこれは」

「読めばわかるだろ?テメェが可愛がってくれたウチのヤツらがよ、まだ日常生活もままならないくらい酷いらしくてよ……」

「あ?さっきピンピンしてたぞ!」

「そうか?……おい」


わざとらしく包帯を巻いた男たちが出てくる。さっき車に乗っていたときは包帯のほの字もなかった奴らだ。


「テメェら……」


ショウが立ち上がると若がニヤニヤしながら言った。


「まぁよ、俺も鬼じゃねぇからよ……確かに高校生に500万はキツイかと思うんだよな。だから考えたんだが……。おまえ、ウチに来ないか?調べたらテメェ、ケンカが強い上に頭までいいらしいじゃねぇか。おまけに色男だ。身よりもねぇんだろう?」

「あぁ!?テメェに関係ねぇだろ!」

「まぁ聞けって。だからよ、ウチで働いてゆっくり払えばいいって言ってんだよ」

「そ……んな話に乗るわけねぇだろうが!」

「なんだとテメェ!」


組員達が一斉に色めき立つ。


「落ち着け馬鹿が!」


若の一喝で空気が冷える。


「テメェも落ち着いてその出来た頭でよぉく考えろよ。いやな、テメェがどうしても払いたくねぇってんなら、ウチとしてはそっちのカノジョに払ってもらうしかねぇな。どうだ?カノジョ、お風呂屋さんで働きたくねぇか?」


ニヤニヤしながらキラに向かって言う。


「テメェ……カスだな……!」


横目で男を睨みあげて吐き捨てるようにショウが言った。キラは考えた。


―ショウは素人だが、頭がいい。俺がいなければ何とかこの場をうまく乗り切れただろう。だが今は、俺がいることでショウの選択肢を狭くしている。しかし、こいつらとケンカしたのはショウの落ち度だ。俺が口を出す場面じゃない。ここは大人しくしておくほうが……―


「……」


ショウも考え込んでいるようだ。しかし、その時間は長くはなかった。


「……わかった。女には手を出すな。……拇印でいいのか?」

「ふふん、物分りがいいな」


キラは我慢していた。


―ショウが決めた事だ。俺が口を出す事じゃない。ここは黙っておいて、後からこいつらを叩けばいい―


「おい、朱肉がねぇじゃねぇか!持ってこい!」

「あ、はい!すんません!」


若は立ち上がると、ショウとキラの向かいのソファに座りなおした。紙をショウの前にずいと出すと、届いた朱肉を横に置いた。


「ここに名前を書いて、拇印だ」

「……わかった」


ショウがペンをとる。


―俺が口を出す場面じゃねぇ、後でこいつらぶっ殺せばいい―


キラはとても我慢していた。無意識にショウのシャツの袖をぎゅっと掴むと、彼は少し強張った顔のまま優しい声で「大丈夫だから」と囁いて彼女の頭を撫でた。

ショウが紙に向き直り名前を書き出したその時、パシっと音がしてショウの手からペンが飛んだ。部屋にいた全員が一斉にキラを見る。


「……嬢ちゃん。気持ちはわかるがな……。今は男の時間だ。何もされたくなければ大人しくしとくんだな……」


若が顎で指すと、チンピラがペンを拾って持ってきた。キラがショウを悲しそうに見上げての彼の手を握る。ショウはもう片方の手でキラの頭を撫でると、もう一度「大丈夫だ」と言ってニッと笑った。

キラはぐっと唇を噛んでショウを見て、「ごめんな」と小さな声で言った。ショウが不思議そうな顔をした。次の瞬間、彼女の顔つき、目つき、声から全てがガラリと変わった。そして低い声が空気を震わせた。

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