§1-4
16歳になり、キラは初めて親父にひとつわがままを言った。
「学校に行ってみたい」
親父は反対した。キラがやっぱりダメかと諦めかけたとき、ヒロたちが味方をしてくれた。キラは学校へ行ったほうがいい、世間を見るのも大事だと論理的に諭し、やがて親父は折れた。子供の頃からあれだけ鍛えた頭だ。親父たちはもう彼らに太刀打ちできなかった。最終的に、絶対に外の世界の常識から外れた言動をしないこと、目立たず波風を立てないこと、行くからには必要時以外は休まず通うことを条件に学校へ行くことを許された。
16歳ということで、高校へ行くことになった。親父が働きかけて義務教育は受けたことにしてくれたそうだ。
高校へ行くにあたり、初めて受験というものを経験した。彼女にとっては簡単すぎる問いばかりだったが、ヒロたちから適当に間違えとけよと忠告されたのでその通りにした。
キラは無事高校に合格し、入学できた。入学式の日、親父を含め組の奴らがおめでとうと口々に言ってくれた。ヒロたちは彼女の初々しいブレザー姿を見ると、せっかくだからと笑いながら一緒に写真を撮ってくれた。キラは何だかくすぐったくてはにかんだ。
初めての入学式は子供と大人が入り混じり、なるほど、これが家族ってやつかと彼女はひとり納得した。彼女には見に来てくれる人など誰もいなかったが、気にも留めなかった。初めて見る同い年の普通の人間に興味深々だった。彼らを見ているだけで楽しかった。初めての学校、初めての教室、初めての同級生、初めての同年の女の子。全てが目新しくてワクワクした。特に、同級生の女子には惹かれた。キラは自分にはないものばかりを持っていると思った。彼女はできるだけ多くの女子を観察し、いいと思った部分をかたっぱしから真似た。話し方から目線、しぐさや表情まで盗めるものは全て盗んだ。しかし、盗んだそれは校内では表に出さず、おとなしく目立たないように徹した。インターネットで学んだ「優等生女子」をそのまま形にしたような女子でいた。親父からの条件は守らなければ。
おとなしく目立たない、いるかいないかもわからない子―というのが高校でのキラの印象だった。同級生からごくたまに話しかけられても小さな声で二言三言返すだけで、自分からは話しかけない。彼女は徹底していた。最初は接し方がよくわからないというのもあったのだが、だんだんそうしておけば周りは触れてこないというのがわかり、あえてそうするようになった。
1ヶ月も経った頃、相変わらずキラはおとなしくしていた。同年の子供達は新しい環境にも慣れてきて、騒がしく毎日を過ごしていた。キラも最初はいろいろと目新しくて楽しかったが、だんだんと飽きてきていた。彼女にとって同級生はあまりにも子供過ぎてつまらなかった。しかし、子供達はいろいろな情報を噂話として流している。最近は休み時間になると、キラは図書室で借りた本を自分の机で読みながら子供達の噂話をこっそりと聞くことにしていた。基本、くだらない愚痴や陰口が多かったが、たまに興味を惹く話題もあった。例えば、「ショウさん」についての噂がそうだ。
「ショウさん」は東工高の3年生でものすごく喧嘩が強いらしい。ヤクザとも平気で喧嘩をして撃たれたり刺されたりしたこともあるそうだ。どこかで見かけても絶対に目を合わせたらダメだと言っていた。目が合ったらそれだけで殺されるそうだ。そのくせ女子人気が高く、ファンクラブまであり、気が向くと女をとっかえひっかえして遊んでいるとのこと。同級生曰く「もう超カッコイィんだって!マジ見たらソッコー惚れるって!!」。何て奴だ。面白い。キラは一度会ってみたいと思った。
そんな気持ちに天が味方したのか、彼に会う機会はそう遠くなく訪れた。
その日、キラは仕事を終えて帰る途中だった。衣替えが終わった頃だった。制服のまま家路に着いた彼女の真新しいシャツが寝静まった商店街に浮かんでいた。気持ちのいい夜だった。仕事を終えた後はアドレナリン放出量が増えて頭の奥がじんじんするが、今日はあまり酷くない。夜の波を満喫しようと歩いていると、遠くで何度も聞いたことがある音がした。人間が人間を殴る音だ。家路を進むにつれて、音は大きくなっていく。そして、とうとうその現場に出くわした。
商店街から垂直に伸びる細い路地でひとりの男がもうひとりの男の首を両手で掴んで持ち上げ、コンクリートの電柱に何度もぶつけていた。よく見ると下に3人ほど転がっている。キラは経験から全員の生死を見極めた。
―転がっている3人は生きているようだが、ぶつけられている男はギリギリだな。これ以上やられたら確実に死ぬか―
キラは少し考えた後、よく通る声で呼びかけた。
「おい!」
男がびくりとして止まり、相手の首を掴んだままゆっくりとこちらを向いた。低い声で威嚇する。目が牙を剥いた野犬のように血走ってギラリと光った。
「なんだ……てめぇ」
その威嚇をものともせずに彼女は言った。
「殺すの?ソレ」
「……!」
男ははっと気がついたように手を離した。首を掴まれていた方がどさりと地面に崩れた。キラはゆっくりと歩み寄ると、崩れた男に触れて確かめた。まだかろうじて生きている。それから、信じられないといったように自分の両手を見つめている男を振り返り言った。
「血が出てる」
男は右上腕を刃物で切られたようだ。現場には少し長めのナイフが落ちている。キラは制服のスカートからいかにも女の子が持っていそうな可愛らしいハンカチ―薄ピンク地にさくらんぼが踊っている―を取り出すと、止血してやった。男は抵抗するでもなく、ぼうっと彼女を見ている。
「はい。病院行ったほうがいいよ。あと、救急車呼んで適当にやっとくから、早く消えな」
まっすぐに目を見て言うと、キラは携帯で119番に電話した。しかし彼女が電話を終えてもまだ男は立ち尽くしている。
「救急車呼んだからすぐ来るよ?早く消えたほうがいいんじゃない?」
と、ちょっと女の子口調で言うと、男は我に返り「あ、ああ」と呟きながらよろよろと歩きだした。まだ軽く意識が飛んでいるようだ。彼の後姿を見送りながら、キラはため息をついた。
―何だあいつ……―
まもなく救急車が到着し、適当に質問に答えた後は全部専門家に任せて帰った。帰ってすぐ熱めのシャワーを浴びると、あの男と今日の仕事を思い出して、また頭の奥がじんじんした。彼女はもう一度ため息をつくと、ゆっくりとシャワーを止め、身体を拭いた。どうやら今日は睡眠剤に頼ることになりそうだ。
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