§1-7

次の日、いつものように教室へ入ると、いつもとは違った雰囲気だった。キラが教室に足を踏み入れた瞬間、たくさんの視線が彼女に刺さった。皆チラリとこちらを見てはヒソヒソと話している。


―うぜぇな……―


キラは気に留めないふりをして自分の席についた。鞄から本を取り出して読もうとすると、昨日声を掛けてきた女子がまた近づいてきた。


「白田さん。おはよ」


キラは顔を上げるとニッコリして「おはよう」と返し、すぐに目線を本に戻した。


「ねぇ……昨日大丈夫だった?」


戻した目線をまた上げて、笑顔で「ん?何が?」と、とぼけた。少女は少しイラついた様子で口をもごもごさせてながら言葉を繋げる。


「だからさ、昨日。ショウさんと喋ってたじゃん。しかも何かもらってたよね?もしかして……」


生徒達がわらわらと近づいて来ている。


「もしかして、ふたりって付き合ってんの!?」


キャーという黄色い声があがり少女達は続きが待ちきれないといった顔でキラを見つめた。


「……」


キラはどうしてそんな発想になるのかが全く理解できず一瞬呆気にとられてしまった。しかしすぐに「ははっ」と笑いながら答える。


「違うよー。そんなわけないじゃん」


彼女の笑顔に、少女達は食い下がる。


「でもさ、何かもらってたじゃん。あれってプレゼントでしょ?しかもその後ふたりで歩いて行ったし!」


―あー、めんどくせぇ……―


と心底思いながらも笑顔を1ミリも崩さないままでキラは適当に答えた。


「あー、あれはね。ハンカチ。前に貸してあげたのを返してくれたの」

「何なに?それどうゆうことぉ?貸してあげたって?」

「あー……何か前にね、あの人、血ぃ流しながら歩いてたから貸してあげたの」

「え……?マジで?それスゴくなぃ?怖くなかったのぉ?」


質問攻めだ。めんどくさい。


「うーん、あんまり考えてなかったや」


ハハっと照れたように頭をかきながら答えると、少女達はまだ飽きないのか目をキラキラさせながら


「じゃ昨日はそれを返しに来てくれたってことぉ?スゴーィ!」

「ショウさん超優しくない?」

「ねぇ、怖くなかったの?」

「てゆうか、ふたりでどこ行ったのぉ?」


矢次に質問が飛んでくる。キラは笑顔を崩さずに丁寧に答えた。


「別に怖くなかったよ。あの後はあたし普通に帰ったし」

「えー?そうなの?何か、お礼にお茶とかーデートとかぁ、ケーバン交換とかしなかったわけ?」

「ははは、しないよー」


はは……と何度も乾いた声を上げる自分に嫌気が差してきたが堪えた。


「なぁんだぁ。紹介して欲しかったのにぃ」


集まってきていたギャラリーから歓声や笑い声が上がる。


「何だよお前、怖いとか言ってたくせに!」

「えーでもあのショウさんだよ?超カッコイィし!」

「頭もいいらしいしぃ」

「そうそう、しかも超強いんでしょ?守ってくれそうじゃん」

「あの人、女でも容赦しねぇって聞いたぜぇ?」

「えー、カノジョは特別でしょ?」

「誰がだよ!」


子供の集団の興味が自分ではなくなったことを喜びつつ、キラはまた本に目を戻した。生徒達がわいわいと盛り上がっていると始業のチャイムが鳴り、またいつもと同じように授業が始まった。


1時間目が終わる頃には、皆キラのことなど頭にはないようだった。キラはほっとしながら、いつもと同じようにその日を過ごした。

終業のチャイムが鳴り、皆めいめいに帰りだす頃、またしても誰かが彼を見つけた。


「あ、あれ!ショウさんだ!」


教室に残っていた生徒は一斉に窓に噛り付く。キラも自分の席から校門を見てみると、確かにショウがいた。生徒達の視線が一斉にキラを探したが既に彼女は教室を後にしていた。ショウを見つけた瞬間にそそくさと教室から逃げたのは正解だったようだ。


―あいつ、まだ何か用があんのか?いや、でも俺じゃないかもしれんしな―


と思いながら玄関を出ると、まっすぐにショウの視線がこちらに来るのを感じた。


―俺に用か……―


軽くため息をつくと同時に、どこか嬉しい気持ちがあるのに気付いた。それが何かはよくわからなかったが、ゆっくりと校門に近づく。気付かない振りをしてショウの前を通り過ぎようとすると、「おい」と声を掛けられた。今日は校門を出損ねた生徒達が校庭にいくつも輪を描きながらこちらをチラチラと見ている。


「わぁびっくりした」


わざとらしく驚いてショウを見ると、ショウの無表情とぶつかった。


「悪い……迷惑だったか?」


昨日目立ちたくないと言ったのに今現在、相当目だっていることに気付いているようだ。しかし今、キラは怒るわけにもいかない。


「ううん全然。どうしたんですか?」


笑顔を顔に貼り付けながら聞くと


「いや……昨日のたこ焼き屋……場所忘れちまって……」


目線をそらしつつ、手で口元を隠す。キラはすっとショウの脇を抜け、歩くように促した。


「たこ焼き、気に入ったんですか?」


正直、少し嬉しかった。が、ここは人目がありすぎる。明日の事を考えると気が重くなった。

無言のまま少し歩き、生徒達がいなくなったのを確認すると、ショウがもう一度言った。


「悪い。迷惑だったな」


ぶっきらぼうだったが反省しているようだ。


「いいよ。気にいったんだろ?たこ焼き。道覚えとけよな」


ふっと柔らかく笑いながらショウを見上げる。目が合うとショウはまた目線を外した。


「ああ、悪い」

「何回も謝んなよ。いいって言ってんだろ」

「ああ、わ、……ん……」


キラは何故か暖かい気持ちになった。笑みが洩れる。不思議なヤツだな―と思いながら、たこ焼きを求めてふたりで歩く。やがて念願のたこ焼きを買うと、ふたりは昨日と同じベンチに座った。


「道、覚えた?」

「ああ」

「そうか。良かったな」

「ああ」


ふたりはしばらく無言で熱々のたこ焼きと格闘した。先に食べ終えたショウがふぅと満足げに息をもらした。キラはまだ食べながらショウを見て目だけで笑った。やがて食べ終わると、「ごちそうさまでした」と手を合わせ、二人分のゴミを袋にまとめた。


「ああ、美味かった。やっぱここのたこ焼きは最高だな」

「ホントだな……」


ショウが微笑む。初めて彼の笑みを見たキラは彼に見惚れた。


「おまえ……キレイだなぁ……」


ぼそっと呟くと、ショウはムっとして笑みを消した。


「あっ!何でだよ!もっと笑えよ!」


キラはさっとショウのわき腹に手を伸ばし思い切りくすぐった。


「うおっ!やめっ!ふはっ!はははははは!」


ショウは慌ててキラの腕を掴み無理やり止めさせて、はぁはぁと肩で息をしながら彼女を睨む。


「アンタな……」

「なんだよー。もっと笑えよー」


息を整えると、いつものポーカーフェイスに戻ったショウは、彼女の腕を放した。放された瞬間にまたくすぐろうとして、ショウに腕を掴まれたキラはふてくされた顔でショウを見る。


「なんだよー」

「なんだよじゃねぇだろ。やめろよな……」


キラはまだしばらくチャンスを伺っていたが、彼女が諦めるまで腕を放さないというショウのオーラを嗅ぎ取ってそれ以上くすぐるのは大人しく諦めた。


「ちぇっ。はーい。もうしませんよーだ」


ふてくされたままでそっぽを向いて足をぶらつかせると、ショウはやっと彼女の腕を放した。


「せっかくキレイなのにもったいないなー」

「何がだよ」

「おまえの顔に決まってんだろ。もっと爽やかにニコニコしてたらモテるぞぉ?」

「いらねーよ」

「何でだよ。男ってのは女にモテたいもんなんだろ?」

「別にそんなことねぇよ」

「あ!そっか。そんな事しなくてもおまえモテるもんな」

「そんなことねぇよ」

「そんなことあるだろー」

「ねぇって!」

「いやいや、そんなこと……」


キラが言葉を言い終える前にショウがチッと舌打ちをした。


「何?キレイなの嫌なの?」

「……」

「……怒ったの?」

「……別に……怒ってねぇよ」

「そっか」


なんとなく、無言が続いた。

やがてキラは「よっ……と」と言いながら立ち上がると


「じゃ、俺帰るわ。たこ焼きの場所、覚えただろ?」


振り返りながらショウに言った。


「あ……、ああ。さんきゅな」

「おう。気にすんな。じゃあな」


歩き出そうとすると、


「……なぁ!」


また呼び止められた。キラは振り返り、「どうした?」と顔で聞いた。ショウはベンチに座ったまま自分の手を見つめている。


「なんだ?どうした?」


声に出して聞くと、ショウは顔をあげて何かを言いかけて、またうつむいた。指を組み動かしている。


「なんだよ?」


キラは仕方ないなぁというようにショウに近づくと、ショウの前にしゃがんで、ショウの顔を覗き込んだ。ショウは彼女から目をそらすと


「いや……あ……明日来るか?」

「明日?ここに?」

「ああ」


ショウは彼女の視線から逃れるように上を向いた。


「んー、わかんねぇなぁ。時々しか来ないから」

「……そうか」


上を向いたままだが、がっかりしているようにも見受けられる。


「何で?」


ウッと一瞬言葉につまり、ショウは自分の膝に肘をつくと、手で口元を隠した。


「あー……アレだ。……俺も……美味い店、知ってるから。その、たこ焼きの……」


最後のほうは聞き取れないくらい小さな声だった。


「マジで?そうかぁ……いいなぁ食べたいなぁ」

「……明日……行くか?」


口元を隠したままショウが尋ねる。


「うん。……あ、でも場所どこ?ガッコ近いと嫌だな。今日もすげぇうざかったもん」

「……何が?」

「クラスメイトだよ。俺がおまえとふたりで消えたから付き合ってんのかだって。めんどくせぇ」

「……そうか。悪かったな……」

「いや、いいんだ。でもガッコ近いとまた噂されるからさ。めんどくさいなって」

「……そうだよな……」


手を組みなおすとキラの頭の上をまっすぐ見つめながらショウは「じゃあ、やめとくか」と呟いた。彼女はしばらくショウを見上げていた。何だろう。こいつに触れてみたい。すっと手を伸ばしかけて気付き、やめた。自分から誰かに触れたいと思ったのは初めてだった。


「なぁ……」

「なんだ?」

「おまえ友達いる?」

「……いや……」

「ぷっ。寂しいやつだな」

「……チッ」


ショウが舌打ちをしながら顔を横に背ける。キラは彼が背けた顔のほうへとベンチに座りなおした。


「……俺もだよ」


まっすぐ前を見ながら彼女が言った。


「俺も友達っていねぇの。なんか、よくわかんなくてさ。そういうの」

「……」


彼女はベンチに手をつくと足をぶらぶらさせて少し下を向いた。


「なぁ……俺、思いついたんだけど」

「……何を?」

「……俺とおまえ、友達ってことにしね?」


ショウは無表情を少し和らげて彼女を見た。


「そしたらさ、普通にどこでも行けるじゃん。俺クラスメイトに何か言われても友達って言えるし!たこ焼き食えるし!」

「……ふっ」

「あ!なんだよ!笑うなよ!」

「いや……」


おもむろにショウが手を差し出した。


「よろしく」


優しい笑顔だ。キラは何か嬉しくなってはにかむと、ショウの手を握った。彼の大きな手が何だか心地よかった。

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